琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ

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資料詳細

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2-178-18 琉球国中山王尚育より関係当局あて、道光二十四年の進貢使の北京行きの便宜を図られたき旨要請する符文(道光二十四《一八四四》、□、□)
琉球国中山王尚(育)、進貢の事の為にす。
照らし得たるに、本爵、叨くも天朝の洪恩に沐し、会典に遵依して二年一貢し、欽遵して案に在り。
茲に道光二十四年の貢期に当たり、特に耳目官の毛嘉栄・正議大夫の鄭元偉・都通事の王邦選等を遣わし、表章を齎捧し、梢役共に二百を過ぎざるの員名を率領せしめ、海船二隻に坐駕し、常貢の煎熟硫黄一万二千六百觔・紅銅三千觔・煉熟白剛錫一千觔を将て均分して両船に装載せしめ、一船の礼字第二百八十五号は硫黄六千三百觔・紅銅一千五百觔・白剛錫五百觔を装運し、一船の礼字第二百八十六号は硫黄六千三百觔・紅銅一千五百觔・白剛錫五百觔を載運し、前みて福建等処承宣布政使司に至って投納し、起送して京に赴き叩きて聖禧を祝らしめんとす。
所有の差去せる員役は、文憑無ければ以て各処の官軍の阻留して便ならざるを致すを恐る。合行しく符文を給発すべし。今、王府、礼字第二百八十四号半印勘合の符文一道を給して都通事の王邦選等に付し、収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海の巡哨官軍の験実に遇えば、即便に放行し、留難して遅悞するを得る毋からしめよ。
須らく符文に至るべき者なり。
計開す。
正使耳目官一員 毛嘉栄 人伴一十二名
副使正議大夫一員 鄭元偉 人伴一十二名
朝京都通事一員 王邦選 人伴七名
在船都通事二員 毛嘉梧/鄭元覲 人伴八名
在船使者四員 葛日茂 向建業/毛鴻勲 東順法 人伴一十六名
存留通事一員 魏学賢 人伴六名
在船通事一員 紅丕達 人伴四名
管船火長・直庫四名 鄭啓明 永利渡/鄭嘉政 常得順
水梢共〔 員名〕
右の符文は都通事王邦選等に付す。此れに准ぜられよ
道光二十四年(一八四四) 月 日

注(1)毛嘉栄 喜舎場親雲上。道光二十四年の進貢正使。
(2)鄭元偉 湖城親方(伊計親雲上)。久米村鄭氏。鄭嘉訓の次男。道光二十年、貢期復旧嘆願のため渡清。のち総理唐栄司となる。
(3)王邦選 一七九一年生まれ。久米村王氏(上運天家)九世。嘉慶十三年冊封の事務の加勢通事となる。同二十二年年勤学人として福州へ赴き、二十五年帰国(『家譜(二)』二一頁)。
(4)鄭元覲 一七八九~一八五一年。久米村鄭氏(古波蔵家)十七世。古波蔵親方。鄭嘉訓の長男。道光十三年存留通事、同二十四年進貢都通事、同二十八年進貢副使、正議大夫となる(『家譜(二)』六二九頁)。
(5)葛日茂 道光二十一年、同二十四年進貢の使者。首里葛氏。
(6)向建業 道光二十四年進貢の使者。首里向氏。
(7)毛鴻勲 道光二十四年進貢の使者。首里毛氏。
(8)東順法 一七九二年生まれ。安仁屋里之子親雲上政輔。首里東氏(津波古家)十二世。道光十一年護送船脇筆者、同二十四年進貢二号船の官舎として中国に赴く。道光年間英語通訳として活躍。
(9)魏学賢 久米村魏氏。道光十七年江戸上り使節の楽師、同二十四年存留通事となる。
(10)紅丕達 一七八四年生まれ。久米村紅氏(和宇慶家)十三世。中議大夫。道光二十一年、二十三年久米村総与頭を務める。同二十四年進貢使節の脇通事となる(『家譜(二)』二三一頁)。
(11)鄭啓明 一七九一~一八五七年。久米村鄭氏(池宮城家)十七世。道光二十四年進貢頭号船総官、同二十七年都通事となる(『家譜(二)』五八六頁)。
(12)永利渡 道光二十四年の管船直庫。同二十六年、二十八年にも管船直庫となっている。
(13)鄭嘉政 外間里之子親雲上か。咸豊二年、石垣島に漂着した英船の中国人を護送するため、都通事として中国に渡っている(『中山世譜』巻十三)。
(14)常得順 道光二十四年の管船直庫。道光二十一年漂着中国人護送船、同二十六年、二十八年にも管船直庫となっている。
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