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資料詳細
- 資料ID.
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- 資料種別
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
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- タイトル
- 中国暦
- {{ryu_data.f17}}年 {{ryu_data.f18}}月 {{ryu_data.f19}}日
- 西暦
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- 曜日
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
1-25-18 世子尚清の、進貢謝恩のため正議大夫金良等を遣わす符文(一五三一、八、一二)
琉球国中山王世子尚清、進貢、謝恩等の事の為にす。
今、特に正議大夫金良を遣わし、長史蔡瀚等と同に、共に表文一通を齎しむ。天字号海船一隻に坐駕して馬一十匹・硫黄二万斤・金結束嵌螺鈿竜紋鞘金起沙魚皮紋靶腰刀二把・金結束黒漆鞘金起沙魚皮紋靶腰刀二把・鍍金銅結束皮包鞘皮紮靶腰刀六把・鍍金銅結束紅漆靶鞘衮刀六把・束香一百斤・倭銅一千斤を装載し、京に赴き進貢し謝恩し、仍お礼部に赴き告稟して進収せしむる外、茲の諭遣を承くれば、途に在りて遅滞して便ならざるを得しむる毋れ。所有の符文は須らく出給に至るべき者なり。
今開す 赴京の
正議大夫一員 金良
長史一員 蔡瀚
使者一員 邁瑪度
通事一員 蔡廷美
人伴二十七名
存留在船使者二員 王金 林盛 人伴四名
存留在船通事一員 鄭栄 従人二名
国王世子附搭の倭銅一千斤
嘉靖十年(一五三一)八月十二日
右の符文は正議大夫金良・通事蔡廷美等に付し、此れに准ぜしむ
進貢謝恩等の/事の為にす 符文
注*この進貢については『明実録』嘉靖十一年四月壬午の条に記事がある。
(1)蔡廷美 生没年不詳。久米村蔡氏(儀間家)六世。官生として南京国子監に入学。のち長史(『家譜(二)』二五四頁)。
(2)存留在船使者 『歴代宝案』第一集では明の嘉靖年間以降、清の康煕二年までの符文・執照に記載がみられる。進貢船で福建に渡り、赴京せず、その船で帰国する使者を、同行の赴京する使者と区別するための呼称。接回や探問など赴京要員のない渡航では、船と共に帰る使者も単に使者と呼ぶ。首里・那覇系の人が任じられ、はじめ一船に一、二人であったが、次第に一船二人となり、各人が人伴二人を持つ。康煕三年以降、その名称は在船使者(〔二七-〇三〕注(1)参照)となる。
琉球国中山王世子尚清、進貢、謝恩等の事の為にす。
今、特に正議大夫金良を遣わし、長史蔡瀚等と同に、共に表文一通を齎しむ。天字号海船一隻に坐駕して馬一十匹・硫黄二万斤・金結束嵌螺鈿竜紋鞘金起沙魚皮紋靶腰刀二把・金結束黒漆鞘金起沙魚皮紋靶腰刀二把・鍍金銅結束皮包鞘皮紮靶腰刀六把・鍍金銅結束紅漆靶鞘衮刀六把・束香一百斤・倭銅一千斤を装載し、京に赴き進貢し謝恩し、仍お礼部に赴き告稟して進収せしむる外、茲の諭遣を承くれば、途に在りて遅滞して便ならざるを得しむる毋れ。所有の符文は須らく出給に至るべき者なり。
今開す 赴京の
正議大夫一員 金良
長史一員 蔡瀚
使者一員 邁瑪度
通事一員 蔡廷美
人伴二十七名
存留在船使者二員 王金 林盛 人伴四名
存留在船通事一員 鄭栄 従人二名
国王世子附搭の倭銅一千斤
嘉靖十年(一五三一)八月十二日
右の符文は正議大夫金良・通事蔡廷美等に付し、此れに准ぜしむ
進貢謝恩等の/事の為にす 符文
注*この進貢については『明実録』嘉靖十一年四月壬午の条に記事がある。
(1)蔡廷美 生没年不詳。久米村蔡氏(儀間家)六世。官生として南京国子監に入学。のち長史(『家譜(二)』二五四頁)。
(2)存留在船使者 『歴代宝案』第一集では明の嘉靖年間以降、清の康煕二年までの符文・執照に記載がみられる。進貢船で福建に渡り、赴京せず、その船で帰国する使者を、同行の赴京する使者と区別するための呼称。接回や探問など赴京要員のない渡航では、船と共に帰る使者も単に使者と呼ぶ。首里・那覇系の人が任じられ、はじめ一船に一、二人であったが、次第に一船二人となり、各人が人伴二人を持つ。康煕三年以降、その名称は在船使者(〔二七-〇三〕注(1)参照)となる。