琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ

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資料詳細

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2-82-14 世孫尚温の、進貢のため耳目官向文鳳等を派遣するむねの符文(乾隆五十九《一七九四》)
琉球国中山王世孫尚(温)、進貢の事の為にす。
照得するに、敝国は世々天朝の洪恩に沐す。会典に遵依して二年一貢なること、欽遵して案に在り。茲に乾隆五十九年の進貢の期に当たり、特に耳目官向文鳳・正議大夫鄭作霖・都通事曾謨等を遣わし、表章を齎捧し、海船二隻に坐駕し、官伴・水梢共に一百九十八員名を率領するの外、報喪使の正議大夫鄭国枢一員・跟伴一十二名を附搭し、共計二百十一員名なり。煎熟硫黄一万二千六百觔・紅銅三千觔・煉熟白剛錫一千觔を装運し、両船に分載す。一船は礼字第一百五十号、煎熟硫黄六千三百觔・紅銅一千五百觔・煉熟白剛錫五百觔を装載す。一船は礼字第一百五十一号、煎熟硫黄六千三百觔・紅銅一千五百觔・煉熟白剛錫五百觔を装載す。前みて福建等処承宣布政使司に至りて投納し、起送して京に赴きて聖禧を叩祝せんとす。
所有の差去せる員役は、文慿無ければ、以て各処の官軍の阻留して便ならざるを致すを恐る。此れが為に王府、礼字第一百四十九号の半印勘合符文一道を給発し、都通事曾謨等に付し、収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海の巡哨官軍の験実に遇えば、即便に放行し、留難し遅悞するを得ること毋からしめよ。須らく符文に至るべき者なり。
計開
耳目官一員    向文鳳    人伴一十二名
正議大夫一員   鄭作霖    人伴一十二名
正議大夫一員   鄭国枢    人伴一十二名
都通事一員    曾謨     人伴七名
在船都通事二員  梁憲/林家椿 人伴八名
在船使者四員 向士傑 麻永茂/向天禧 豊𣴎祜 人伴一十六名
存留通事一員   鄭永泰    人伴六名
在船通事一員   紅之謨    人伴四名
管船火長・直庫四名
水梢共
右の符文は都通事曾謨等に付し、此れを准けしむ
乾隆五十九年(一七九四)

注(1)林家椿 長嶺通事親雲上(『家譜(二)』九二七頁、毛日新の譜)。『宝案』では乾隆五十九年の在船都通事、嘉慶三年の具結状で長史、嘉慶十一年の具結状で正議大夫として名がみえる。
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TEL:098-888-3939 / FAX:098-888-3944
MAIL:aa318005@pref.okinawa.lg.jp

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