琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ

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資料詳細

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1-16-24 国王尚巴志より礼部あて、謝恩の進貢の事、内官柴山の非違不法の事などの咨(一四三四、八、一五)
琉球国中山王尚巴志、謝恩等の事の為にす。
今、各件の合に各々行うべき事理を将て開坐し移咨す。施行せよ。須らく咨に至るべき者なり。
計
一件、謝恩の事。切に照らすに、前に欽んで差わせる者南米結制等、外国に存在するを除くの外、今、長史梁求保・使者領沙毎等を遣わし、前項の表箋文各一通を齎捧し、并びに各件の奏啓本を齎し、及び勇字等号海船二隻に坐駕し、具に馬三十匹・硫黄三万斤を装載し、管送して京に赴き謝恩せしむ。咨して施行を請う。
一件、開読の事。宣徳八年(一四三三)六月二十二日、欽差の内官柴山等、勅諭を齎捧して国に到るを蒙り、開読するに、并びに勅諭一通を遣わす。王、宜しく人を遣わし齎去せしめ日本国王に与うべし。其れをして遣使して往来和好し、及び売買生理して、同に太平の福を享けしめよ、とあり。此れを欽む。欽遵して、即日、又欽差の内官柴山等の説を承准するに、就ち来船三隻を駕して、買辦完るの日、同に日本国に去きて開読せんとす、と。除外に縁りて欽承の官銭にて買辦せる屛風等の件、并びに自進の方物は、欽差の内官柴山・内使阮漸等の船三隻に装載す。事完りて、宣徳九年五月初一日、即ち使者南米結制等を差わし、通事李敬及び撰撥の火長并びに精装の人等七十名、及び米糧等の物と同に各船に分装し、勅諭一通を齎捧し、欽差の内官柴山等の船三隻に随同して附搭し護送して、日本国王の処に前往して開読せしむ。行うの間、欽差の内官柴山等、勅諭を取請し、就ち留め自ら収めて船に在らしむるを蒙るの外、後に詞を変じ、日本国に去きて開読せず、我、回還せんとす、と言説するを蒙る。然れども此に今見に、南風にして是れ回還の時月ならず。以て累ねて使して再三告留するを行うの外、然る後、卑爵、山北に出往して海神を賽祭す。処るの間、通事鄭長等、前来して告報するに拠るに、本国の用うる所の其の僧、一名受林に奴婢八志羅有り。其の妻と本僧と通姦するを縦容し、却って乃ち本主を謀殺して身死せしむ。罪を負いて、欽差の内官柴山等の駅内に奔投し、船内に収留し匿帯するを蒙る。已に宣徳本年(一四三四)六月二十四日に開洋して去訖る、と。卑爵、切に思うに、本邦は洪武永楽年より来今に至るまで、聖朝に忠事し、朝貢は時を以てし、撫字すれば聴令し、敢えて聖恩を忘上れざるに縁り、切に見るに、欽差の内官柴山等、当先、買辦完るの日、同に日本国に去きて開読せんとす、と説う。本国、已に使を差わして勅諭を齎捧し随同して前往せしむるを定むるに至るに及ぶに、却って留阻を行う。又、今五月、我が本命を犯す等の詞を説称し、去きて開読せず、罪人を拐帯して径行に回還するに及び、却って以て前例を棄撇す。本国、来使もて護送し、并びに回文を齎して表箋を進御す。卑爵、敬事し礼待するに縁り、却って此の回は生事多般なるを蒙るも、敢えて訴を尽くさず。及び罪人は是れ本僧の奴に係わり、故に謀りて本主を殺死するの罪犯なれば当に誅すべし。仍お、本犯と来使を発りて領回するを乞うの外、前事を将て、今、長史梁求保、及び使者・通事・人等を遣わし、本奏・啓を齎捧せしむるの外、合に咨して知会すべし。咨して施行を請う。
一件、番貨の事。卑爵、所有の各船の附搭の蘇木は、煩為わくは便益ならしめんことを。咨して施行を請う。
右、礼部に咨す
宣徳九年(一四三四)八月十五日
咨
勇字一隻 通事李敬等、馬十匹・硫黄唐秤二万斤を装す
安字一隻 通事梁振等、馬二十匹・硫黄唐秤一万斤を装す

注(1)南米結制等、外国に存在 本文書の後半にもあるが、南米結制等は内官柴山等の船で宣徳九年五月二十日(〔一二-一〇〕参照)に出発して日本へ赴くはずのところ、予定を変更して六月二十四日に中国へ向かった。このとき南米結制等の齎捧していた文書が宣徳九年五月一日付の奏・啓〔一二-一〇〕〔一二-一一〕〔一二-一二〕および宣徳九年(月日なし)の咨〔一六-二二〕〔一六-二三〕である。つまり本文書の作成時に、南米結制は国外にいた。
(2)開読の事 この件については〔一二-一三〕がほぼ同文である。
(3)本奏・啓〔一二-一三〕。
(4)唐秤 ここでは生硫黄を持参し、それを中国で煎熟した結果が二万斤になる、という表現で、〔一六-二〇〕などの官報に同じか。また〔一七-一〇〕注(2)を参照。
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