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資料詳細
- 資料ID.
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- 資料種別
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
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- タイトル
- 中国暦
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- 西暦
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- 曜日
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
2-04-07 国王尚貞の、進貢のため耳目官馬元勲等を遣わすむねの符文(一七〇六、九、□)
琉球国中山王尚(貞)、進貢の事の為にす。
照得するに、敝国は世々天朝の洪恩に沐し、貢典に遵依して二年一次なり。茲に康煕四十五年の貢期に当り、特に耳目官馬元勲・正議大夫程順則・都通事楊聯桂等を遣わし、表・咨を齎捧し海船二隻に坐駕して官伴・水梢を率領せしむ。毎船に均幇する上下の員役は共に二百員名を過ぎず。常貢の煎熟硫黄一万二千六百觔・紅銅三千觔・煉熟白剛錫一千觔を装運して両船に分載す。一船は義字第八十二号にして煎熟硫黄六千三百觔・紅銅一千五百觔・煉熟白剛錫五百觔を装載し、一船は義字第八十三号にして煎熟硫黄六千三百觔・紅銅一千五百觔・煉熟白剛錫五百觔を装載し、前んで福建等処承宣布政使司に至りて投納し、起送して京に赴き聖禧を叩祝せんとす。
所拠の差去する員役は並びに文憑無ければ、誠に所在の官軍の阻留して便ならざるを恐る。此の為に王府、今、義字第八十一号半印勘合の符文を給して都通事楊聯桂等に付し収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海巡哨の官軍の験実に遇わば即便に放行し、留難し遅悞するを得しむる毋かれ。須らく符文に至るべき者なり。
計開 京に赴く
耳目官一員 馬元勲 人伴一十二名
正議大夫一員 程順則 人伴一十二名
都通事一員 楊聯桂 人伴七名
在船都通事二員 陳其瀾/鄭士経 人伴八名
在船使者四員 阿天秩 向自長/向和声 豊良佐 人伴六名
存留通事一員 蔡文漢 人伴六名
在船通事一員 阮瓉 人伴四名
管船火長・直庫四名 梁文瓏 池徳美/毛士達 長立功
右の符文は都通事楊聯桂等に付す。此れを准ず
康煕四十五年(一七〇六)九月 日給す
注(1)阿天秩 南風原親方守周。一六五九-一七三三年。首里阿氏(照屋家)九世(『家譜(三)』一六頁)。
(2)阮瓉 一六七八-一七四四年。久米村阮氏(𤘩宮城家)五世。福建に学ぶこと七年、進貢には三度従事する(『家譜(二)』一五九頁)。
(3)毛士達 生没年不詳。許田親雲上。久米村毛氏(阿賀嶺家)四世(『家譜(二)』九三五頁)。
琉球国中山王尚(貞)、進貢の事の為にす。
照得するに、敝国は世々天朝の洪恩に沐し、貢典に遵依して二年一次なり。茲に康煕四十五年の貢期に当り、特に耳目官馬元勲・正議大夫程順則・都通事楊聯桂等を遣わし、表・咨を齎捧し海船二隻に坐駕して官伴・水梢を率領せしむ。毎船に均幇する上下の員役は共に二百員名を過ぎず。常貢の煎熟硫黄一万二千六百觔・紅銅三千觔・煉熟白剛錫一千觔を装運して両船に分載す。一船は義字第八十二号にして煎熟硫黄六千三百觔・紅銅一千五百觔・煉熟白剛錫五百觔を装載し、一船は義字第八十三号にして煎熟硫黄六千三百觔・紅銅一千五百觔・煉熟白剛錫五百觔を装載し、前んで福建等処承宣布政使司に至りて投納し、起送して京に赴き聖禧を叩祝せんとす。
所拠の差去する員役は並びに文憑無ければ、誠に所在の官軍の阻留して便ならざるを恐る。此の為に王府、今、義字第八十一号半印勘合の符文を給して都通事楊聯桂等に付し収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海巡哨の官軍の験実に遇わば即便に放行し、留難し遅悞するを得しむる毋かれ。須らく符文に至るべき者なり。
計開 京に赴く
耳目官一員 馬元勲 人伴一十二名
正議大夫一員 程順則 人伴一十二名
都通事一員 楊聯桂 人伴七名
在船都通事二員 陳其瀾/鄭士経 人伴八名
在船使者四員 阿天秩 向自長/向和声 豊良佐 人伴六名
存留通事一員 蔡文漢 人伴六名
在船通事一員 阮瓉 人伴四名
管船火長・直庫四名 梁文瓏 池徳美/毛士達 長立功
右の符文は都通事楊聯桂等に付す。此れを准ず
康煕四十五年(一七〇六)九月 日給す
注(1)阿天秩 南風原親方守周。一六五九-一七三三年。首里阿氏(照屋家)九世(『家譜(三)』一六頁)。
(2)阮瓉 一六七八-一七四四年。久米村阮氏(𤘩宮城家)五世。福建に学ぶこと七年、進貢には三度従事する(『家譜(二)』一五九頁)。
(3)毛士達 生没年不詳。許田親雲上。久米村毛氏(阿賀嶺家)四世(『家譜(二)』九三五頁)。