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資料詳細
- 資料ID.
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- 資料種別
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
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- タイトル
- 中国暦
- {{ryu_data.f17}}年 {{ryu_data.f18}}月 {{ryu_data.f19}}日
- 西暦
- {{ryu_data.f13}}年 {{ryu_data.f14}}月 {{ryu_data.f15}}日
- 曜日
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
2-30-17 国王尚敬の、中国の難民陳得昌、黄明盛、彭世恒等の送還のため都通事阮超群等に付した執照(乾隆十四《一七四九》、十二、二十四)
琉球国中山王尚(敬)、難民を解送し、以て原籍に還らしめん事の為にす。
切かに、乾隆十四年十一月の間、福建省泉州府同安県の商人船戸陳得昌等、共計二十名は、船一隻に駕し、姑米山地方に飄到す。礁に衝りて打破せらるるも幸い人命の虞れ無し。又、福建省興化府莆田県の商人船戸黄明盛等、共計三十名有り。船一隻に駕す。葉壁山地方に飄至して礁に衝りて破壊せらるるも幸い人命の虞れ無し。又、蘇州府通州の商船船戸彭世恒等、共計十四名有り。勝連地方に飄到し、只だ此の地方は海礁甚だ多く、因りて小船を発して引導して転じて山南奥武湾の泊に至る。奈んせん、彼の船隻、歴年已に久しければ、其の材多く朽ち、修補を加うると雖も、万里の波濤、再た衝渉し難し。挙船人衆、皆懼色有り。乃ち已むを得ずして当面商議し、彼の船及び桅・蓬・椗・縄等の項を将て「土民に売与し、其の価銀三百五十両、併びに帯せる所の物件は船戸彭世恒に逓与して領収せしむ」るに便ならしむ。
切想するに、三船の難民は共計六十四名なり。船無くとも回るべし。因りて各地方官をして各々難民を将て解送せしめ、転じて中山牧港地方に至りて即便に館に発りて安挿せしめ、廩餼を給与して収養せしむ。応に部文内の奉旨の事理に遵いて、解送して閩に至るべし。
茲に風便に遇えば、特に都通事阮超群等を遣わし、梢役共計五十二員名を帯領し、海船一隻に坐駕し、難民六十四名を将て解送して前去せしむ。
若し文憑無ければ、所在の官軍の阻留して便ならざるを恐る。此れが為に王府、礼字五十五号の半印勘合執照を給し、都通事阮超群等に附して収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海の巡哨官軍の験実に遇えば、即便に放行し、留難して遅悞するを得る毋かれ。須らく執照に至るべき者なり。
計開す
護送都通事一員 阮超群 人伴四名
司養贍大使一員 東観旭 人伴四名
管船夥長・直庫二名 毛景成 符世枚
水梢共に四十名
通州船戸彭世恒 舵工高哲安 水手
高進玉 高士臣 朱正和 徐三観
朱六観 陸有才 李六観 朱八観
彭順観 彭邦昇 客二名 施潮先 姜兆五
已上、共計十四名
帯せる所の物件 計開す
一、荳油二十三簍 一、柿餅二十八包
一、花椒三包 一、核桃五包
一、柿餅小簍二十一包 一、青豆八百五十一包
一、塩猪一百零五口 一、粉条六包
一、麻皮四包 一、豆油一罈
一、扒豆九包 一、青豆三袋
一、猪油三簍 一、紫草二十二包
一、雑菓一包 一、干麺二袋
一、黄小米一袋 一、銅銭七包―共計三万五千文
一、猪首腿一包 一、核桃小包三個
一、蕎麦一袋 一、豆粉一包
一、竹箱三隻 一、衣桶二個
一、鋪蓋十四個 一、衣袋七個
一、銅鑼二面 一、錫壺三個
莆田県の船戸黄明盛 舵工陳清 鴉班
蘇敏 頭椗曽煥 総舗李勝 水手
李盛 胡禄 陳福 劉雲 蔡玉
陳煜 呉福 黄露 林霞 陳光
盧炳 陳洽 徐冬 徐煥 黄南
張蘭 翁銓 何進 客七名張大法
陳士雄 玉重岩 李舜尚 章明昆
郭香観 黄弼順
已上、共計三十名
衣服を除くの外、撈せる所の物件 計開す
一、天后娘娘三位 一、紫草二包
一、核桃四包 一、粉条一包
一、卓一張 一、鉄椗一根
一、荳餅一百零七塊 一、銅鑼二面
一、銅面盆一個 一、紅白犬二隻
一、猫一隻 一、合弁箱一個
一、碗橱一個 一、碗二十個
一、□巾頂一領 一、竹魚簍四個
一、雨傘四枝 一、木椅三条
一、鋸一張 一、銅礶一個
一、柴斧二柄 一、菜刀二柄
一、棕椗索三条 一、蕉椗一条
一、兎皮四十五張 一、板面鉄釘二百八十五斤半
一、鉄箍大小共二十三個、重さ二百三十三斤
同安県船戸陳得昌 舵工蘇進 総舗
彭輝 鴉班高宝 頭椗王良 大繚
蔡敬 杉板工高栄 水手高福
彭統 陳寿 蘇拱 林永 高竣
蘇勇 張才 童忠 蘇椂 劉啓
劉耀 蘇吉
已上、共計二十名
衣服を除くの外、撈せる所の物件 計開す
一、包茯二十一個 一、衣箱二個
一、□□七個 一、山東繭綢八疋
一、□□□□□ 一、小鉄椗一個
一、銅銭一万四□文 一、板面鉄釘五百六十一斤
右の執照は都通事阮超群等に付し、此れを准ず
乾隆十四年(一七四九)十二月二十四日
注*本文書の台湾本・鄭良弼本では、「 」の行間に朱書による書き込み(「本地に委置す。只だ其の帯せる所の物件を将て船戸彭世恒に逓与して領収せしむ」)がなされており、本文のごとく補った。
(1)東観旭 校訂本は「乗」だが「東」か。『中山世譜』のこの件に関する記述には東観旭が司養贍大使であったという記述がある。司養贍大使は漂着した中国人を護送する職務。
(2)柴 校訂本は「紫」だが「柴」か。
(3)包茯 茯は茯苓か。茯苓は松の根に寄生するきのこ類。漢方の薬材。
(4)山東繭綢 山東産の絹織物。繭綢は山繭の糸で織った絹織物。
琉球国中山王尚(敬)、難民を解送し、以て原籍に還らしめん事の為にす。
切かに、乾隆十四年十一月の間、福建省泉州府同安県の商人船戸陳得昌等、共計二十名は、船一隻に駕し、姑米山地方に飄到す。礁に衝りて打破せらるるも幸い人命の虞れ無し。又、福建省興化府莆田県の商人船戸黄明盛等、共計三十名有り。船一隻に駕す。葉壁山地方に飄至して礁に衝りて破壊せらるるも幸い人命の虞れ無し。又、蘇州府通州の商船船戸彭世恒等、共計十四名有り。勝連地方に飄到し、只だ此の地方は海礁甚だ多く、因りて小船を発して引導して転じて山南奥武湾の泊に至る。奈んせん、彼の船隻、歴年已に久しければ、其の材多く朽ち、修補を加うると雖も、万里の波濤、再た衝渉し難し。挙船人衆、皆懼色有り。乃ち已むを得ずして当面商議し、彼の船及び桅・蓬・椗・縄等の項を将て「土民に売与し、其の価銀三百五十両、併びに帯せる所の物件は船戸彭世恒に逓与して領収せしむ」るに便ならしむ。
切想するに、三船の難民は共計六十四名なり。船無くとも回るべし。因りて各地方官をして各々難民を将て解送せしめ、転じて中山牧港地方に至りて即便に館に発りて安挿せしめ、廩餼を給与して収養せしむ。応に部文内の奉旨の事理に遵いて、解送して閩に至るべし。
茲に風便に遇えば、特に都通事阮超群等を遣わし、梢役共計五十二員名を帯領し、海船一隻に坐駕し、難民六十四名を将て解送して前去せしむ。
若し文憑無ければ、所在の官軍の阻留して便ならざるを恐る。此れが為に王府、礼字五十五号の半印勘合執照を給し、都通事阮超群等に附して収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海の巡哨官軍の験実に遇えば、即便に放行し、留難して遅悞するを得る毋かれ。須らく執照に至るべき者なり。
計開す
護送都通事一員 阮超群 人伴四名
司養贍大使一員 東観旭 人伴四名
管船夥長・直庫二名 毛景成 符世枚
水梢共に四十名
通州船戸彭世恒 舵工高哲安 水手
高進玉 高士臣 朱正和 徐三観
朱六観 陸有才 李六観 朱八観
彭順観 彭邦昇 客二名 施潮先 姜兆五
已上、共計十四名
帯せる所の物件 計開す
一、荳油二十三簍 一、柿餅二十八包
一、花椒三包 一、核桃五包
一、柿餅小簍二十一包 一、青豆八百五十一包
一、塩猪一百零五口 一、粉条六包
一、麻皮四包 一、豆油一罈
一、扒豆九包 一、青豆三袋
一、猪油三簍 一、紫草二十二包
一、雑菓一包 一、干麺二袋
一、黄小米一袋 一、銅銭七包―共計三万五千文
一、猪首腿一包 一、核桃小包三個
一、蕎麦一袋 一、豆粉一包
一、竹箱三隻 一、衣桶二個
一、鋪蓋十四個 一、衣袋七個
一、銅鑼二面 一、錫壺三個
莆田県の船戸黄明盛 舵工陳清 鴉班
蘇敏 頭椗曽煥 総舗李勝 水手
李盛 胡禄 陳福 劉雲 蔡玉
陳煜 呉福 黄露 林霞 陳光
盧炳 陳洽 徐冬 徐煥 黄南
張蘭 翁銓 何進 客七名張大法
陳士雄 玉重岩 李舜尚 章明昆
郭香観 黄弼順
已上、共計三十名
衣服を除くの外、撈せる所の物件 計開す
一、天后娘娘三位 一、紫草二包
一、核桃四包 一、粉条一包
一、卓一張 一、鉄椗一根
一、荳餅一百零七塊 一、銅鑼二面
一、銅面盆一個 一、紅白犬二隻
一、猫一隻 一、合弁箱一個
一、碗橱一個 一、碗二十個
一、□巾頂一領 一、竹魚簍四個
一、雨傘四枝 一、木椅三条
一、鋸一張 一、銅礶一個
一、柴斧二柄 一、菜刀二柄
一、棕椗索三条 一、蕉椗一条
一、兎皮四十五張 一、板面鉄釘二百八十五斤半
一、鉄箍大小共二十三個、重さ二百三十三斤
同安県船戸陳得昌 舵工蘇進 総舗
彭輝 鴉班高宝 頭椗王良 大繚
蔡敬 杉板工高栄 水手高福
彭統 陳寿 蘇拱 林永 高竣
蘇勇 張才 童忠 蘇椂 劉啓
劉耀 蘇吉
已上、共計二十名
衣服を除くの外、撈せる所の物件 計開す
一、包茯二十一個 一、衣箱二個
一、□□七個 一、山東繭綢八疋
一、□□□□□ 一、小鉄椗一個
一、銅銭一万四□文 一、板面鉄釘五百六十一斤
右の執照は都通事阮超群等に付し、此れを准ず
乾隆十四年(一七四九)十二月二十四日
注*本文書の台湾本・鄭良弼本では、「 」の行間に朱書による書き込み(「本地に委置す。只だ其の帯せる所の物件を将て船戸彭世恒に逓与して領収せしむ」)がなされており、本文のごとく補った。
(1)東観旭 校訂本は「乗」だが「東」か。『中山世譜』のこの件に関する記述には東観旭が司養贍大使であったという記述がある。司養贍大使は漂着した中国人を護送する職務。
(2)柴 校訂本は「紫」だが「柴」か。
(3)包茯 茯は茯苓か。茯苓は松の根に寄生するきのこ類。漢方の薬材。
(4)山東繭綢 山東産の絹織物。繭綢は山繭の糸で織った絹織物。