歴代宝案訳注本
2‒116‒19 国王尚灝の、進貢のため都通事鄭文洙等に付した符文(嘉慶十九《一八一四》、八、七)

資料詳細

資料ID.
y2940
資料種別
歴代宝案訳注本
資料名
歴代宝案訳注本第9冊
歴代宝案巻号
2集 116巻 19号
著者等
金城正篤(訳注)
タイトル
2‒116‒19 国王尚灝の、進貢のため都通事鄭文洙等に付した符文(嘉慶十九《一八一四》、八、七)
中国暦
嘉慶190807
西暦
18140920
曜日
差出
【琉球】中山王(尚灝)
宛先
文書形式
符文
書誌情報
金城正篤(訳注)、沖縄県教育庁文化財課史料編集班(編)『歴代宝案 訳注本第9冊』沖縄県教育委員会、2016年
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2-116-19 国王尚灝の、進貢のため都通事鄭文洙等に付した符文(嘉慶十九《一八一四》、八、七)
琉球国中山王尚(灝)、進貢せんが事の為にす。
照得したるに、本爵は世々天朝の洪恩に沐し、会典に遵依して二年一貢す。欽遵して案に在り。
茲に嘉慶十九年の進貢の期に当たり、特に耳目官向斌・正議大夫鄭嘉訓・都通事鄭文洙等を遣わし、表章を齎捧し、梢役共に二百員名を過ぎざるを率領し、海船二隻に坐駕し、常貢の煎熟硫黄一万二千六百觔・紅銅三千觔・煉熟白剛錫一千觔を装運し、両船に分載す。一船の礼字第二百六号は、煎熟硫黄六千三百觔・紅銅一千五百觔・煉熟白剛錫五百觔を装載し、一船の礼字第二百七号は、煎熟硫黄六千三百觔・紅銅一千五百觔・煉熟白剛錫五百觔を装載し、前みて福建等処承宣布政使司に至りて投納し、起送して京に赴かしめ、聖禧を叩祝せしめんとす。
所有の差去せる員役は、文憑無ければ、各処の官軍の阻留して便ならざるを恐る。此れが為に理として合に王府、礼字第二百五号の半印勘合の符文一道を給発し、都通事鄭文洙等に付し、収執して前去せしむべし。如し経過の関津及び沿海巡哨の官軍の験実に遇えば、即便に放行し、留難して遅悞するを得る毋からしめよ。須らく符文に至るべき者なり。
計開
正使耳目官一員  向斌   人伴一十二名
副使正議大夫一員 鄭嘉訓  人伴一十二名
朝京都通事一員 鄭文洙  人伴七名
在船都通事二員 陳有憲/王崇達  人伴八名
在船使者四員   向永盛 向邦達/武廷棟 馬元健 人伴一十六名
存留通事一員  梁文翼  人伴六名
在船通事一員  王士正  人伴四名
管船火長・直庫四名 金文貴 善得福/林興泰 保肇基
水梢共に一百二十名
右、符文は都通事鄭文洙等に付し、此れを准けしむ
嘉慶十九年(一八一四)八月初七日

注(1)陳有憲 乾隆二十九~道光九年(一七六四~一八二九)。仲本通事親雲上、のち宮里親雲上。久米系陳氏(仲本家)十三世。乾隆五十五年・五十九年に読書習礼のため福建に赴く。嘉慶五年異国通事、嘉慶十九年進貢頭号船の都通事、道光三年接貢船の都通事となる。道光元年に久米村の長史となり、同五年正議大夫、同八年に申口座に陞る。道光七年美里間切宮里村の地頭職に任ぜられる(『家譜(二)』五〇一頁)。
(2)王崇達 嘉慶十九年進貢船の在船都通事。『宝案』では他に嘉慶二十四年の在船都通事(巻一二五)、嘉慶十一年の結状には中議大夫(巻一〇一)として名がみえる。
(3)向邦達 嘉慶十九年進貢船の在船使者。
(4)武廷棟 嘉慶十九年進貢船の在船使者。『宝案』では他に嘉慶十一年の在船使者(巻一〇一)として名がみえる。
(5)馬元健 嘉慶十九年の進貢船の在船使者。
(6)王士正 嘉慶十九年の進貢船の在船通事。
(7)金文貴 嘉慶十九年の進貢船の管船火長。
(8)林興泰 嘉慶十九年の進貢船の管船火長。『宝案』では他に道光八年(一八二八)の進貢船の在船都通事、道光十七年接貢の在船都通事として名がみえる。
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