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資料詳細
- 資料ID.
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- 資料種別
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
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- タイトル
- 中国暦
- {{ryu_data.f17}}年 {{ryu_data.f18}}月 {{ryu_data.f19}}日
- 西暦
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- 曜日
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
3-10-14 琉球国中山王世子尚泰より関係当局あて、同治三年の進貢使東国興らを派遣するに当たり、便宜を図られたき旨、林世爵等に付した符文(同治三《一八六四》、□、□)
琉球国中山王世子尚(泰)、進貢する事の為にす。
照らし得たるに、敝国は叨くも天朝の洪恩に沐し、会典に遵依して二年一貢し、欽遵して案に在り。
茲に同治三年の貢期に当たれば、特に耳目官の東国興・正議大夫の毛発栄・都通事の林世爵等を遣わし、表章を齎捧し、梢役共に二百を過ぎざるの員名を率領し、海船二隻に坐駕し、常貢の煎熟硫黄一万二千六百觔・紅銅三千觔・煉熟白剛錫一千觔を将て、均分して両船に装載せしめ、一船の礼字第三百三十二号は硫黄六千三百觔・紅銅一千五百觔・白剛錫五百觔を装運し、一船の礼字第三百三十三号は硫黄六千三百觔・紅銅一千五百觔・白剛錫五百觔を載運し、前みて福建等処承宣布政使司に至りて投納し、起送して京に赴き、叩きて聖禧を祝らしめんとす。
所有の差去せる員役は、文憑無ければ以て各処の官軍の阻留して便ならざるを致すを恐る。合行しく符文を給発すべし。今、王府の礼字第三百三十一号半印勘合の符文一道を給して都通事林世爵等に付し、収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海の巡哨官軍の験実に遇わば、即便に放行し、留難して遅悞するを得る毋からしめよ。
須らく符文に至るべき者なり。
計開す。
正使耳目官一員 東国興 人伴一十二名
副使正議大夫一員 毛発栄 人伴一十二名
朝京都通事一員 林世爵 人伴七名
在船都通事二員 蔡呈書 林長湀 人伴八名
在船使者四員 麻厚仁 孟朝璉経世芳 孫国儀 人伴一十六名
存留通事一員 魏掌政 人伴六名
在船通事一員 王作梅 人伴四名
管船火長・直庫四名 鄭邦輔 西常裕金世昌 高受福
水梢共
右の符文は都通事林世爵等に付す。此れに准ぜられよ
同治三年(一八六四) 月 日
注*本文書は〔三―一〇―一八〕とほぼ同文であるが、日付がない。語注は〔三―〇三―一九〕参照。
(1)蔡呈書 嘉慶七年(一八〇二)~?。久米村系蔡氏(上原家)十六世。上原親雲上。道光十年黄冠、同治二年中議大夫、九年正議大夫に陞る。同治三年進貢頭号船の在船都通事、八年接貢船の都通事を務める。道光十年家統を継ぎ与那城間切上原地頭職を授かる(『家譜(二)』三四八頁)。
(2)林長湀 久米村系林氏。同治三年進貢の在船都通事。
(3)麻厚仁 校訂本は「麻原仁」だが〔三―一〇―一八〕〔三―一〇―一九〕により「麻厚仁」とした。
(4)孟朝璉 同治三年進貢の在船使者。
(5)経世芳 同治三年進貢の在船使者。
(6)孫国儀 同治三年・六年の在船使者。
(7)魏掌政 道光六年(一八三六)~?。久米村系魏氏(楚南家)十世。楚南里之子親雲上。咸豊五年遏闥理官、六年都通事に陞る。咸豊七年漢文組立役師匠となる(『家譜(二)』四七頁)。同治三年進貢の存留通事。
(8)王作梅 久米村系王氏。同治三年進貢の在船通事。
(9)鄭邦輔 嘉慶十八~同治四年(一八一三~六五)。久米村系鄭氏(池宮城家)十八世。道光二十一年黄冠に陞る。同治三年進貢頭号船の総官(管船火長)を務める(『家譜(二)』五九八頁)。
(10)金世昌 嘉慶十一年(一八〇六)~?。久米村系金氏(多嘉良家)十六世。道光十四年黄冠、同治五年都通事に陞る。道光十三年読書習礼のため閩に赴き、十九年帰国。同治三年進貢二号船の総官(管船火長)を務める(『家譜(二)』一〇八頁)。
琉球国中山王世子尚(泰)、進貢する事の為にす。
照らし得たるに、敝国は叨くも天朝の洪恩に沐し、会典に遵依して二年一貢し、欽遵して案に在り。
茲に同治三年の貢期に当たれば、特に耳目官の東国興・正議大夫の毛発栄・都通事の林世爵等を遣わし、表章を齎捧し、梢役共に二百を過ぎざるの員名を率領し、海船二隻に坐駕し、常貢の煎熟硫黄一万二千六百觔・紅銅三千觔・煉熟白剛錫一千觔を将て、均分して両船に装載せしめ、一船の礼字第三百三十二号は硫黄六千三百觔・紅銅一千五百觔・白剛錫五百觔を装運し、一船の礼字第三百三十三号は硫黄六千三百觔・紅銅一千五百觔・白剛錫五百觔を載運し、前みて福建等処承宣布政使司に至りて投納し、起送して京に赴き、叩きて聖禧を祝らしめんとす。
所有の差去せる員役は、文憑無ければ以て各処の官軍の阻留して便ならざるを致すを恐る。合行しく符文を給発すべし。今、王府の礼字第三百三十一号半印勘合の符文一道を給して都通事林世爵等に付し、収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海の巡哨官軍の験実に遇わば、即便に放行し、留難して遅悞するを得る毋からしめよ。
須らく符文に至るべき者なり。
計開す。
正使耳目官一員 東国興 人伴一十二名
副使正議大夫一員 毛発栄 人伴一十二名
朝京都通事一員 林世爵 人伴七名
在船都通事二員 蔡呈書 林長湀 人伴八名
在船使者四員 麻厚仁 孟朝璉経世芳 孫国儀 人伴一十六名
存留通事一員 魏掌政 人伴六名
在船通事一員 王作梅 人伴四名
管船火長・直庫四名 鄭邦輔 西常裕金世昌 高受福
水梢共
右の符文は都通事林世爵等に付す。此れに准ぜられよ
同治三年(一八六四) 月 日
注*本文書は〔三―一〇―一八〕とほぼ同文であるが、日付がない。語注は〔三―〇三―一九〕参照。
(1)蔡呈書 嘉慶七年(一八〇二)~?。久米村系蔡氏(上原家)十六世。上原親雲上。道光十年黄冠、同治二年中議大夫、九年正議大夫に陞る。同治三年進貢頭号船の在船都通事、八年接貢船の都通事を務める。道光十年家統を継ぎ与那城間切上原地頭職を授かる(『家譜(二)』三四八頁)。
(2)林長湀 久米村系林氏。同治三年進貢の在船都通事。
(3)麻厚仁 校訂本は「麻原仁」だが〔三―一〇―一八〕〔三―一〇―一九〕により「麻厚仁」とした。
(4)孟朝璉 同治三年進貢の在船使者。
(5)経世芳 同治三年進貢の在船使者。
(6)孫国儀 同治三年・六年の在船使者。
(7)魏掌政 道光六年(一八三六)~?。久米村系魏氏(楚南家)十世。楚南里之子親雲上。咸豊五年遏闥理官、六年都通事に陞る。咸豊七年漢文組立役師匠となる(『家譜(二)』四七頁)。同治三年進貢の存留通事。
(8)王作梅 久米村系王氏。同治三年進貢の在船通事。
(9)鄭邦輔 嘉慶十八~同治四年(一八一三~六五)。久米村系鄭氏(池宮城家)十八世。道光二十一年黄冠に陞る。同治三年進貢頭号船の総官(管船火長)を務める(『家譜(二)』五九八頁)。
(10)金世昌 嘉慶十一年(一八〇六)~?。久米村系金氏(多嘉良家)十六世。道光十四年黄冠、同治五年都通事に陞る。道光十三年読書習礼のため閩に赴き、十九年帰国。同治三年進貢二号船の総官(管船火長)を務める(『家譜(二)』一〇八頁)。