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資料詳細
- 資料ID.
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- 資料種別
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
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- タイトル
- 中国暦
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- 西暦
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- 曜日
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
2-140-12 国王尚灝の、中国の難民呂正・蔡高泰等の護送のため、都通事紅泰煕等に付した執照(道光五《一八二五》、三、十)
琉球国中山王尚(灝)、護照を給発し以て関津の憑とし以て難人を送らんが事の為にす。
照得したるに、道光四年十二月初六日、福建省泉州府同安県の商民呂正等、原共三十二名は、海船一隻に坐駕し、天津府に到りて貿易す。山東に転到し、回郷するの時、洋中にて陡かに颶風に遭う。船隻は沈覆し、水櫃に坐落して山北府仲泊地方に飄入す。淹斃せる二十六名、餓死せる五名を除くの外、現在一名は、該地方官、収養して護送し、中山泊村に来到す。
又、道光四年十二月初七日、広東省潮州府澄海県の商民共に二十二名は、海船一隻に坐駕し、天津府に到りて貿易す。山東に転到し、回郷するの時、陡かに暴風に遭い、本国属の葉壁山地方に飄到す。該地方官、収養して護送し、中山泊村に来到す。均しく到るの日に例に照らして館に発り安頓せしめ、廩餼・衣服等の項を給与し、部文内の奉旨の事理に欽遵し、収養して解送せしむ。
茲に特に都通事紅泰煕等を遣わし、海船一隻に坐駕し、梢役共に六十七員名を率領し、前みて閩省に至らしむ。
所有の差去せる員役は、文憑無ければ、以て各処の官軍の阻留して便ならざるを致すを恐る。此れが為に王府の礼字第二百三十七号の半印勘合の執照一道を給発し、都通事紅泰煕等に付し、収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海巡哨の官軍の験実に遇えば、即便に放行し、留難して遅滞するを得る毋からしめよ。須らく執照に至るべき者なり。
計開
被風の福建省難商呂正
被風の広東省難商船主蔡高泰
舵工王得順 頭椗陳合興
香公陳応春 杉板李経得
阿班邱寿盛 舵寮陳之龍
水手高衍進 黄永順
林茂発 押内高和茂
小伙呉吉安 呉万令
林得利 □𣓉順
客商陳逢発 魏振声
蔡福泰 鄭肇有
林紹合 陳得高
陳坤記
以上、共計二十三名
護送都通事一員 紅泰煕 人伴四名
司養贍大使一員 武宏毅 人伴四名
管船夥長・直庫二名 毛□増 玉汝□
水梢共に五十五名
右、執照は都通事紅泰煕等に附し、此れを准けしむ
道光五年(一八二五)三月初十日
注(1)香公 香工とも。船内に祀った航海安全の神(媽祖)の世話係(徐葆光『中山伝信録』原田禹雄訳注、一九九九年)。
(2)阿班 帆の係、見張り担当か。亜班、鴉班ともいう。真境名安興『沖縄一千年史』に「亜班 帆を司り遠望探見等を為す役」とある。
(3)舵寮 寮は繚か。舵縄あるいは主帆などにつけた繚索(ロープ)の上げ下ろしの担当か。
(4)押内 押工とも。大工。船の修理を担う。
(5)小伙 小厮とも。少年の召使い。未成年の男子の雇い人。
(6)武宏毅 道光五年護送船の司養贍大使。
琉球国中山王尚(灝)、護照を給発し以て関津の憑とし以て難人を送らんが事の為にす。
照得したるに、道光四年十二月初六日、福建省泉州府同安県の商民呂正等、原共三十二名は、海船一隻に坐駕し、天津府に到りて貿易す。山東に転到し、回郷するの時、洋中にて陡かに颶風に遭う。船隻は沈覆し、水櫃に坐落して山北府仲泊地方に飄入す。淹斃せる二十六名、餓死せる五名を除くの外、現在一名は、該地方官、収養して護送し、中山泊村に来到す。
又、道光四年十二月初七日、広東省潮州府澄海県の商民共に二十二名は、海船一隻に坐駕し、天津府に到りて貿易す。山東に転到し、回郷するの時、陡かに暴風に遭い、本国属の葉壁山地方に飄到す。該地方官、収養して護送し、中山泊村に来到す。均しく到るの日に例に照らして館に発り安頓せしめ、廩餼・衣服等の項を給与し、部文内の奉旨の事理に欽遵し、収養して解送せしむ。
茲に特に都通事紅泰煕等を遣わし、海船一隻に坐駕し、梢役共に六十七員名を率領し、前みて閩省に至らしむ。
所有の差去せる員役は、文憑無ければ、以て各処の官軍の阻留して便ならざるを致すを恐る。此れが為に王府の礼字第二百三十七号の半印勘合の執照一道を給発し、都通事紅泰煕等に付し、収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海巡哨の官軍の験実に遇えば、即便に放行し、留難して遅滞するを得る毋からしめよ。須らく執照に至るべき者なり。
計開
被風の福建省難商呂正
被風の広東省難商船主蔡高泰
舵工王得順 頭椗陳合興
香公陳応春 杉板李経得
阿班邱寿盛 舵寮陳之龍
水手高衍進 黄永順
林茂発 押内高和茂
小伙呉吉安 呉万令
林得利 □𣓉順
客商陳逢発 魏振声
蔡福泰 鄭肇有
林紹合 陳得高
陳坤記
以上、共計二十三名
護送都通事一員 紅泰煕 人伴四名
司養贍大使一員 武宏毅 人伴四名
管船夥長・直庫二名 毛□増 玉汝□
水梢共に五十五名
右、執照は都通事紅泰煕等に附し、此れを准けしむ
道光五年(一八二五)三月初十日
注(1)香公 香工とも。船内に祀った航海安全の神(媽祖)の世話係(徐葆光『中山伝信録』原田禹雄訳注、一九九九年)。
(2)阿班 帆の係、見張り担当か。亜班、鴉班ともいう。真境名安興『沖縄一千年史』に「亜班 帆を司り遠望探見等を為す役」とある。
(3)舵寮 寮は繚か。舵縄あるいは主帆などにつけた繚索(ロープ)の上げ下ろしの担当か。
(4)押内 押工とも。大工。船の修理を担う。
(5)小伙 小厮とも。少年の召使い。未成年の男子の雇い人。
(6)武宏毅 道光五年護送船の司養贍大使。