历史年表
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- 中国:年
- 日本:年
- 琉球:年
1243年
- 中国:淳祐3年
- 日本:寛元1年
- 琉球:舜馬順煕6年
【琉球】
長崎の渡宋者一行,「流球」に漂着(『漂到流球国記』).
1260年
- 中国:景定1/中統1年
- 日本:文応1年
- 琉球:英祖1年
【その他】
モンゴル帝国,フビライ即位.
1261年
- 中国:景定2/中統2年
- 日本:弘長1年
- 琉球:英祖2年
【琉球】
この頃,英祖王が極楽山に墓を築く(浦添ようどれ).
1265年
- 中国:至元2年
- 日本:文永2年
- 琉球:英祖6年
【琉球】
この頃(咸淳年間,1265~78),僧禅鑑浦添に極楽寺を建立.
1266年
- 中国:至元3年
- 日本:文永3年
- 琉球:英祖7年
【琉球】
大島諸島(奄美),中山に入貢.
1271年
- 中国:至元8年
- 日本:文永8年
- 琉球:英祖12年
【中国】
モンゴル,国号を元と称す.
1274年
- 中国:至元11年
- 日本:文永11年
- 琉球:英祖15年
【日本】
文永の役(元寇).
1279年
- 中国:至元16年
- 日本:弘安2年
- 琉球:英祖20年
【中国】
元朝,南宋を滅ぼす.
1281年
- 中国:至元18年
- 日本:弘安4年
- 琉球:英祖22年
【日本】
弘安の役(元寇).
1291年
- 中国:至元28年
- 日本:正応4年
- 琉球:英祖32年
【琉球】
世祖(フビライ),楊祥率いる6000の軍を「瑠求」に派兵するが失敗(『元史』).
1293年
- 中国:至元30年
- 日本:永仁1年
- 琉球:英祖34年
【東南アジア】
マジャパヒト王国成立.
1296年
- 中国:元貞2年
- 日本:永仁4年
- 琉球:英祖38年
【琉球】
成宗(テムル),張浩に命じて再び「瑠求」に派兵するが失敗,130人余を捕虜にして引きあげる(『元史』).
1299年
- 中国:大徳3年
- 日本:正安1年
- 琉球:英祖41年
【その他】
オスマン朝成立.
1314年
- 中国:延祐1年
- 日本:正和3年
- 琉球:玉城1年
【琉球】
この頃から三山対立.
1338年
- 中国:至元4年
- 日本:延元3年
- 琉球:西威2年
【日本】
足利尊氏,室町幕府を開く.
1339年
- 中国:至元5年
- 日本:延元4年
- 琉球:西威3年
【その他】
英仏百年戦争(~1453).
1351年
- 中国:至正11年
- 日本:正平6年
- 琉球:察度2年
【中国】
紅巾の乱(~1466).
【東南アジア】
アユタヤ朝成立.
1368年
- 中国:洪武1年
- 日本:正平23年
- 琉球:察度19年
【中国】
明朝成立.
1369年
- 中国:洪武2年
- 日本:正平24年
- 琉球:察度20年
【中国】
明の太祖(洪武帝),楊載を大宰府に遣わし,倭寇禁止と朝貢を要求.
1370年
- 中国:洪武3年
- 日本:建徳1年
- 琉球:察度21年
【その他】
ティムール朝成立.
1371年
- 中国:洪武4年
- 日本:建徳2年
- 琉球:察度22年
【日本】
懐良親王,祖来を使者として明朝に入貢する.
1372年
- 中国:洪武5年
- 日本:文中1年
- 琉球:察度23年
【琉球】
10.30[9.22]明の太祖(洪武帝),楊載を遣わし琉球に朝貢をうながす.
【中国】
明の太祖,倭寇対策として浙江・福建沿海の9ヶ所の衛に命じて,海舟660艘を建造する.
1373年
- 中国:洪武6年
- 日本:文中2年
- 琉球:察度24年
【琉球】
1.23[洪武5.12.29]中山王察度の弟の泰期等が入貢.
1374年
- 中国:洪武7年
- 日本:文中3年
- 琉球:察度25年
【琉球】
12.2[10.28]中山王察度,弟の泰期等を遣わし入貢.大統暦および幣帛を下賜される.
【中国】
市舶司(泉州・明州・広州)を廃止し,海禁を厳格化し倭寇に備える.
1375年
- 中国:洪武8年
- 日本:文中1年
- 琉球:察度26年
【琉球】
1.26[洪武7.12.24]明の太祖(洪武帝),琉球に刑部侍郎の李浩を遣わし,陶器約7万・鉄釜約1000をもって馬を購入することを命じる.
1376年
- 中国:洪武9年
- 日本:天授2年
- 琉球:察度27年
【琉球】
4.19[4.1]李浩等,琉球より馬40匹・硫黄5000斤を購入して帰る.中山王察度,弟の泰期等を遣わし入貢.
1377年
- 中国:洪武10年
- 日本:天授3年
- 琉球:察度28年
【琉球】
2.[洪武10.1]慶賀のため,中山王察度が弟の泰期等を遣わし,馬16匹・硫黄1000斤を貢す.
1378年
- 中国:洪武11年
- 日本:天授4年
- 琉球:察度29年
【琉球】
5.31[5.5](中山)使節が入貢.
1382年
- 中国:洪武15年
- 日本:弘和2年
- 琉球:察度33年
【琉球】
2.18[2.15](中山)王弟の泰期等が,馬・硫黄を貢す.明の太祖(洪武帝),路謙に進貢使を琉球まで送らせる.路謙,明に帰り三山の抗争を報告.
1383年
- 中国:洪武16年
- 日本:弘和3年
- 琉球:察度34年
【琉球】
2.3[1.1](中山)使者の亜蘭匏等,(山南)使者の師惹等が入貢.2.5[1.3]中山に鍍金銀印が授けられる.
1384年
- 中国:洪武17年
- 日本:元中1年
- 琉球:察度35年
【琉球】
1.8[12.15](山北)使者の摸結習等が入貢.
1.23[1.1](中山・山南・山北)使節が入貢.
6.19[6.1](中山)使者の阿不耶等が入貢.
【中国】
倭寇・海賊対策として沿岸に城塞を建設する.
1385年
- 中国:洪武18年
- 日本:元中2年
- 琉球:察度36年
【琉球】
2.10[1.1](中山)慶賀使節が方物を貢す.
2.14[1.5]山南・山北王に駝紐鍍金銀印が授けられ,中山・山南へ海船各1隻が授けられる.
1386年
- 中国:洪武19年
- 日本:元中3年
- 琉球:察度37年
【琉球】
2.3[1.4](中山)使者の亜蘭匏等が入貢.
1387年
- 中国:洪武20年
- 日本:元中4年
- 琉球:察度38年
【琉球】
2.28[2.10](中山)使者の亜蘭匏等が入貢.
【中国】
この頃,倭寇・海賊対策として島嶼・沿岸部住民の移住政策を実施.
1388年
- 中国:洪武21年
- 日本:元中5年
- 琉球:察度39年
【琉球】
1.10[12.1]慶賀のため(山南)使者の耶師姑等が方物を貢す.
2.8[1.1](山南)王叔の汪英紫等が入貢.
2.20[1.13](山北)使節が入貢.
3.4[1.26](中山)使者の亜蘭匏等が入貢.
10.16[9.16]慶賀のため(中山,山北)使者の甚模結致等が方物を貢す.
1389年
- 中国:洪武22年
- 日本:元中6年
- 琉球:察度40年
【琉球】
中山王(察度),完玉之を高麗に派遣.
【朝鮮】
高麗,報聘使の金允厚等を琉球に派遣.
1390年
- 中国:洪武23年
- 日本:元中7年
- 琉球:察度41年
【琉球】
2.11[1.26]慶賀のため(中山)使者の亜蘭匏等,(山北)李仲等が方物を貢す.
宮古・八重山はじめて中山に入貢(『八重山島年来記』).
中山王(察度),高麗へ使者派遣.
1391年
- 中国:洪武24年
- 日本:元中8年
- 琉球:察度42年
【琉球】
3.27[2.22](中山)使者の亜蘭匏等が入貢.
9.29[9.1]慶賀のため(山南)使者の耶師姑等が方物を貢す.
中山王・山南王が寨官の子弟らの国子監入学を許可される(『南雍志』).
1392年
- 中国:洪武25年
- 日本:元中9年
- 琉球:察度43年
【琉球】
5.24[5.3](中山)使者の渥周結致等が入貢し,日孜毎・濶八馬・仁悦慈が官生として国子監に入学.
12.1[11.17]慶賀のため(中山)使者の察都等が方物を貢す.
12.27[12.14](山南)使者の南都妹等が入貢.従子の三五郎尾・寨官の子の賀段志等は官生として国子監に入学.
この頃,閩人三十六姓下賜.
【日本】
足利義満により南北朝統一.
【朝鮮】
高麗滅亡.李成桂,朝鮮(李氏朝鮮)建国.
1393年
- 中国:洪武26年
- 日本:明徳4年
- 琉球:察度44年
【琉球】
3.1[1.18](中山)使者の麻州等が入貢.
5.27[4.17](中山)使者の寿礼結致等が入貢.あわせて寨官の子の段志毎が官生として国子監に入学.
7.5[5.26](山南)使者の不里結致等が入貢.
1394年
- 中国:洪武27年
- 日本:応永1年
- 琉球:察度45年
【琉球】
2.25[1.25](中山)使者の亜蘭匏等が入貢.
1395年
- 中国:洪武28年
- 日本:応永2年
- 琉球:察度46年
【琉球】
1.22[1.1](山北)使節が入貢.
【琉球】
2.[1.](山南)使者の耶師姑等,(中山)亜蘭匏等が入貢.
4.26[4.7](中山)使者の亜撤都等が入貢.
1396年
- 中国:洪武29年
- 日本:応永3年
- 琉球:武寧1年
【琉球】
2.19[1.10](山北)使者の善佳古耶等,(中山)程復等が入貢.
5.27[4.20](中山)使者の隗谷結致等,(山南)呉宜堪弥結致等が入貢.
12.24[11.24](山北)使者の善佳古耶等,(中山)蔡奇阿教耶等が入貢.あわせて中山王,寨官の子の麻奢理・誠志魯は官生として国子監に入学.
1397年
- 中国:洪武30年
- 日本:応永4年
- 琉球:武寧2年
【琉球】
3.2[2.3](中山)使者の友賛結致等,(山北)恰宜斯耶等,(山南)渥周結致等が入貢.
1398年
- 中国:洪武31年
- 日本:応永5年
- 琉球:武寧4年
【琉球】
1.3[洪武30.12.15]使者の(山北)恰宜斯耶等,(中山)友賛結致等が入貢.
1.26[1.8](山北)使節が入貢.
3.19[3.1](中山)使者の亜蘭匏等が入貢.
4.17[4.1](中山)使者の鴉勒佳稽等が入貢.
4.29[4.13](中山)使者の阿不耶等が入貢.
1400年
- 中国:建文2年
- 日本:応永7年
- 琉球:武寧5年
【琉球】
中山王(察度),朝鮮へ使者を派遣(『朝鮮王朝実録』).
1401年
- 中国:建文3年
- 日本:応永8年
- 琉球:武寧6年
【日本】
日明貿易始まる(一時中断をはさみ1547年まで).
1403年
- 中国:永楽1年
- 日本:応永10年
- 琉球:武寧8年
【琉球】
3.14[2.22]慶賀のため(中山)使者の三五郎亹等が方物を貢す.
3.31[3.9]慶賀のため(山北)使者の善佳結致等が方物を貢す.
4.5[3.14](中山,山南)長史の王茂,使者の渥周結致等が入貢.
8.25[8.8]明の成祖(永楽帝),辺信と劉亢を遣わし琉球に物品を与える.
【中国】
浙江・福建・広東に市舶司を設置.
【琉球】
琉球船が武蔵国六浦に漂着(『南方紀伝』).
1404年
- 中国:永楽2年
- 日本:応永11年
- 琉球:武寧9年
【琉球】
3.31[2.21]中山の武寧,三五郎亹を明に派遣し,察度の訃を報告,武寧の襲封を請う.明の成祖(永楽帝),行人時中を冊封使として中山に遣わす(冊封の始め).
4.27[3.18](山北)使者の亜都結致等が入貢.
5.20[4.12]成祖,冊封使を派遣し汪応祖を山南王に封ずる.同年,(山南)使者の隗谷結致等が入貢.
5.23[4.15](中山)使節が入貢.
11.29[10.27](中山,山南)使節が入貢.
【日本】
日明間で勘合貿易始まる.
1405年
- 中国:永楽3年
- 日本:応永12年
- 琉球:武寧10年
【琉球】
4.7[3.9]謝恩のため(中山)使者の三五郎亹等が入貢.
4.29[4.1](山北)赤佳結制等が入貢.
5.10[4.12]慶賀のため(中山)使者の養埠結制等が方物を貢す.
5.16[4.18]謝恩のため(山南)使者の泰頼結制等が方物を貢す.
【中国】
鄭和の南海遠征(第1次 ~1407).以降,第7次まで派遣.
1406年
- 中国:永楽4年
- 日本:応永13年
- 琉球:尚思紹1年
【琉球】
1.16[永楽3.12.26]慶賀の使節(中山,山南,山北)が方物を貢す.
3.21[3.2](中山,山南)使者の三五郎亹等が入貢.あわせて寨官の子の石達魯等6人は官生として国子監に入学.
【中国】
永楽帝,足利義満に海寇討伐の功績として白金千両などを下賜.
【琉球】
尚巴志,中山王武寧を滅ぼし,父思紹を王とする(第一尚氏王統始まる).
1407年
- 中国:永楽5年
- 日本:応永14年
- 琉球:尚思紹2年
【琉球】
4.8[3.1](山南)使者の泰頼結制等が入貢.
5.18[4.11](中山)使者の三五郎亹等が入貢.中山王尚思紹より武寧の訃を知らせ,武寧の世子と称して襲封を請うための使者が入貢.成祖,冊封の詔を授ける.
鄭和の南海遠征(第2次 ~1409).
1408年
- 中国:永楽6年
- 日本:応永15年
- 琉球:尚思紹3年
【琉球】
4.22[3.26]謝恩のため(中山)使者の阿勃吾斯等,〓(くさかんむり+曳)達姑耶等(山南)が方物を貢す.
1409年
- 中国:永楽7年
- 日本:応永16年
- 琉球:尚思紹4年
【琉球】
4.25[4.11](中山)慶賀の使節が方物を貢す.
7.10[5.28](山南)使者の阿勃吾斯古等が入貢.
【中国】
鄭和の南海遠征(第3次 ~1411).
1410年
- 中国:永楽8年
- 日本:応永17年
- 琉球:尚思紹5年
【琉球】
4.8[3.5](中山)使者の三五郎亹等が入貢.
5.16[4.13]慶賀のため(中山,山南)使者の乃佳吾斯古等が方物を貢す.
7.6[6.5](中山)模都古等が官生として国子監に入学.
7.31[6.30](中山)使者の阿乃佳結制等が入貢.
1411年
- 中国:永楽9年
- 日本:応永18年
- 琉球:尚思紹6年
【琉球】
1.18[永楽8.12.24]慶賀のため(中山)使者の三五郎亹等が方物を貢す.
4.25[4.3](中山)長史の程復等が入貢.
7.16[6.26]謝恩のため(中山)使者の模都莆等が方物を貢す.
12.9[11.24](中山)使者の三五郎亹等が入貢.
中山王相の子の懐得と寨官の子の祖魯古が官生として国子監に入る(『南雍志』).
【日本】
足利義持,明との国交を断絶する.
1412年
- 中国:永楽10年
- 日本:応永19年
- 琉球:尚思紹7年
【琉球】
1.3[永楽9.閏12.17]慶賀のため(中山)使者の泰勃奇等が方物を貢す.
4.1[2.20](山南)使者の阿勃吾斯古等が入貢.
5.26[4.16]慶賀のため(中山)使者の坤宜堪弥等が方物を貢す.
1413年
- 中国:永楽11年
- 日本:応永20年
- 琉球:尚思紹8年
【琉球】
2.16[1.16](中山)使者の甚麻之里等が入貢.
3.3[2.2](中山)使者の恭勃奇等が入貢.あわせて寨官の子の鄔同志久・周魯毎・恰那晟其が官生として国子監に入学.
5.20[4.21](中山)使者の三五郎亹等,(山南)吾是佳結制等が入貢.
9.11[8.17](山南)使者の鄔剌誰結制等が入貢.
【中国】
鄭和の南海遠征(第4次 ~1415).
1414年
- 中国:永楽12年
- 日本:応永21年
- 琉球:尚思紹9年
【琉球】
1.8[永楽11.12.12]慶賀のため(中山)使者の威巴魯等が方物を貢す.
10.18[閏9.5](中山)使者の三五郎亹等が入貢.
山南王汪応祖,兄達勃期に殺されるが,諸按司が連合してこれを討ち他魯毎が山南王となる.
【日本】
将軍足利義持,尚思紹へ「りうきう国よのぬしへ」の文書送る(『運歩色葉集』).
1415年
- 中国:永楽13年
- 日本:応永22年
- 琉球:尚思紹10年
【琉球】
4.28[3.19](山南)使者の鄔是佳結制等が入貢し,襲封を請う.
5.27[4.19](中山,山北)使節が入貢.
6.19 [5.13] 冊封使の陳季芳来琉し,他魯毎を山南王に封ずる.
【琉球】
9.27[8.25](中山)使者の宜是結制等が入貢.
12.16[11.16](中山)使者の三五郎亹等が入貢.
1416年
- 中国:永楽14年
- 日本:応永23年
- 琉球:尚思紹11年
【琉球】
5.6[4.9](中山)使者の韓完義等,(山南)鄭義才等が入貢.
山北王攀安知,中山に滅ぼされる(『中山世譜』).
1417年
- 中国:永楽15年
- 日本:応永24年
- 琉球:尚思紹12年
【琉球】
5.14[4.28](中山,山南)使者の甚謾志里等が入貢.
9.16[8.6](中山)使者の亜勃結制等が入貢.
10.23[9.14](中山)使者の鄔梅住尼九等が入貢.
【中国】
鄭和の南海遠征(第5次 ~1419).
1418年
- 中国:永楽16年
- 日本:応永25年
- 琉球:尚思紹13年
【琉球】
3.11[2.14](中山)長史の懐機等が入貢.
6.5[5.2](琉球)使節が入貢.
12.3[11.6](中山)使者の阿乃住等が入貢.
1419年
- 中国:永楽17年
- 日本:応永26年
- 琉球:尚思紹14年
【琉球】
2.17[1.23](中山)使者の鄔梅住尼九等が入貢.
5.17[4.23](中山)使者の農巴魯尼等が入貢.
7.31[7.9](中山)使節が入貢.
シャム(暹羅)へ遣船(以後1570年まで58回).
【日本】
対馬,朝鮮の襲撃を受ける(応永の外寇).
1420年
- 中国:永楽18年
- 日本:応永27年
- 琉球:尚思紹15年
【琉球】
1.8[永楽17.12.23]慶賀のため(中山)使者の甚謾志里等が方物を貢す.
尚思紹から将軍足利義持に書状出す.
1421年
- 中国:永楽19年
- 日本:応永28年
- 琉球:尚思紹16年
【中国】
金陵(南京)より北京に遷都.
鄭和の南海遠征(第6次 ~1422).
1422年
- 中国:永楽20年
- 日本:応永29年
- 琉球:尚巴志1年
【琉球】
10.24[10.9](中山)使者の模都古等が入貢.
1423年
- 中国:永楽21年
- 日本:応永30年
- 琉球:尚巴志2年
【琉球】
9.14[8.10](中山)使者の阿不察都等が入貢.
1424年
- 中国:永楽22年
- 日本:応永31年
- 琉球:尚巴志3年
【琉球】
3.12[2.12](中山)思紹の訃を知らせる使節が入貢.
7.6[6.11](山南)使者の阿勃馬結制等が入貢.
8.31[8.8](中山)使者の鄭義才等が入貢.
9.29[9.7](中山)使者の安丹尼結制等が入貢.
1425年
- 中国:洪熙1年
- 日本:応永32年
- 琉球:尚巴志4年
【琉球】
1.12[永楽22.12.23](山南)使者の阿勃馬結制等が入貢.
2.18[2.1]冊封使の柴山来琉し,尚巴志を中山王に封ずる.
3.10[2.21](中山)通事の李傑等が入貢.
5.14[4.27]慶賀のため(中山)長史の鄔梅支等が方物を貢す.
8.14[閏7.1](中山)使者の佳期巴那等が入貢.
8.30[閏7.17]中山,慶賀のため王舅の模都古等を派遣する.
8.30[閏7.17]中山,進香のため長史の鄭義才等を派遣.中山,謝恩のため使者の実達魯等を派遣.
9.13[8.2](中山)使者の浮那姑是等が入貢.
中山,使者の佳期巴那等をシャムへ派遣.
中山,使者の浮那姑是等をシャムへ派遣.
[年代不詳]中山,使者の阿勃馬結制等をシャムへ派遣.
1426年
- 中国:宣徳1年
- 日本:応永33年
- 琉球:尚巴志5年
【琉球】
1.13[洪熙1.12.5](中山)使者の宋比結制等が入貢.
1.25[洪熙1.12.17]中山,進貢のため使者の浮那姑是等を派遣.
1.25[洪熙1.12.27]山南,進香のため使者の渭慈勃也等を派遣.
【中国】
7.5[6.1]内官の柴山を派遣し,尚巴志に皮弁冠服を授けること,生漆,磨刀石を銅銭で買いつけることを通達.
【琉球】
10.10[9.10]中山,使者の南者結制等をシャムへ派遣.
中山,慶賀のため使者の佳期巴那等を派遣.
1427年
- 中国:宣徳2年
- 日本:応永34年
- 琉球:尚巴志6年
【琉球】
5.13[4.17]中山,進貢のため使者の魏古渥制等を派遣.
10.7[9.17]中山,使者の実達魯等をシャムへ派遣.
1428年
- 中国:宣徳3年
- 日本:応永35年
- 琉球:尚巴志7年
【琉球】
1.30[1.14]中山,謝恩のため長史の鄭義才等を派遣.
7.5[6.1]中山,謝恩のため長史の梁回等を派遣.
10.10[9.2]中山,慶賀のため使者の漫泰来結制等を派遣.
10.10[9.2]中山,使者の浮那姑是等をシャムへ派遣.
11.1[9.24]中山,使者の実達魯等をパレンバンへ派遣.
【東南アジア】
ベトナム,黎氏大越国建国.
1429年
- 中国:宣徳4年
- 日本:永享1年
- 琉球:尚巴志8年
【琉球】
1.17[宣徳3.12.13]山南王他魯毎,進貢のため使者の歩馬結制等を派遣.
4.23[3.20]進貢のため使者の阿蒲察度等を派遣.
5.28[4.26](中山)使者の郭伯慈毎等,(山南)通事の梁密祖等が入貢.
11.6[10.10]慶賀のため使者の佳期巴那等を派遣.
11.6[10.10]使者の有南結制等をシャムへ派遣.
山南王,中山に滅ぼされ三山統一(『中山世譜』).
1430年
- 中国:宣徳5年
- 日本:永享2年
- 琉球:尚巴志9年
【東南アジア】
4.13[3.21]シャム,中山へ返礼の品を贈る.
【琉球】
11.3[10.18]使者の南者結制等をジャワへ派遣.
11.3[10.18]王相懐機,使者の歩馬結制等をパレンバンへ派遣.
11.3[10.18]王相懐機,使者の達且尼等をパレンバンへ派遣.
中山王,明に三山統一を告げ勅語を受ける.
【琉球】
宣宗の使者(柴山・阮漸)が来琉し,中山王に尚姓を与える.柴山,大安禅寺を建てる.
鄭和の南海遠征(第7次 ~1433).
1431年
- 中国:宣徳6年
- 日本:永享3年
- 琉球:尚巴志10年
【琉球】
1.5[宣徳5.12.22]使者の頭目阿普察都等,日本から屏風・生漆などを買い付けて帰国する際に与論島付近で破船.
4.30[3.19]謝恩のため使者の由南結制等を派遣.
5.21[4.10]謝恩のため王舅の郭祖毎等を内官柴山の船に乗せて派遣.
10.8[9.3]使者の郭伯茲毎等をシャムへ派遣.
10.11[9.6]慶賀のため使者の漫泰来結制等を派遣.
10.11[9.6]進貢のため使者の阿蒲察度等を派遣.
1432年
- 中国:宣徳7年
- 日本:永享4年
- 琉球:尚巴志11年
【琉球】
1.[宣徳6.12.]使者の夏礼久等を日本国対馬州からの来船に乗せて朝鮮へ派遣.
2.27[1.26]柴山来琉し,日本への書状を尚巴志に託す.
9.10[8.16]謝恩のため使者の物志麻等を派遣.
10.2[9.9]使者の由南結制等をシャムへ派遣.
10.23[9.30]使者の歩馬結制等をシャムへ派遣.
【日本】
足利義教,勘合貿易を再開する.
1433年
- 中国:宣徳8年
- 日本:永享5年
- 琉球:尚巴志12年
【琉球】
10.30[9.18]使者の均周佳等をシャムへ派遣.
10.30[9.18]使者の益沙毎等をシャムへ派遣.
11.14[10.3]使者の阿蒲察度等をシャムへ派遣.
柴山来琉し,千仏霊閣を創建する(「千佛霊閣碑記」).
1434年
- 中国:宣徳9年
- 日本:永享6年
- 琉球:尚巴志13年
【琉球】
4.16[3.8]使者の歩馬結制等が入貢.
4.[3.]謝恩のため使者の揚布勃也等を派遣.
5.27[3.29]使者の義魯結制等が入貢.
6.7[5.1]謝恩のため使者の南米結制等を内官の柴山の船に乗せて明へ派遣.
9.17[8.15]謝恩のため長史の梁求保等を明へ派遣.
10.28[9.26]使者の歩馬結制等をシャムへ派遣.
10.28[9.26]使者の阿普尼是等をシャムへ派遣.
1435年
- 中国:宣徳10年
- 日本:永享7年
- 琉球:尚巴志14年
【琉球】
2.17[1.20]進貢のため使者の伍是堅等を派遣.
10.3[9.12]使者の阿普尼是等をシャムへ派遣.
慶賀のため使節を明へ派遣.
謝恩のため使節を明へ派遣.
1436年
- 中国:正統1年
- 日本:永享8年
- 琉球:尚巴志15年
【琉球】
3.8[2.21]陪臣の程安等が入貢.
3.18[3.1]使者の漫泰来結制等が入貢.
9.8[7.28]長史の梁求保等が入貢.
11.2[9.24]謝恩のため使者の阿普尼(礼)是等を派遣.明帝より大統暦を賜る.
11.9[10.1]使者の欲沙毎等をシャムへ派遣.
【日本】
足利義教,尚巴志に進上物の礼状送る.
1437年
- 中国:正統2年
- 日本:永享9年
- 琉球:尚巴志16年
【琉球】
4.28[3.23]進貢のため長史の梁求保等を派遣.
9.15[8.16]使者の歩馬結制等をシャムへ派遣.
9.15[8.16]使者の欲沙毎等をシャムへ派遣.
1438年
- 中国:正統3年
- 日本:永享10年
- 琉球:尚巴志17年
【琉球】
10.22[10.4]慶賀のため長史の梁求保等を派遣.
10.22[10.4]使者の明泰等をシャムへ派遣.
10.22[10.4]王相懐機,使者の阿普尼是等をパレンバンへ派遣.
進貢のため使者の義魯結制等を派遣.
使者の歩馬結制等をジャワへ派遣.
1439年
- 中国:正統4年
- 日本:永享11年
- 琉球:尚巴志18年
【琉球】
4.19[3.6]補貢のため使者の阿普礼是等を派遣.
5.21[4.9]慶賀のため長史の梁求保等を派遣.
5.21[4.9]使者の欲沙毎等をシャムへ派遣.
6.5[4.24]進貢のため使者の歩馬結制等を派遣.
10.11[9.4]使者の李敬等が入貢.
【日本】
足利義教,尚巴志に進上物の礼の書状送る.
1440年
- 中国:正統5年
- 日本:永享12年
- 琉球:尚忠1年
【琉球】
11.10[10.16]進貢のため長史の梁求保等を派遣.
11.10[10.16]使者の楊布勃也等をジャワへ派遣.
王相懐機,使者の伍実佳勃也等をパレンバンへ派遣.
1441年
- 中国:正統6年
- 日本:嘉吉1年
- 琉球:尚忠2年
【琉球】
5.9[4.19]使者の阿普斯古等をジャワへ派遣.
7.23[7.6]進貢のため長史の梁求保等を派遣.
7.23[7.6]慶賀のため使者の達福期等を派遣.
7.23[7.6]長史の達福期等をジャワへ派遣.
【日本】
この年,島津忠国が足利義教から琉球を下賜されたとの言説伝わる(嘉吉附庸説).
1442年
- 中国:正統7年
- 日本:嘉吉2年
- 琉球:尚忠3年
【琉球】
10.13[9.10]慶賀のため使者の明泰等を派遣.
11.7[10.5]使者の阿普斯古等をシャムへ派遣.
11.7[10.5]使者の楊布等をジャワへ派遣.
1443年
- 中国:正統8年
- 日本:嘉吉3年
- 琉球:尚忠4年
【琉球】
冊封使の余忭・副使の劉遜来琉し,尚忠を中山王に封ずる(『中山世鑑』).
1444年
- 中国:正統9年
- 日本:文安1年
- 琉球:尚忠5年
【琉球】
3.19[2.30]長史の梁求保等が入貢.
5.5[4.18]使者の梁回等が入貢.
5.26[5.9]通事の蔡譲等が入貢.
8.6[7.23]使者の伍是佳美等が入貢.
1446年
- 中国:正統11年
- 日本:文安3年
- 琉球:尚思達2年
【琉球】
3.9[2.12]使者の阿普斯古等が入貢.
5.22[4.27]琉球国使節が入貢.
6.29[6.6]慶賀のため使者の伍是佳美等が方物を貢す.
1447年
- 中国:正統12年
- 日本:文安4年
- 琉球:尚思達3年
【琉球】
2.26[2.12]使者の程安等が入貢.
3.1[2.15]報喪,請封のため長史の梁球等が方物を貢す.
6.13[5.1]通事の蔡譲等が入貢.
1449年
- 中国:正統14年
- 日本:宝徳1年
- 琉球:尚思達5年
【琉球】
3.24[3.1]使者の梁同等が入貢.
9.16[8.30]中山使臣の馬権度等が入貢.
9.19[9.3]使者の蔡寧等が入貢.
1450年
- 中国:景泰1年
- 日本:宝徳2年
- 琉球:尚金福1年
【琉球】
1.25[1.12]使者の百桂尼等が入貢.
4.26[3.15]使臣の馬権度等が入貢.
9.29[8.24]使者の梁回等が入貢.
朝鮮人の丁禄・万年,臥蛇島に漂着(『朝鮮王朝実録』),見聞記を残す.
1451年
- 中国:景泰2年
- 日本:宝徳3年
- 琉球:尚金福2年
【琉球】
2.16[1.15]使者の王察都等,通事の李敬等の船に乗り帰国することを命じられる.
3.25[2.23]使者の王察都等が入貢.
5.3[4.3]使者の亜間美等が入貢.
国相懐機,長虹堤を築き,長寿寺建立(『中山世譜』).
【日本】
細川勝元,琉球使船の商品を押留.
1452年
- 中国:景泰3年
- 日本:享徳1年
- 琉球:尚金福3年
【琉球】
3.28[3.8]使者の亜間美等が入貢.
6.6[5.19]通事の李敬等が入貢.
10.6[9.24]通事の蔡譲等が入貢.
冊封使の陳謨・副使の薫守宏来琉し,尚金福を中山王に封ずる(『中山世鑑』).
1453年
- 中国:景泰4年
- 日本:享徳2年
- 琉球:尚金福4年
【琉球】
4.18[3.10]使者の呉斉等が入貢.
5.29[4.21]通事の馬俊等が入貢.
7.31[6.26]使者の蔡寧等が入貢.
9.18[8.16]通事の程鴻等が入貢.
志魯・布里の乱で,首里城が炎上し鍍金銀印など焼失.
漂流朝鮮人丁禄・万年を送還するため道安が朝鮮へ派遣される.
【その他】
オスマン帝国,コンスタンティノープルを占領.ビザンツ帝国滅亡.
1454年
- 中国:景泰5年
- 日本:享徳3年
- 琉球:尚泰久1年
【琉球】
3.16[2.18]琉球国使節入貢し,志魯・布里の乱を告げ襲封を請う.
9.26[9.5]使者の蔡寧等が入貢.
尚泰久即位.景泰年間,芥隠来琉し天龍寺・普門寺を建立.
1455年
- 中国:景泰6年
- 日本:康正1年
- 琉球:尚泰久2年
【琉球】
3.2[2.14]使者の梁回等が入貢.
4.6[3.20]琉球国王姪(使節)尚伯礼が入貢.
5.2[4.16]冊封使の厳誠・副使の劉倹来琉し,尚泰久を王に封ずる.
6.1[5.17]通事の馬俊等が入貢.
朝鮮に大蔵経を求める(使者道安).
1456年
- 中国:景泰7年
- 日本:康正2年
- 琉球:尚泰久3年
【琉球】
4.9[3.5]琉球国使節が入貢.
天尊廟,万寿寺の鐘鋳造.
【朝鮮】
久米島に朝鮮人の梁成・高石寿漂着(『朝鮮王朝実録』),見聞記を残す.
1457年
- 中国:天順1年
- 日本:長禄1年
- 琉球:尚泰久4年
【琉球】
3.19[2.24](中山)謝恩の使節が方物を貢す.
4.11[3.18]使者の程鵬等が入貢.
漂流朝鮮人の韓金光ら11人を送還するため道安が朝鮮に派遣され,そのまま帰化する.
1458年
- 中国:天順2年
- 日本:長禄2年
- 琉球:尚泰久5年
【琉球】
1.23[1.9]通事の程鴻等が入貢.
2.19[2.6]使者の呉是堪美等が入貢.
3.20[閏2.6]使者の衛農是等が入貢.
【朝鮮】
8.12[7.7]朝鮮国王李瑈,返礼の書簡を贈る.
【琉球】
護佐丸・阿麻和利の乱.万国津梁の鐘を首里城正殿に懸ける.
1459年
- 中国:天順3年
- 日本:長禄3年
- 琉球:尚泰久6年
【琉球】
3.30[2.26]使者の李敬等が入貢.
9.1[8.5]使者の亜羅桂其等が入貢.
金丸,御鎖側官に任ぜられる.
1461年
- 中国:天順5年
- 日本:寛正2年
- 琉球:尚徳1年
【琉球】
3.30[2.19]使者の王察等が入貢.
尚泰久,普須古・蔡璟を朝鮮に派遣.同年,尚徳即位.鬼界島,琉球国に背く.
【日本】
この春,島津忠国,琉球渡航を企図し一乗院に太刀を寄進.
1462年
- 中国:天順6年
- 日本:寛正3年
- 琉球:尚徳2年
【琉球】
3.25[2.25]使者の程鵬等が入貢.
4.9[3.10]琉球国使節が入貢.
5.25[4.26]冊封使の潘栄・副使の蔡哲来琉し,尚徳を王に封ずる.
肖得誠ら朝鮮人8人宮古島に漂着し,1か月滞在(『朝鮮王朝実録』),のちに見聞記を残す.
1463年
- 中国:天順7年
- 日本:寛正4年
- 琉球:尚徳3年
【琉球】
2.26[2.9]使者の崇嘉山等が入貢.
9.16[8.4]謝恩のため王舅の王察都等が進貢.
9.16[8.4]使者の呉実堅等をマラッカへ派遣(以降1511年まで20回).
9.16[8.4]使者の達古是等をスマトラへ派遣.
1464年
- 中国:天順8年
- 日本:寛正5年
- 琉球:尚徳4年
【琉球】
9.10[8.9]慶賀のため王弟の尚武等を派遣.
9.10[8.9]使者の亜斯美等をシャムへ派遣.
9.10[8.9]使者の達古是等をシャムへ派遣.
9.10[8.9]使者の読詩等をマラッカへ派遣.
1465年
- 中国:成化1年
- 日本:寛正6年
- 琉球:尚徳5年
【琉球】
9.5[8.15]進貢のため正議大夫の程鵬等を派遣.
9.5[8.15]使者の崇嘉山等をシャムへ派遣.
9.5[8.15]使者の阿普察都等をマラッカへ派遣.
通事金鏘,閩ではじめて暦法を学ぶ(『琉球国由来記』).
1466年
- 中国:成化2年
- 日本:文正1年
- 琉球:尚徳6年
【東南アジア】
4.23[3.20]マラッカ,琉球国王へ返礼の書簡を送る.
【琉球】
11.9[10.2]進貢のため長史の蔡璟等を派遣.
尚徳王,鬼界島に遠征し,凱旋して八幡宮を建立する.
琉使芥隠,将軍足利義政に謁見.天界寺に大宝殿を建てる.
1467年
- 中国:成化3年
- 日本:応仁1年
- 琉球:尚徳7年
【琉球】
9.7[8.9]謝恩のため正議大夫の程鵬等を派遣.
9.[8.]使者の鄔普察都等をスマトラへ派遣.
9.[8.]使者の沈満布等をマラッカへ派遣.
朝鮮にオウム,クジャクを贈り,返礼として方冊蔵経を贈られる(『朝鮮王朝実録』).
【日本】
応仁の乱(~1477).
1468年
- 中国:成化4年
- 日本:応仁2年
- 琉球:尚徳8年
【琉球】
9.1[8.15]進貢のため長史の蔡璟等を派遣.
9.1[8.15]使者の巴那仕古等をスマトラへ派遣.
11.2[10.18]使者の読詩等が入貢.
金丸,隠退する.
1469年
- 中国:成化5年
- 日本:文明1年
- 琉球:尚徳9年
【琉球】
2.7[1.26]使者の安遠路等をマラッカへ派遣.
9.20[8.15]進貢のため正議大夫の程鵬等を派遣.
9.20[8.15]使者の読詩等をシャムへ派遣.
尚徳王薨去.
【中国】
市舶司が泉州から福州に移り,この頃から福州の柔遠駅(琉球館)が入貢の拠点となる.
1470年
- 中国:成化6年
- 日本:文明2年
- 琉球:尚円1年
【琉球】
3.24[2.22]正議大夫の程鵬による賄賂事件おこるも赦される.
【東南アジア】
4.[3.]マラッカ,琉球国王へ返礼と琉球人の非行の是正を求める書簡を贈る.
【琉球】
10.1[9.7]謝恩のため長史の蔡璟等を派遣.
使者の安遠路等をマラッカへ派遣.
金丸,王位に就き尚円と号し,第二尚氏王統が始まる.
1471年
- 中国:成化7年
- 日本:文明3年
- 琉球:尚円2年
【琉球】
4.27[4.08]蔡璟の禁制衣服の私造事件おこる.
6.30[6.13]冊封使の官栄・副使の韓文来琉し,尚円を国王に封ずる.
【琉球】
9.[9.]通事の林昌等をマラッカへ派遣.
【日本】
室町幕府,島津氏に琉球渡海朱印状を所持しない貿易船の取り締まりを許可する.
【朝鮮】
申叔舟『海東諸国紀』を著す.
1472年
- 中国:成化8年
- 日本:文明4年
- 琉球:尚円3年
【琉球】
3.30[2.21]琉球国長史の梁応等が入貢.
10.21[9.20]使者の王達路等をマラッカへ派遣.
10.29[9.28]謝恩のため王舅の武実等を派遣.
10.29[9.28]使者の沈満志等をマラッカへ派遣.
[年代不詳]使者の王宝等をシャムへ派遣.
【日本】
島津氏,琉球国来聘の謝問使を送る.
1474年
- 中国:成化10年
- 日本:文明6年
- 琉球:尚円5年
【中国】
【琉球】
10.13[9.3]琉球国,謝恩のため正議大夫の程鵬等を派遣.
1475年
- 中国:成化11年
- 日本:文明7年
- 琉球:尚円6年
【東南アジア】
4.11[3.2]マラッカ,交趾で遭難した琉球人を送還.
【琉球】
謝恩のため長史の梁応等を派遣.一年一貢を請う.
1476年
- 中国:成化12年
- 日本:文明8年
- 琉球:尚円7年
【琉球】
10.2[9.15]慶賀のため正議大夫の程鵬等を派遣.
10.2[9.15]謝恩のため長史の李栄等を派遣.
尚円王代に天王寺・龍福寺・中山国王廟が建立される.
1477年
- 中国:成化13年
- 日本:文明9年
- 琉球:尚宣威1/尚真1年
【琉球】
9.26[8.20]請封のため長史の梁応等を派遣.
尚宣威,王位につくが数か月にして尚真に位を譲る(『中山世譜』).明に襲封を請う.
金非衣ら朝鮮漂流民,与那国島で救助され,王府が朝鮮へ送還(『朝鮮王朝実録』),のちに見聞記を残す.
1478年
- 中国:成化14年
- 日本:文明10年
- 琉球:尚真2年
【琉球】
5.16[4.15]冊封使の董旻・副使の張祥来琉し,尚真を中山王に封ずる.
[年代不詳]使者の澹馬巴等をシャムへ派遣.
1479年
- 中国:成化15年
- 日本:文明11年
- 琉球:尚真3年
【琉球】
4.9[3.18]使者の李栄等が入貢.
10.11[9.26]謝恩のため王舅の馬怡世等を派遣.
[年代不詳]使者の倪実等をシャム,マラッカへ派遣.
[年代不詳]使者の泰刺等をシャムへ派遣.
1480年
- 中国:成化16年
- 日本:文明12年
- 琉球:尚真4年
【東南アジア】
4.11[3.2]マラッカ,遭難した琉球人を来航した琉球船に乗せて送還.
5.2[3.23]シャム,返礼の使者を琉球へ派遣.
【日本】
幕府,島津を介して琉球の来貢を催促.
1482年
- 中国:成化18年
- 日本:文明14年
- 琉球:尚真6年
【琉球】
4.23[4.23]蔡賓等5人が官生として国子監に入学.
5.13[4.26]進貢使節(琉球)の北京への上京人数を15人以内に制限する.
1483年
- 中国:成化19年
- 日本:文明15年
- 琉球:尚真7年
【琉球】
9.7[8.6]進貢のため正議大夫の程鵬等を派遣.
1485年
- 中国:成化21年
- 日本:文明17年
- 琉球:尚真9年
【琉球】
9.20[8.12]進貢のため正議大夫の程鵬等を派遣.
1486年
- 中国:成化22年
- 日本:文明18年
- 琉球:尚真10年
【琉球】
10.22[9.25]謝恩のため王舅の馬審礼等を派遣.
1488年
- 中国:弘治1年
- 日本:長享2年
- 琉球:尚真12年
【その他】
バルトロメウ・ディアス,アフリカの喜望峰に到達.
1490年
- 中国:弘治3年
- 日本:延徳2年
- 琉球:尚真14年
【琉球】
5.10[4.21]進貢使節(琉球)の北京への上京人数の制限が緩和され30人以内となる.
正使の嘉満度等をパタニへ派遣(『紅氏家譜』).
1491年
- 中国:弘治4年
- 日本:延徳3年
- 琉球:尚真15年
【琉球】
9.24[8.21]進貢のため正議大夫の梁徳等を派遣.
1492年
- 中国:弘治5年
- 日本:明応1年
- 琉球:尚真16年
【琉球】
円覚寺を建立し(1494年竣工),芥隠を開山住持とする.
【その他】
コロンブス,サン・サルバドル島に到達.
1493年
- 中国:弘治6年
- 日本:明応2年
- 琉球:尚真17年
【琉球】
9.30[8.20]慶賀のため正議大夫の梁徳等を派遣.
1494年
- 中国:弘治7年
- 日本:明応3年
- 琉球:尚真18年
【琉球】
円覚寺の宗廟(御照堂)を建立.
1495年
- 中国:弘治8年
- 日本:明応4年
- 琉球:尚真19年
【琉球】
9.4[8.16]謝恩のため正議大夫の鄭玖等を派遣.
1496年
- 中国:弘治9年
- 日本:明応5年
- 琉球:尚真20年
【琉球】
円覚寺の巨鐘を鋳造する.
1498年
- 中国:弘治11年
- 日本:明応7年
- 琉球:尚真22年
【琉球】
円覚寺の放生池に石欄と池橋がつくられ,国王頌徳碑が建立される.
正使の宋能等をパタニへ派遣(『鄭氏家譜』).
【その他】
ヴァスコ・ダ・ガマ,インドのカリカットに到達.
1499年
- 中国:弘治12年
- 日本:明応8年
- 琉球:尚真23年
【琉球】
9.7[8.3]進貢のため正議大夫の鄭玖等を派遣.
1500年
- 中国:弘治13年
- 日本:明応9年
- 琉球:尚真24年
【琉球】
八重山のオヤケアカハチ,反乱を起すが,中山軍に制圧される.長田大翁主が古見大首里大屋子となる.神職の大阿母職と永良比金職がはじめて置かれる.満挽与人が派遣されて八重山に駐在する.宮古の仲宗根豊見親がはじめて宮古頭職に任命される.土原豊見親が多良間島主に任ぜられる.
久米島の君南風を世襲とする.
1501年
- 中国:弘治14年
- 日本:文亀1年
- 琉球:尚真25年
【琉球】
9.20[8.9]進貢のため正議大夫の程璉等を派遣.
玉陵を築く.サシカヘシ松尾之碑文建碑建立.
八重山の慶来慶田城用緒を西表首里大屋子に任ずる.
1502年
- 中国:弘治15年
- 日本:文亀2年
- 琉球:尚真26年
【琉球】
円覚寺の前に円鑑池をつくり,経堂(弁財天堂)を建て朝鮮王李瑈から贈られた方冊蔵経を納める.
1503年
- 中国:弘治16年
- 日本:永正1年
- 琉球:尚真27年
【琉球】
10.27[10.8]琉球が派遣したマラッカへの使者の呉詩等を保護.
1504年
- 中国:弘治17年
- 日本:永正2年
- 琉球:尚真28年
【琉球】
8.21[7.12]進貢のため正議大夫の程璉等を派遣.
1509年
- 中国:正徳4年
- 日本:永正6年
- 琉球:尚真33年
【琉球】
9.2[8.18]進貢のため正議大夫の程璉等を派遣.
9.2[8.18]使者の勿頓之玖等をシャムへ派遣.
9.2[8.18]使者の佳満度等をマラッカへ派遣.
首里城正殿前の欄干に銘文を刻む(百浦添之欄干之銘).金銀のかんざしで身分を分ける.
1510年
- 中国:正徳5年
- 日本:永正7年
- 琉球:尚真34年
【琉球】
2.24[1.16]蔡進等5名が官生として国子監に入学.
9.21[8.19]進貢のため正議大夫の梁能等を派遣.
9.21[8.19]使者の王麻不度等をマラッカへ派遣.
【朝鮮】
日本人居留民による三浦の乱おこる.
【その他】
ポルトガル人,インドのゴアを占拠.
1511年
- 中国:正徳6年
- 日本:永正8年
- 琉球:尚真35年
【琉球】
9.4[8.13]進貢のため正議大夫の梁寬等を派遣.
9.4[8.13]使者の馬彼比等をマラッカへ派遣.
【東南アジア】
ポルトガル,マラッカを占拠.
1512年
- 中国:正徳7年
- 日本:永正9年
- 琉球:尚真36年
【琉球】
9.22[8.13]進貢のため長史の蔡遷等を派遣.
9.22[8.13]使者の益沙毎等をシャムへ派遣.
【その他】
この頃,ポルトガル人トメ・ピレスが『東方諸国記』を著す(1512~1515年に成立).
1513年
- 中国:正徳8年
- 日本:永正10年
- 琉球:尚真37年
【琉球】
9.5[8.7]進貢のため正議大夫の梁能等を派遣.
9.5[8.7]使者の馬参魯等をシャムへ派遣.
9.5[8.7]使者の栢古等をスンダへ派遣.
1516年
- 中国:正徳11年
- 日本:永正13年
- 琉球:尚真40年
【琉球】
4.30[3.29]正議大夫の梁能等が入貢.
10.8[9.13]進貢のため正議大夫の陳義等を派遣.
10.8[9.13]使者の栢古等をパタニへ派遣.
【日本】
備中の三宅国秀,琉球征服を図るが島津忠隆に討たれる.
1518年
- 中国:正徳13年
- 日本:永正15年
- 琉球:尚真42年
【琉球】
10.22[9.18]使者の麻美子等をシャムへ派遣.
10.22[9.18]使者の馬布度等をシャムへ派遣.
10.2[9.18]使者の麻美子等をスンダへ派遣.
1519年
- 中国:正徳14年
- 日本:永正16年
- 琉球:尚真43年
【琉球】
9.10[8.17]使者の馬勃度等をパタニへ派遣.
園比屋武御嶽石門・弁ケ嶽の石垣・石門建造される.
【その他】
マガリャンイス一行,世界周航.
1520年
- 中国:正徳15年
- 日本:永正17年
- 琉球:尚真44年
【琉球】
4.28[4.12]長史の金良等が入貢.
8.31[8.19]使者の馬勃度等をパタニへ派遣.
8.31[8.19]使者の馬沙皆等をシャムへ派遣.
1521年
- 中国:正徳16年
- 日本:大永1年
- 琉球:尚真45年
【琉球】
10.6[9.7]使者の椰末度等をシャムへ派遣.
尚真,種子島忠時に船一艘分の課税免除.
【その他】
コルテス,メキシコ征服.アステカ王国滅亡.
1522年
- 中国:嘉靖1年
- 日本:大永2年
- 琉球:尚真46年
【琉球】
5.27[5.3]慶賀のため王舅の達魯加尼等が方物を貢す.
6.6[5.13]琉球の進貢を再び二年一貢に制限する.
真珠湊碑文に仮名書きのミセゼルが書かれる.日秀上人,弥陀・薬師・観音を護国寺に奉安する.金武観音堂建立.首里の石門の東側へ国王頌徳碑が建てられる.
正使の馬参魯等をシャムへ派遣.
1524年
- 中国:嘉靖3年
- 日本:大永4年
- 琉球:尚真48年
【琉球】
4.11[3.19]補貢のため使者の鄭縄等が入貢.
日秀上人,浦添に石碑,那覇に夷堂,波之上に大日石堂を建立.六色の帕冠の制が制定される.
西塘,竹富首里大屋子に任命され,竹富島に蔵元や国仲御嶽をつくる.
1526年
- 中国:嘉靖5年
- 日本:大永6年
- 琉球:尚真50年
【琉球】
9.21[8.15]使者の馬蜜志驥等をシャムへ派遣.
9.21[8.15]使者の白達魯等をパタニへ派遣.
尚真王代,諸按司を首里に集住させる.前年の御礼として島津忠良に絹糸を贈る.この頃,崇元寺建立される.
蔡浩・蔡廷美・鄭冨・梁梓等4名が官生として国子監に入学(『欽定国子監志』).
【その他】
南アジア,ムガル帝国成立(~1858).
1527年
- 中国:嘉靖6年
- 日本:大永7年
- 琉球:尚清1年
【日本】
足利義晴,尚清に日明和解の仲介への礼状を送る.
1529年
- 中国:嘉靖8年
- 日本:享禄2年
- 琉球:尚清3年
【琉球】
3.20[2.11]使者の馬沙開等をパタニ派遣.
9.17[8.15]進貢のため長史の蔡瀚等を派遣.
9.17[8.15]使者の陶美等をシャムへ派遣.
【その他】
オスマン帝国,第一次ウィーン包囲失敗.
1531年
- 中国:嘉靖10年
- 日本:享禄4年
- 琉球:尚清5年
【琉球】
9.22[8.12]進貢のため正議大夫の金良等を派遣.
明に「国中人民結状」を提出し冊封を請う.『おもろさうし』巻一編集.
1532年
- 中国:嘉靖11年
- 日本:天文1年
- 琉球:尚清6年
【琉球】
9.[嘉靖11.8]冊封使の陳侃・副使の高澄来琉し,尚清を国王に封ずる.
1533年
- 中国:嘉靖12年
- 日本:天文2年
- 琉球:尚清7年
【琉球】
9.8[8.20]進貢のため正議大夫の梁椿等を派遣.
9.8[8.20.]使者の王金等をシャムへ派遣.
【日本】
三宅国秀の残党,再度琉球征討を図るが,島津氏これを阻止したことを琉球に通知.
【その他】
ピサロ,ペルー征服.インカ帝国滅亡.
1536年
- 中国:嘉靖15年
- 日本:天文5年
- 琉球:尚清10年
【琉球】
8.30[8.14]使者の馬三魯等をシャムへ派遣.
1537年
- 中国:嘉靖16年
- 日本:天文6年
- 琉球:尚清11年
【琉球】
9.23[8.20]進貢慶賀のため正議大夫の陳賦等を派遣.
9.23[8.20]使者の馬蜜子等をシャムへ派遣.
尚清王,与湾大親の謀叛の疑いを理由に兵を発して大島(奄美)を征圧.
1540年
- 中国:嘉靖19年
- 日本:天文9年
- 琉球:尚清14年
【琉球】
10.11[9.12]使者の毛是等をシャムへ派遣.
【東南アジア】
メンデス・ピント,東南アジアで琉球船に遭遇(『東洋遍歴記』).
1541年
- 中国:嘉靖20年
- 日本:天文10年
- 琉球:尚清15年
【琉球】
2.17[1.22]進貢慶賀のため王舅の殷達魯等を派遣.
1542年
- 中国:嘉靖21年
- 日本:天文11年
- 琉球:尚清16年
【琉球】
9.26[9.7]使者の賈満度等をシャムへ派遣.
10.25[9.17]中国人送還のため使者の呉羅等を派遣.
相良武任,琉球に種子島渡航船の抑留を依頼する.通商のため来琉中の明の商人陳貴,騒動をおこし,蔡廷美に捕われ,福州に送還される.
1543年
- 中国:嘉靖22年
- 日本:天文12年
- 琉球:尚清17年
【琉球】
3.5[2.1]進貢のため正議大夫の陳賦等を派遣.
10.25[9.28]使者の邁益沙等をパタニへ派遣.
【日本】
種子島に鉄砲伝来(1542年説もある).
1544年
- 中国:嘉靖23年
- 日本:天文13年
- 琉球:尚清18年
【琉球】
首里城東南側の城壁工事を始める.
1545年
- 中国:嘉靖24年
- 日本:天文14年
- 琉球:尚清19年
【琉球】
1.23[1.11]進貢のため長史の梁顕等を派遣.
1546年
- 中国:嘉靖25年
- 日本:天文15年
- 琉球:尚清20年
【琉球】
首里城東南側の城壁工事完成し,城壁が二重になる.継世門が築かれ,添継御門之北之碑文が建立される.
1547年
- 中国:嘉靖26年
- 日本:天文16年
- 琉球:尚清21年
【琉球】
3.27[3.7]進貢のため正議大夫の陳賦等を派遣.
【中国】
浙江巡撫の朱紈,倭寇の取り締まりを強化し,1548年に双嶼を攻撃.最後の日明貿易船派遣される.
1548年
- 中国:嘉靖27年
- 日本:天文17年
- 琉球:尚清22年
【琉球】
3.8[1.28]接回のため使者の馬普度等を派遣.
1550年
- 中国:嘉靖29年
- 日本:天文19年
- 琉球:尚清24年
【琉球】
11.16[10.8]使者の邁志刺等をシャムへ派遣.
1551年
- 中国:嘉靖30年
- 日本:天文20年
- 琉球:尚清25年
【琉球】
9.15[8.16]進貢のため正議大夫の蔡廷会等を派遣.
1554年
- 中国:嘉靖33年
- 日本:天文23年
- 琉球:尚清28年
【琉球】
3.13[2.10]探問のため使者の賈満度等を派遣.
11.30[11.6]使者の馬沙皆等をシャムへ派遣.
那覇港に屋良座森城が築かれ,碑文が建てられる.
1555年
- 中国:嘉靖34年
- 日本:弘治1年
- 琉球:尚清29年
【琉球】
2.1[1.10]進貢のため正議大夫の梁顕等を派遣.
1556年
- 中国:嘉靖35年
- 日本:弘治2年
- 琉球:尚元1年
【琉球】
倭冦が来襲し尚元王,兵を率いてこれを破る.中国の被虜の人金坤等6名を救助し翌年送還する.
1557年
- 中国:嘉靖36年
- 日本:弘治3年
- 琉球:尚元2年
【中国】
ポルトガル人,マカオでの居住権を獲得.
1558年
- 中国:嘉靖37年
- 日本:永禄1年
- 琉球:尚元3年
【琉球】
2.9[1.21]接回のため使者の馬加泥等を派遣.
11.19[10.10]冊封使を迎接するため長史の梁炫等を派遣.
1561年
- 中国:嘉靖40年
- 日本:永禄4年
- 琉球:尚元6年
【琉球】
2.10[1.26]接回のため使者の馬寧久等を派遣.
10.21[9.13]進貢のため王舅の源徳等を派遣.
10.21[9.13]冊封使を護送するため使者の宋庇等を派遣.
1562年
- 中国:嘉靖41年
- 日本:永禄5年
- 琉球:尚元7年
【琉球】
3.15[2.11]探問のため使者の馬南比等を派遣.
7.26[6.26]冊封使の郭汝霖・副使の李際春,尚元を国王に封じて帰国する.帰国後,『使琉球録』を著す.
【琉球】
郭汝霖の要請で天使館亭を増築する.首里城奉神門前に石欄干を建てる.
1565年
- 中国:嘉靖44年
- 日本:永禄8年
- 琉球:尚元10年
【琉球】
3.23[2.22]進貢のため長史の梁灼等を派遣.
1567年
- 中国:隆慶1年
- 日本:永禄10年
- 琉球:尚元12年
【琉球】
3.27[2.17]進貢のため長史の蔡朝用等を派遣.
1570年
- 中国:隆慶4年
- 日本:元亀1年
- 琉球:尚元15年
【琉球】
3.21[2.15]探問のため使者の馬佳尼等を派遣.
使者の毛如徳等をシャムへ派遣.
【日本】
島津氏,義久の襲封を知らせる.島津氏,琉球に印判を携行せず渡航する商船の取り締まりを要求.
1571年
- 中国:隆慶5年
- 日本:元亀2年
- 琉球:尚元16年
【琉球】
3.16[2.21]進貢のため正議大夫の鄭憲等を派遣.
尚元,大島(奄美)を征討.
【その他】
レパントの海戦.
【東南アジア】
スペイン,マニラ建設.
1573年
- 中国:万暦1年
- 日本:天正1年
- 琉球:尚永1年
【日本】
足利義昭,織田信長より京都を追放され室町幕府滅亡.
1574年
- 中国:万暦2年
- 日本:天正2年
- 琉球:尚永2年
【琉球】
3.12[2.20]慶賀のため王舅の馬忠叟等を派遣.
2.22[2.10]探問のため使者の馬慶等を派遣.
尚永,天界寺の南叔等を遣わし義久の襲封を賀す.
【日本】
島津氏,藩の使者への琉球側の接待が満足でなかったことを責める.
1575年
- 中国:万暦3年
- 日本:天正3年
- 琉球:尚永3年
【琉球】
4.8[2.28]進貢のため正議大夫の蔡朝器等を派遣.
9.24[8.21]琉球が入貢.
琉球船,薩摩に漂流し送還される.琉球国の紋船,鹿児島に到着.
【日本】
長篠の戦いで織田信長が武田勝頼を破る.
1576年
- 中国:万暦4年
- 日本:天正4年
- 琉球:尚永4年
【琉球】
1.7[万暦3.12.7]琉球国使節が入貢.
1.21[12.21]請封のため長史の梁燦等を派遣.
1.21[12.21]補貢のため通事の蔡朝傑等を派遣.
1577年
- 中国:万暦5年
- 日本:天正5年
- 琉球:尚永5年
【琉球】
3.21[3.3]進貢のため正議大夫の梁灼等を派遣.
天界寺の修翁和尚を薩摩に遣わし,島津氏の三州平定を賀す.
【日本】
大友宗麟,島津氏の了解を得て琉球に使者を出す.
1578年
- 中国:万暦6年
- 日本:天正6年
- 琉球:尚永6年
【琉球】
5.20[4.14]冊封使を迎接するため正議大夫の梁燦等を派遣.
1579年
- 中国:万暦7年
- 日本:天正7年
- 琉球:尚永7年
【琉球】
12.28[12.11]進貢のため王舅の馬良弼等を派遣.
冊封使の蕭崇業・副使の謝杰来琉し,尚永を中山王に封ずる.帰国後に『使琉球録』を著す.
1580年
- 中国:万暦8年
- 日本:天正8年
- 琉球:尚永8年
【琉球】
鄭周(週)・鄭廸・蔡常3名が官生として国子監に入学.
1581年
- 中国:万暦9年
- 日本:天正9年
- 琉球:尚永9年
【琉球】
3.20[2.16]進貢のため正議大夫の梁燦等を派遣.
【日本】
島津氏,琉球側に九州平定を知らせる.
【その他】
オランダ独立宣言.
1582年
- 中国:万暦10年
- 日本:天正10年
- 琉球:尚永10年
【日本】
本能寺の変
亀井茲矩,豊臣秀吉より琉球を賜う.秀吉,太閤検地開始.
【中国】
マカオにマテオ・リッチ到来.
1585年
- 中国:万暦13年
- 日本:天正13年
- 琉球:尚永13年
【日本】
豊臣秀吉,関白となる.
1586年
- 中国:万暦14年
- 日本:天正14年
- 琉球:尚永14年
【琉球】
11.1[9.21]進貢のため正議大夫の梁灼等を派遣.
11.1[9.21]進貢のため使者の馬加度等を派遣.
1588年
- 中国:万暦16年
- 日本:天正16年
- 琉球:尚永16年
【琉球】
4.28[4.4]探問のため使者の馬達魯等を派遣.
【日本】
豊臣秀吉,島津氏を介してしきりに琉球を招諭.島津氏,僧の龍雲を琉球に派遣する.豊臣秀吉,海賊停止令を発令.
1590年
- 中国:万暦18年
- 日本:天正18年
- 琉球:尚寧2年
【日本】
秀吉,産物上進を謝し,明国討伐の旨を知らせる.島津義久,琉球へ秀吉の関東平定を告げ,祝儀言上を命じる.
1591年
- 中国:万暦19年
- 日本:天正19年
- 琉球:尚寧3年
島津義久より朝鮮出兵の軍役負担として7000人分の兵糧米などの供出を要求され,紋船の到来を促される.尚寧王,義久より朝鮮出兵の軍役として兵7000人の兵糧10か月分を送ることを命じられる.紋船(建善寺大亀,茂留味里大屋子),薩摩に着く.
【日本】
豊臣秀吉,朝鮮出兵のため名護屋城を普請.
1592年
- 中国:万暦20年
- 日本:文禄1年
- 琉球:尚寧4年
【琉球】
10.27[9.23]日本の情報を伝えるため使者の守達魯等を派遣.
謝名一族の反乱.
【日本】
亀井茲矩,琉球征服を図るが,秀吉,これを禁じる.秀吉,ルソンや台湾に入貢を促す.秀吉,朝鮮出兵(文禄の役).
1593年
- 中国:万暦21年
- 日本:文禄2年
- 琉球:尚寧5年
【琉球】
尚寧王,義久より朝鮮出兵の軍役負担分の食糧輸送を命じられる.紋船(天王寺菊隠,摩文仁安恒),薩摩に行く.
1594年
- 中国:万暦22年
- 日本:文禄3年
- 琉球:尚寧6年
【琉球】
2.15[万暦21.12.26]進貢のため正議大夫の鄭礼等を派遣.
11.22[10.11]官員を護送するため使者の于灞等を派遣.
琉球の窮状を薩摩に訴え,兵糧の供出不可能を謝る.
1595年
- 中国:万暦23年
- 日本:文禄4年
- 琉球:尚寧7年
【東南アジア】
オランダ商船,ジャワ島に到来.
1596年
- 中国:万暦24年
- 日本:慶長1年
- 琉球:尚寧8年
【琉球】
10.28[9.8]進貢のため使者の金応照等を派遣.
10.28[9.8]官員を護送するため通事の梁順等を派遣.
1597年
- 中国:万暦25年
- 日本:慶長2年
- 琉球:尚寧9年
【琉球】
浦添から首里にいたる道路開通.太平橋(平良橋)が石橋に改築される.
【日本】
秀吉,2度目の朝鮮出兵(慶長の役).
1598年
- 中国:万暦26年
- 日本:慶長3年
- 琉球:尚寧10年
【琉球】
5.11[4.7]日本の情報を伝えるため使者の守達魯等を派遣.
11.1[10.3]日本の情報を伝えるため使者の栢槎等を派遣.
1600年
- 中国:万暦28年
- 日本:慶長5年
- 琉球:尚寧12年
【琉球】
9.25[8.19]進貢のため長史の蔡奎等を派遣.
僧の喜安蕃元来琉.琉球船,奥州伊達政宗領へ漂着.
【日本】
徳川家康,島津氏に命じて人質の明将茅国科を福建に送還.関ヶ原の戦い.
【その他】
イギリス,東インド会社を設立.
1601年
- 中国:万暦29年
- 日本:慶長6年
- 琉球:尚寧13年
【琉球】
10.6[9.11]進貢のため正議大夫の鄭逅等を派遣.
【日本】
薩摩に来航した福州船が伊丹屋助四郎ら海賊に略奪される.幕府,明との通交回復の企図挫折.渡航朱印状の交付制度創設.
1602年
- 中国:万暦30年
- 日本:慶長7年
- 琉球:尚寧14年
【琉球】
10.[9.]慶賀のため王舅の毛継祖等を派遣.
琉球船,奥州に漂着し送還される.
【その他】
オランダ,東インド会社を設立.
1603年
- 中国:万暦31年
- 日本:慶長8年
- 琉球:尚寧15年
【琉球】
袋中上人来琉(1606年帰国,『琉球神道記』を著わす).
[年代不詳]進貢のため長史の蔡奎等を派遣.
【日本】
徳川家康,征夷大将軍補任,江戸幕府成立.
1604年
- 中国:万暦32年
- 日本:慶長9年
- 琉球:尚寧16年
【琉球】
10.10[9.18]冊封使を迎接するため使者の馬似竜等を派遣.
【日本】
島津義久,甑島漂着の琉球船員に書を託し,尚寧王の来聘を促す.使者牛助春,薩摩に到着.義久,書を尚寧に送り問責する.ポルトガル貿易に糸割符制施行.
1605年
- 中国:万暦33年
- 日本:慶長10年
- 琉球:尚寧17年
【琉球】
11.30[10.20]進貢のため長史の鄭俊等を派遣.
天界寺を廟とする.島津義弘,奄美大島出兵計画.野国総官,福州より甘藷を持ち帰る.
【日本】
島津氏の使者,将軍家康に琉球出兵の許可を請う.
1606年
- 中国:万暦34年
- 日本:慶長11年
- 琉球:尚寧18年
【琉球】
11.17[10.18]進貢のため王舅の毛鳳儀等を派遣.
冊封使の夏子陽・副使の王士禎来琉し,尚寧を中山王に封ずる.夏子陽・王士禎,帰国後に『使琉球録』を著す.
【日本】
島津家久,家康に琉球征討を許される.島津義久,書状を送って尚寧の来聘を促す.家久,琉球を介して日明貿易を図るが,琉球応ぜず.
1607年
- 中国:万暦35年
- 日本:慶長12年
- 琉球:尚寧19年
【琉球】
4.4[3.8]探問のため使者の馬三魯等を派遣.
10.15[8.25]進貢のため長史の鄭子孝等を派遣.
福建漳州人の阮国・毛国鼎の琉球入籍.
1608年
- 中国:万暦36年
- 日本:慶長13年
- 琉球:尚寧20年
【日本】
島津家久,「琉球渡海之軍衆御法度之条々」を定める.島津氏,幕命により龍雲を派遣して尚寧王の来聘を促すが,琉球応ぜず.
1609年
- 中国:万暦37年
- 日本:慶長14年
- 琉球:尚寧21年
【琉球】
6.12[5.11]薩摩の琉球侵攻を伝えるため正議大夫の鄭俊等を派遣.
【琉球】
薩摩軍3000の兵を乗せた軍船100余隻,山川港から琉球へ向かう.薩摩軍,大島・徳之島・沖永良部島を制圧,運天に上陸し,海陸両路から那覇へ入る.首里城陥落.尚寧王降伏し,薩摩軍にともなわれ,那覇を出航,鹿児島へ到着.家久,琉球を与えられる.
【日本】
オランダ,平戸に商館設置.
1610年
- 中国:万暦38年
- 日本:慶長15年
- 琉球:尚寧22年
10.18[9.2]進貢のため長史の蔡堅等を派遣.
薩摩,琉球の検地を行う.尚寧王,家久に従い駿府で家康,江戸で将軍秀忠に謁見す.王舅毛鳳儀,長史金応魁,明国に貢期の緩和を嘆願.
【日本】
大島代官設置.
1611年
- 中国:万暦39年
- 日本:慶長16年
- 琉球:尚寧23年
【琉球】
薩摩,琉球の検地を終る.石高8万9086石のうち5万石を王府蔵入,残りは諸士へ配分と定め知行目録(「一紙御目録」)を給す.奄美,薩摩の直轄となる.尚寧王,起請文を上呈し帰国.三司官謝名鄭迵,起請文への連判を拒否し処刑される.薩摩,芭蕉など9品の上納を命じ,「掟十五カ条」を令達する.摩文仁親方安恒,国質となる(国質の始め).儀間真常,木綿を移入.
進貢品を分載するため使者の栢寿等を派遣.
【日本】
幕府,大名の朱印船貿易を停止.
1613年
- 中国:万暦41年
- 日本:慶長18年
- 琉球:尚寧25年
琉球の王子衆・三司官衆の子弟を「証人(人質)」として上国させるよう薩摩より要求.日本商人の両先島渡航と島津の許可無き他領船渡海禁止.
『おもろさうし』巻二を編集.
【日本】
大島代官,大島奉行に改称.
伊達政宗が支倉常長を使者としてローマに使節を派遣(慶長遣欧使節).
1614年
- 中国:万暦42年
- 日本:慶長19年
- 琉球:尚寧26年
薩摩へ「十年質」として佐敷王子朝昌上国.この年『ピント航海巡歴録』成る.
【日本】
平戸にイギリス商館設置.商館長リチャード・コックス,琉球貿易の許可を家康に申請.
大坂冬の陣.
1615年
- 中国:万暦43年
- 日本:元和1年
- 琉球:尚寧27年
【琉球】
三浦按針(ウィリアム・アダムズ)来航.島津家久,幕府より「琉球人」名義の呂宋渡海朱印状を受給.
1616年
- 中国:万暦44年
- 日本:元和2年
- 琉球:尚寧28年
【琉球】
4.4[2.18]日本の情報を伝えるため都通事の蔡廛等を派遣.
朝鮮人陶工(張献功等)来航.湧田村で製陶技術を伝える.
【日本】
徳之島奉行設置.
長崎・平戸以外での西洋との通商貿易禁止.
【中国】
ヌルハチ,後金を建国.
1618年
- 中国:万暦46年
- 日本:元和4年
- 琉球:尚寧30年
【その他】
三十年戦争(~1648).
1619年
- 中国:万暦47年
- 日本:元和5年
- 琉球:尚寧31年
【琉球】
3.26[2.11]探問のため使者の麻吾刺等を派遣.
越前の坂本宗味,久米島に養蚕を伝える.
【東南アジア】
オランダ,インドネシアのバタヴィアを建設.
1620年
- 中国:泰昌1年
- 日本:元和6年
- 琉球:尚寧32年
【琉球】
浦添極楽山(ようどれ)の墓陵が補修され,尚寧王が葬られる.ようどれの碑建立.
1621年
- 中国:天啓1年
- 日本:元和7年
- 琉球:尚豊1年
【琉球】
10.6[8.21]進貢のため王舅の毛鳳儀等を派遣.
尚豊即位.金武王子朝貞,尚豊襲封の謝恩使として京都に派遣.尚豊王代に中城御殿建造.天啓年間に首里城南殿が築かれる.この頃「喜安日記」著される.
1623年
- 中国:天啓3年
- 日本:元和9年
- 琉球:尚豊3年
【中国】
4.26[3.27]琉球の貢期を五年一貢とする
【琉球】
7.25[6.22]慶賀のため王舅の馬勝連等を派遣.
12.07[閏10.16]進貢のため正議大夫の鄭俊等を派遣.
儀間真常,黒糖を製造.『おもろさうし』巻三以下,成る.
【日本】
薩摩,「大島御置目之条々」制定.
イギリス東インド会社,平戸商館閉鎖.
【東南アジア】
アンボイナ事件.オランダが香辛料貿易を独占.
1624年
- 中国:天啓4年
- 日本:寛永1年
- 琉球:尚豊4年
【琉球】
島津氏,琉球の名字・衣服の大和様式化を禁止.他領人の琉球渡海禁止.
ルエダ神父,八重山に上陸,八重山キリシタン事件おこる.
【日本】
スペイン船の来航を禁止する.
【その他】
オランダ,台湾を占領(~1661).
1625年
- 中国:天啓5年
- 日本:寛永2年
- 琉球:尚豊5年
8.21[7.26]官員を護送するため都通事の金応元等を派遣.
1626年
- 中国:天啓6年
- 日本:寛永3年
- 琉球:尚豊6年
【琉球】
3.6[2.9]進貢のため正議大夫の蔡廷等を派遣.
1628年
- 中国:崇禎1年
- 日本:寛永5年
- 琉球:尚豊8年
【琉球】
宮古の石高6049石余差し引かれ,琉球の石高8万3084石余となる.
宮古・八重山,三間切制となり,各間切に頭職設置される.
1629年
- 中国:崇禎2年
- 日本:寛永6年
- 琉球:尚豊9年
【琉球】
2.21[1.29]慶賀のため王舅の毛泰時等を派遣.
4.3[3.10]官員護送のため都通事の鄭子廉等を派遣.
琉球高8万3085石余の目録が薩摩から提示される.
宮古で在番制はじまる.
1630年
- 中国:崇禎3年
- 日本:寛永7年
- 琉球:尚豊10年
11.13[10.10]冊封使を迎接するため正議大夫の蔡廛等を派遣.
三司官のうち一人が三年間「証人」として薩摩滞在(~1646年).
1631年
- 中国:崇禎4年
- 日本:寛永8年
- 琉球:尚豊11年
【琉球】
4.17[3.16]慶賀のため王舅の毛時耀等を派遣.
薩摩,那覇に在番奉行を設置(初代川上又左衛門)
1632年
- 中国:崇禎5年
- 日本:寛永9年
- 琉球:尚豊12年
薩摩の酒匂氏,久米島に紬を伝える.
八重山で在番制はじまる.
1633年
- 中国:崇禎6年
- 日本:寛永10年
- 琉球:尚豊13年
明朝より琉球の二年一貢および貢船の二隻増船を許可される.
冊封使の杜三策・副使の楊掄来琉し,尚豊を国王に封ずる.杜三策の従客の胡靖,帰国後に『杜天使冊封琉球真記奇観』を著す.
1634年
- 中国:崇禎7年
- 日本:寛永11年
- 琉球:尚豊14年
【琉球】
11.1[9.11]進貢のため正議大夫の蔡錦等を派遣.
【日本】
冊封完了の御礼のため佐敷王子朝益上国.家久に従い京都で徳川家光に謁見.島津氏への領知判物に琉球高が併記される.
1635年
- 中国:崇禎8年
- 日本:寛永12年
- 琉球:尚豊15年
寛永の盛増,琉球高9万883石となる.
【日本】
日本人の海外渡航・帰国禁止(鎖国令).
1636年
- 中国:崇禎9年
- 日本:寛永13年
- 琉球:尚豊16年
【琉球】
11.5[10.8]進貢のため正議大夫の林国用等を派遣.
薩摩藩の命でキリシタン宗門改め始まる(宮古・八重山も).
【中国】
後金,清と改称.
1637年
- 中国:崇禎10年
- 日本:寛永14年
- 琉球:尚豊17年
【琉球】
宮古・八重山にはじめて人頭税が課されたといわれる.
【日本】
島原の乱(~1638年).
1638年
- 中国:崇禎11年
- 日本:寛永15年
- 琉球:尚豊18年
【琉球】
3.10[1.25]探問のため使者の章邦彦等を派遣.
那覇に里主所設置.キリシタン禁制の方針通達,禁令強化.
この頃,八重山に唐人・南蛮人の漂着あいつぐ.
1639年
- 中国:崇禎12年
- 日本:寛永16年
- 琉球:尚豊19年
【日本】
ポルトガル船の来航を禁止.
1640年
- 中国:崇禎13年
- 日本:寛永17年
- 琉球:尚豊20年
【その他】
イギリス,ピューリタン革命(~1660).
1641年
- 中国:崇禎14年
- 日本:寛永18年
- 琉球:尚賢1年
【琉球】
八重山の大和在番開始(~1649年).
【日本】
平戸のオランダ商館を長崎出島に移す.
【東南アジア】
オランダ,マラッカを占領.
1644年
- 中国:崇禎17/順治1年
- 日本:正保1年
- 琉球:尚賢4年
各所に遠見番配置(烽火の制).江戸幕府へ謝恩使を派遣.
【中国】
明朝滅び,清朝成立.
1645年
- 中国:順治2年
- 日本:正保2年
- 琉球:尚賢5年
【琉球】
5.10[4.15]慶賀のため使者の毛大用等を派遣.
1648年
- 中国:順治5年
- 日本:慶安1年
- 琉球:尚質1年
【その他】
ヨーロッパ,ウェストファリア条約が締結される.
1649年
- 中国:順治6年
- 日本:慶安2年
- 琉球:尚質2年
【琉球】
6.16[5.7]探問のため正議大夫の蔡祚隆等を派遣.
12.16[11.13]投誠のため都通事の梁廷翰等を派遣.
尚質即位の謝恩のため使節派遣.
【日本】
慶安の御触書が出される.
【その他】
イギリス,共和政となる.
1650年
- 中国:順治7年
- 日本:慶安3年
- 琉球:尚質3年
【琉球】
羽地朝秀(向象賢)『中山世鑑』を著す.
宮古・八重山,御物奉行の管轄となる.
1653年
- 中国:順治10年
- 日本:承応2年
- 琉球:尚質6年
【琉球】
3.26[2.27]慶賀・請封・勅印返納のため王舅の馬宗毅等を派遣.
4.[3.]招撫使を護送するため都通事の毛世顕を派遣.
家綱将軍職就任の慶賀のため使節派遣.
1655年
- 中国:順治12年
- 日本:承応4年
- 琉球:尚質8年
【琉球】
接回のため都通事の梅有蕡等を派遣.
1660年
- 中国:順治17年
- 日本:万治3年
- 琉球:尚質13年
【琉球】
首里城炎上,正殿その他全焼.中城王子(世子)の上国始まる(~1773).
【その他】
イギリス,王政復古.
1661年
- 中国:順治18年
- 日本:寛文1年
- 琉球:尚質14年
【琉球】
羽地朝秀,首里城正殿再建の援助要請のため上国.
【その他】
フランス,ルイ14世が親政を開始する.
1662年
- 中国:康煕1年
- 日本:寛文2年
- 琉球:尚質15年
【琉球】
砂糖奉行を設置.
1663年
- 中国:康煕2年
- 日本:寛文3年
- 琉球:尚質16年
【琉球】
11.21[10.22]謝恩のため法司王舅の呉国用等を派遣.
11.21[10.22]冊封使を護送するため都通事の孫自昌等を派遣.
冠船奉行設置.
冊封使の張学礼・副使の王垓来琉し,尚質を国王に封ずる.帰国後に『使琉球記』を著す.
1664年
- 中国:康煕3年
- 日本:寛文4年
- 琉球:尚質17年
【琉球】
3.12[2.15]慶賀・進香のため王舅の英常春を派遣.
進貢貿易の不正に関し島津氏が関係者を処分した北谷・恵祖事件おこる.
1668年
- 中国:康熙7年
- 日本:寛文8年
- 琉球:尚質21年
【琉球】
3.27[2.15]進貢のため耳目官の呉文顯等を派遣.
1669年
- 中国:康煕8年
- 日本:寛文9年
- 琉球:尚貞1年
【琉球】
4.13[3.13]探貢・報喪のため正議大夫の林茂盛等を派遣.
高奉行を設置.士・百姓問わず申請に応じて,仕明(開墾)を許可.
【日本】
蝦夷地でシャクシャインの戦いがおこる.
1670年
- 中国:康煕9年
- 日本:寛文10年
- 琉球:尚貞2年
【琉球】
11.25[10.13]進貢のため耳目官の冨茂昌等を派遣.
諸士に系図の提出を命ずる.平田典通,中国で上焼を習得して帰国.
1671年
- 中国:康煕10年
- 日本:寛文11年
- 琉球:尚貞3年
【琉球】
尚貞即位の謝恩のため使節派遣.
1672年
- 中国:康熙11年
- 日本:寛文12年
- 琉球:尚貞4年
【琉球】
12.3[10.15]進貢のため耳目官の呉美徳等を派遣.
1673年
- 中国:康煕12年
- 日本:延宝1年
- 琉球:尚貞5年
【琉球】
「羽地仕置」成立.国王の知念・玉城・久高への行幸を停止.
1678年
- 中国:康煕17年
- 日本:延宝6年
- 琉球:尚貞10年
【琉球】
12.11[10.18]進貢のため耳目官の陸承恩等を派遣.
恩納(佐渡山)親方安治が検使として宮古・八重山に派遣される.八重山独自の神職永良比金(エラビンガニ),廃止.
1680年
- 中国:康熙19年
- 日本:延宝8年
- 琉球:尚貞12年
【琉球】
11.20[9.30]進貢・請封のため耳目官の毛見龍等を派遣.
1682年
- 中国:康煕21年
- 日本:天和2年
- 琉球:尚貞14年
【琉球】
11.10[10.12]進貢,冊封使迎接のため耳目官の毛文祥等を派遣.
知花・宝口・湧田の陶窯を壺屋に統合.綱吉将軍職就任の慶賀のため使節派遣.
1683年
- 中国:康煕22年
- 日本:天和3年
- 琉球:尚貞15年
【琉球】
12.19[11.2]謝恩のため法司王舅の毛国珍等を派遣.
12.19[11.2]冊封使を護送するため都通事の毛文善等を派遣.
冊封使の汪楫・副使の林麟焻来琉し,尚貞を国王に封ずる.汪楫,帰国後に『使琉球雑録』『中山沿革志』を著す.
【その他】
オスマン帝国,第2次ウィーン包囲失敗.
1684年
- 中国:康熙23年
- 日本:貞享1年
- 琉球:尚貞16年
【琉球】
12.30[11.25]進貢のため耳目官の呉世俊等を派遣.
1686年
- 中国:康煕25年
- 日本:貞享3年
- 琉球:尚貞18年
【琉球】
12.18[11.4]進貢・官生派遣のため耳目官の魏応伯等を派遣.
12.18[11.4]官生として官生の梁成楫・鄭秉鈞・阮維新・蔡文溥等を派遣.
幕府,渡唐銀を2000両に制限.
1687年
- 中国:康煕26年
- 日本:貞享4年
- 琉球:尚貞19年
【琉球】
山林・原野の開墾を禁止.
1688年
- 中国:康煕27年
- 日本:元禄1年
- 琉球:尚貞20年
【琉球】
10.8[9.15]進貢のため耳目官の毛起竜等を派遣.
清,進貢船の乗員を200人に増員,接貢船の関税を免除.島津氏,琉球の渡唐銀を706貫に減額.
【その他】
イギリス,名誉革命(~1689).
1689年
- 中国:康煕28年
- 日本:元禄2年
- 琉球:尚貞21年
【琉球】
12.1[10.20]接貢のため都通事の毛文善等を派遣.
系図座設置,翌年より「家譜」の編集はじまる.
【中国】
清,ロシアとネルチンスク条約を締結.
1690年
- 中国:康熙29年
- 日本:元禄3年
- 琉球:尚貞22年
【琉球】
11.11[10.11]進貢のため耳目官の温允傑等を派遣.
1691年
- 中国:康熙30年
- 日本:元禄4年
- 琉球:尚貞23年
【琉球】
11.27[10.8]接貢のため都通事の鄭明良等を派遣.
1692年
- 中国:康熙31年
- 日本:元禄5年
- 琉球:尚貞24年
【琉球】
12.2[10.25]進貢・謝恩のため耳目官の馬廷器等を派遣.
1693年
- 中国:康熙32年
- 日本:元禄6年
- 琉球:尚貞25年
【琉球】
11.6[10.9]接貢のため都通事の毛文善等を派遣.
1695年
- 中国:康煕34年
- 日本:元禄8年
- 琉球:尚貞27年
【琉球】
11.14[10.8]接貢のため都通事の蔡灼等を派遣.
1696年
- 中国:康熙35年
- 日本:元禄9年
- 琉球:尚貞28年
【琉球】
11.14[10.20]進貢のため耳目官の毛天相等を派遣.
1697年
- 中国:康煕36年
- 日本:元禄10年
- 琉球:尚貞29年
【琉球】
12.10[10.27]接貢のため都通事の魏士哲等を派遣.
百姓の甘蔗・ウコンの作付制限.蔡鐸『中山世譜』を編集(~1701).『法式』(諸間切法式帳)布達.
1698年
- 中国:康熙37年
- 日本:元禄11年
- 琉球:尚貞30年
【琉球】
1.11[康煕36.11.30]王命を受け蔡鐸等により『歴代宝案』(第一集)が編集され成立.
11.22[10.20]進貢のため耳目官の毛龍図等を派遣.
宮古・八重山,製糖制限令により甘蔗作禁止.
1700年
- 中国:康熙39年
- 日本:元禄13年
- 琉球:尚貞32年
【琉球】
12.06[10.26]進貢のため耳目官の毛得範等を派遣.
1701年
- 中国:康熙40年
- 日本:元禄14年
- 琉球:尚貞33年
【琉球】
5.17[4.10]漂着民護送のため都通事の鄭士綸等を派遣.
11.14[10.15]接貢のため都通事の梁成楫等を派遣.
【その他】
スペイン継承戦争(~1713).
ドイツ,プロイセン王国成立.
1702年
- 中国:康熙41年
- 日本:元禄15年
- 琉球:尚貞34年
【琉球】
11.26[10.8]進貢のため耳目官の毛興龍等を派遣.
1703年
- 中国:康熙42年
- 日本:元禄16年
- 琉球:尚貞35年
【琉球】
12.6[10.28]接貢のため都通事の金溥等を派遣.
1704年
- 中国:康煕43年
- 日本:宝永1年
- 琉球:尚貞36年
【琉球】
11.9[10.12]進貢のため耳目官の温開栄等を派遣.
薩摩,「宝永元年御条目」を布達.
【中国】
典礼問題おこる.
1707年
- 中国:康熙46年
- 日本:宝永4年
- 琉球:尚貞39年
【琉球】
接貢のため都通事の阮維新等を派遣.
1708年
- 中国:康煕47年
- 日本:宝永5年
- 琉球:尚貞40年
【琉球】
11.[10.]進貢のため耳目官の向英等を派遣.
この頃,沖縄・八重山で麻疹流行.
程順則,『六諭衍義』を福州で板刻し琉球に持ち帰る.
【日本】
徳之島で天然痘流行.
1709年
- 中国:康煕48年
- 日本:宝永6年
- 琉球:尚貞41年
【琉球】
11.[10.]接貢・報喪のため正議大夫蔡灼等を派遣.
大飢饉(死者3199人)おこる.首里城,再び炎上,正殿・北殿・南殿焼失.
【日本】
正徳の治(新井白石の登用)
1712年
- 中国:康煕51年
- 日本:正徳2年
- 琉球:尚益3年
【琉球】
首里城再建.島津,琉球国王の中山王の称号を許可.国王以外の王族の氏を向に改称.
進貢のため耳目官の毛九経等を派遣.
宮古・八重山,頭から蔵筆者およびその二子まで賦税免税.
1713年
- 中国:康煕52年
- 日本:正徳3年
- 琉球:尚敬1年
【琉球】
12.26[11.9]接貢のため耳目官の梁承寔等を派遣.
砂糖奉行を再建.蔡温,国師職を授かる.『琉球国由来記』編集.
八重山の白保村立,波照間村から300人を移住.
1714年
- 中国:康煕53年
- 日本:正徳4年
- 琉球:尚敬2年
【琉球】
12.17[11.11]進貢のため耳目官の馬献功等を派遣.
家継将軍職就任の慶賀,尚敬即位の謝恩のため使節派遣.この時,程順則,新井白石・萩生徂来と会う.
1716年
- 中国:康熙55年
- 日本:享保1年
- 琉球:尚敬4年
【琉球】
12.24[10.11]進貢・請封のため耳目官の夏執中等を派遣.
【日本】
徳川吉宗が将軍となり,享保の改革をおこなう.
1717年
- 中国:康熙56年
- 日本:享保2年
- 琉球:尚敬5年
【琉球】
11.10[10.8]接貢のため都通事の鄭廷極等を派遣.
1718年
- 中国:康煕57年
- 日本:享保3年
- 琉球:尚敬6年
【琉球】
11.9[9.17]進貢・接封のため耳目官の向秉乾等を派遣.
11.[9.]漂着民護送のため都通事の毛士達等を派遣.
地方百姓の首里・那覇・泊・久米村移住を禁止.吉宗将軍職就任の慶賀のため使節派遣.
1719年
- 中国:康煕58年
- 日本:享保4年
- 琉球:尚敬7年
【琉球】
冊封使の海宝・副使の徐葆光来琉し,尚敬を国王に封ずる.この時,冊封使とともに測量官の平安・豊盛額派遣される.
【琉球】
評価(ハンガー)事件.冊封の宴で玉城朝薫による組踊初上演.
【日本】
この頃,新井白石『南島志』を著す.
1720年
- 中国:康熙59年
- 日本:享保5年
- 琉球:尚敬8年
【琉球】
1.1[康熙58.11.22]謝恩のため法司王舅の向龍翼等を,冊封使を護送し国に帰すため都通事の鄭士紳等を派遣.
10.28[9.27]進貢のため耳目官の毛廷輔等を派遣.
1722年
- 中国:康煕61年
- 日本:享保7年
- 琉球:尚敬10年
【琉球】
12.10[11.3]進貢のため耳目官の毛弘健等を派遣.
12.10[11.3]官生として蔡用佐・蔡元龍・鄭師崇等を派遣.
薩摩より検地を命ぜられる(享保の盛増).現高8万7815石余.
1723年
- 中国:雍正1年
- 日本:享保8年
- 琉球:尚敬11年
【琉球】
11.[10.]慶賀・進香のため王舅の翁国柱等を,官生として鄭秉哲・鄭謙・蔡宏訓等を派遣.
1724年
- 中国:雍正2年
- 日本:享保9年
- 琉球:尚敬12年
【琉球】
11.[10.]進貢のため耳目官の毛健元等を派遣.
蔡温,『中山世譜』を増補改訂(~1725).
【中国】
キリスト教の布教を禁止する.
1726年
- 中国:雍正4年
- 日本:享保11年
- 琉球:尚敬14年
【琉球】
11.2[10.9]進貢のため耳目官の毛汝龍等を派遣.
1727年
- 中国:雍正5年
- 日本:享保12年
- 琉球:尚敬15年
【琉球】
11.2[10.10]接貢のため都通事の鄭国柱等を派遣.
享保の盛増,高9万4230石余.
【中国】
ロシアとキャフタ条約を締結.
1728年
- 中国:雍正6年
- 日本:享保13年
- 琉球:尚敬16年
【琉球】
12.10[11.10]進貢のため耳目官の毛鴻基等を派遣.
蔡温,三司官となる.現高8万8547石余.トキ・ユタ禁止.取納奉行設置.
1730年
- 中国:雍正8年
- 日本:享保15年
- 琉球:尚敬18年
【琉球】
12.30[11.21]進貢のため王舅の向克濟等を派遣.
程順則等の命により康煕36年から雍正5年までの記録を編集し『歴代宝案』第二集の巻16までが編纂される.以後,順次編纂される.
麻疹流行.
1732年
- 中国:雍正10年
- 日本:享保17年
- 琉球:尚敬20年
【琉球】
12.11[10.24]進貢のため耳目官の温思明等を派遣.
12.11[10.24]雇用船を返還するため都通事の蔡墉等を派遣.
蔡温ら『御教条』を発布.「位階定」を布達.
【日本】
享保の大飢饉.
1734年
- 中国:雍正12年
- 日本:享保19年
- 琉球:尚敬22年
【琉球】
3.17[2.13]漂着民護送のため都通事の鄭廷幹等を派遣.
「国家の御難題」を企んだとして,平敷屋朝敏・友寄安乗ら処刑.蔡温ら『農務帳』を公布.
1735年
- 中国:雍正13年
- 日本:享保20年
- 琉球:尚敬23年
【琉球】
蔡温,羽地川の治水にあたり,植林奨励.『諸間切公事帳』発布.
【日本】
徳之島に黍横目を設置.
1736年
- 中国:乾隆1年
- 日本:元文1年
- 琉球:尚敬24年
【琉球】
11.15[10.13]進貢のため耳目官の毛光潤等を派遣.
蔡温,国中の河川を改修し,村落の新設・移転を行う.
凶作にそなえて,各間切で囲米を実施する.
1737年
- 中国:乾隆2年
- 日本:元文2年
- 琉球:尚敬25年
【琉球】
1.30[乾隆1.12.11]進香・慶賀のため王舅の向啓猷等を派遣.
『山奉行所規模帳』『杣山法式帳』発布.乾隆の大御支配(元文検地)開始(~1750).
1738年
- 中国:乾隆3年
- 日本:元文3年
- 琉球:尚敬26年
【琉球】
12.18[11.8]進貢のため耳目官の向維豪等を派遣.
1739年
- 中国:乾隆4年
- 日本:元文4年
- 琉球:尚敬27年
【琉球】
11.27[10.27]接貢のため都通事の鄭秉哲等を派遣.
【日本】
ロシア船が安房沖に来航する.幕府,沿岸警備を強化する.
1740年
- 中国:乾隆5年
- 日本:元文5年
- 琉球:尚敬28年
【琉球】
12.28[11.10]進貢・謝恩のため紫巾官の翁鴻業等を派遣.
1741年
- 中国:乾隆6年
- 日本:寛保1年
- 琉球:尚敬29年
【琉球】
12.11[11.4]接貢のため都通事の鄭士綽等を派遣.
1742年
- 中国:乾隆7年
- 日本:寛保2年
- 琉球:尚敬30年
【琉球】
4.11[3.7]漂着民護送のため都通事の阮為標等を派遣.
12.9[11.13]進貢のため耳目官の毛文和等を派遣.
1745年
- 中国:乾隆10年
- 日本:寛保5年
- 琉球:尚敬33年
【琉球】
4.17[3.16]漂着民護送のため都通事の蔡宏謨等を派遣.
1746年
- 中国:乾隆11年
- 日本:寛保6年
- 琉球:尚敬34年
【琉球】
12.27[11.16]進貢のため耳目官の毛允仁等を派遣.
1747年
- 中国:乾隆12年
- 日本:寛保7年
- 琉球:尚敬35年
【日本】
喜界島,天然痘流行.
1749年
- 中国:乾隆14年
- 日本:寛延2年
- 琉球:尚敬37年
【琉球】
1.12[乾隆13.11.24]進貢のため耳目官の向永成等を派遣.
1750年
- 中国:乾隆15年
- 日本:寛延3年
- 琉球:尚敬38年
【琉球】
1.31[乾隆14.12.24]漂着民護送のため都通事の阮超群等を派遣.
4.26[3.20]漂着民護送のため都通事の陳以桂等を派遣.
12.1[11.18]進貢のため耳目官の毛元烈等を派遣.
三府龍脈碑記,名護に建立される.
1751年
- 中国:乾隆16年
- 日本:宝暦1年
- 琉球:尚敬39年
【琉球】
12.13[10.26]接貢・喪報のため正議大夫の鄭国楨等を派遣.
1752年
- 中国:乾隆17年
- 日本:宝暦2年
- 琉球:尚穆1年
【琉球】
11.24[10.19]進貢のため耳目官の向邦鼎等を派遣.
尚穆即位の謝恩のため使節派遣.
【東南アジア】
ビルマ,コンバウン朝成立(~1885).
1753年
- 中国:乾隆18年
- 日本:宝暦3年
- 琉球:尚穆2年
【琉球】
11.04[10.10]接貢のため都通事の金安等を派遣.
1754年
- 中国:乾隆19年
- 日本:宝暦4年
- 琉球:尚穆3年
【琉球】
12.5[10.22]進貢・請封のため耳目官の毛元翼等を派遣.
1755年
- 中国:乾隆20年
- 日本:宝暦5年
- 琉球:尚穆4年
【琉球】
11.30[10.27]接貢のため在船都通事の鄭秉和等を派遣.
1756年
- 中国:乾隆21年
- 日本:宝暦6年
- 琉球:尚穆5年
【琉球】
12.3[10.12]謝恩・進貢のため法司王舅の馬宣哲等を派遣.
冊封使の全魁・副使の周煌来琉し,尚穆を国王に封ずる.周煌,帰国後に『琉球国志略』を著す.
1757年
- 中国:乾隆22年
- 日本:宝暦7年
- 琉球:尚穆6年
【琉球】
2.12[乾隆21.12.24]冊封使を護送し帰国させるため都通事の梁増等を派遣.
12.19[11.9]国使を接回するため都通事の鄭允廸等を派遣.
12.19[11.9]接貢のため都通事の阮超叙等を派遣.
【中国】
ヨーロッパとの貿易を広州1港に制限する.
【その他】
インド,プラッシーの戦い.
1758年
- 中国:乾隆23年
- 日本:宝暦8年
- 琉球:尚穆7年
【琉球】
11.11[10.11]進貢のため耳目官の毛世俊等を,官生として梁允治・鄭孝徳・蔡世昌・金型等を派遣.
1759年
- 中国:乾隆24年
- 日本:宝暦9年
- 琉球:尚穆8年
【琉球】
11.27[10.8]接貢のため都通事の鄭宣猷等を派遣.
1761年
- 中国:乾隆26年
- 日本:宝暦11年
- 琉球:尚穆10年
【琉球】
10.21[9.24]漂着民護送のため都通事の金節等を派遣.
1762年
- 中国:乾隆27年
- 日本:宝暦12年
- 琉球:尚穆11年
【琉球】
11.30[10.15]進貢のため耳目官の馬国器等を派遣.
1763年
- 中国:乾隆28年
- 日本:宝暦13年
- 琉球:尚穆12年
【琉球】
接貢のため在船都通事の紅乗毅等を派遣.
1766年
- 中国:乾隆31年
- 日本:明和3年
- 琉球:尚穆15年
【琉球】
1.30[乾隆30.12.2]接貢のため都通事の梁増等を派遣.
12.25[11.24]進貢のため耳目官の阿必振等を派遣.
田地奉行職設置.総横目役設置.上江洲倫完,人痘法を行う.
1767年
- 中国:乾隆32年
- 日本:明和4年
- 琉球:尚穆16年
【琉球】
与世山親方,検使として宮古・八重山・久米島を視察.宮古島で天然痘流行,多良間島まで蔓延.
【日本】
徳之島・喜界島で天然痘流行.
1768年
- 中国:乾隆33年
- 日本:明和5年
- 琉球:尚穆17年
【琉球】
1.26[乾隆32.12.7]接貢のため在船都通事の毛廷秀等を派遣.
大地震発生,王城の石垣をはじめ家屋多数倒壊.慶良間島,津波による被害.
1769年
- 中国:乾隆34年
- 日本:明和6年
- 琉球:尚穆18年
【琉球】
1.14[乾隆33.12.7]進貢のため耳目官の毛徳儀等を派遣.
12.14[11.17]接貢のため使者の楊光祖等を派遣.
1770年
- 中国:乾隆35年
- 日本:明和7年
- 琉球:尚穆19年
【琉球】
12.27[11.11]進貢のため耳目官の毛自煥等を派遣.
『与世山親方八重山島規模帳』『与世山親方宮古島規模帳』など出される.
1771年
- 中国:乾隆36年
- 日本:明和8年
- 琉球:尚穆20年
【琉球】
乾隆の大津波(明和津波)発生,宮古・八重山の死者1万1941人.八重山で疫癘流行.
1772年
- 中国:乾隆37年
- 日本:安永1年
- 琉球:尚穆21年
【琉球】
1.13[乾隆36.12.9]接貢のため都通事の鄭鴻勲等を派遣.
12.5[11.11]進貢のため耳目官の向宣謨等を派遣.
疫病流行し4560余人死亡(『球陽』).
【日本】
田沼意次が老中となる.
1774年
- 中国:乾隆39年
- 日本:安永3年
- 琉球:尚穆23年
【琉球】
12.13[11.11]進貢のため耳目官の向崇猷等を派遣.
1775年
- 中国:乾隆40年
- 日本:安永4年
- 琉球:尚穆24年
【その他】
アメリカ独立戦争(~1783).
1776年
- 中国:乾隆41年
- 日本:安永5年
- 琉球:尚穆25年
【琉球】
1.1[乾隆40.11.11]接貢のため在船都通事の毛景裕等を派遣.
12.22[11.12]進貢のため耳目官の翁宏基等を派遣.
【その他】
アメリカ独立宣言.
1777年
- 中国:乾隆42年
- 日本:安永6年
- 琉球:尚穆26年
【琉球】
12.1[11.2]接貢のため在船都通事の程容光等を派遣.
1779年
- 中国:乾隆44年
- 日本:安永8年
- 琉球:尚穆28年
【琉球】
12.17[11.10]接貢のため在船都通事の楊文煥等を派遣.
1780年
- 中国:乾隆45年
- 日本:安永9年
- 琉球:尚穆29年
【琉球】
12.1[11.6]進貢のため耳目官の向翼等を派遣.
1781年
- 中国:乾隆46年
- 日本:天明1年
- 琉球:尚穆30年
【琉球】
12.1[11.15]接貢のため在船都通事の梁国琬等を派遣.
1782年
- 中国:乾隆47年
- 日本:天明2年
- 琉球:尚穆31年
【琉球】
進貢のため耳目官の毛廷棟等を派遣.
【日本】
天明の大飢饉(~1787).
【東南アジア】
タイ,ラタナコーシン朝成立.
1783年
- 中国:乾隆48年
- 日本:天明3年
- 琉球:尚穆32年
【琉球】
11.30[11.7]接貢のため在船都通事の鄭維翰等を派遣.
1784年
- 中国:乾隆49年
- 日本:天明4年
- 琉球:尚穆33年
【琉球】
薩摩の琉球仮屋を琉球館に,仮屋守を聞役と改称.この頃より翌年にかけて大飢饉,1785年薩摩藩へ援助要請.
進貢のため耳目官の向猷等を派遣.
1785年
- 中国:乾隆50年
- 日本:天明5年
- 琉球:尚穆34年
【琉球】
12.11[11.10]接貢のため在船都通事の蔡徳蘊等を派遣.
1788年
- 中国:乾隆53年
- 日本:天明8年
- 琉球:尚穆37年
【琉球】
11.29[11.2]進貢・謝恩のため紫巾官の向處中等を派遣.
1791年
- 中国:乾隆56年
- 日本:寛政3年
- 琉球:尚穆40年
【琉球】
接貢のため在船使者の伊宜璉等を派遣.
1792年
- 中国:乾隆57年
- 日本:寛政4年
- 琉球:尚穆41年
【琉球】
1.1[乾隆56.11.9]進貢のため耳目官の毛国棟等を派遣.
【中国】
イギリス使節マカートニーが乾隆帝に謁見.
【日本】
ロシアのラクスマンが根室に来航.
1793年
- 中国:乾隆58年
- 日本:寛政5年
- 琉球:尚穆42年
【琉球】
12.5[11.3]接貢のため在船都通事の阮成善等を派遣.
1795年
- 中国:乾隆60年
- 日本:寛政7年
- 琉球:尚温1年
【琉球】
12.17[11.7]接貢のため在船都通事の鄭天眷等を,慶賀・進貢のため王舅の東邦鼎等を派遣.
【日本】
徳之島・喜界島で天然痘流行.
1796年
- 中国:嘉慶1年
- 日本:寛政8年
- 琉球:尚温2年
【琉球】
尚温即位の謝恩のため使節派遣.
【中国】
白蓮教徒の乱(~1804).
1799年
- 中国:嘉慶4年
- 日本:寛政11年
- 琉球:尚温5年
【琉球】
9.6[8.7]接貢・接封のため正議大夫の梁煥等を派遣.
1800年
- 中国:嘉慶5年
- 日本:寛政12年
- 琉球:尚温6年
【琉球】
10.29[9.12]冊封謝恩のため王舅の毛国棟等を派遣.
冊封使の趙文楷・副使の李鼎元来琉し,尚温を国王に封ずる.
冊封使を護送し帰国させるため都通事の蔡清派等を,進貢のため耳目官の向必顕等を派遣.
この年,久米村(士族)が独占していた官生を首里(士族)からも採用することになり,官生騒動おこる.
【日本】
伊能忠敬が蝦夷地の測量をおこなう.
1801年
- 中国:嘉慶6年
- 日本:享和1年
- 琉球:尚温7年
【琉球】
接貢のため在船都通事の林家槐等を,接回国使のため在船都通事の梁邦弼等を派遣.
1802年
- 中国:嘉慶7年
- 日本:享和2年
- 琉球:尚温8年
【琉球】
7.9[6.10]進貢のため在船都通事の王以文等を,官生として向偱師・周崇鐈・向世徳・鄭邦孝等を派遣.
7.9[6.10]漂着民護送のため都通事の鄭世俊を派遣.
この頃,『歴代宝案』(国立国会図書館写本)成立か.
【東南アジア】
阮福映がベトナムを統一.
1803年
- 中国:嘉慶8年
- 日本:享和3年
- 琉球:尚成1年
【琉球】
9.22[8.7]接貢・報喪のため正議大夫の梁允功等を派遣.
9.22[8.7]雇用船を返還するため在船都通事の阮世晋等を派遣.
1804年
- 中国:嘉慶9年
- 日本:文化1年
- 琉球:尚灝1年
【琉球】
9.16[8.13]進貢のため耳目官の毛廷勷等を派遣.(1802年に派遣するも途中死亡した官生向偱師等の代わりに)毛邦俊・向邦正・梁文翼・楊徳昌等を派遣.
【日本】
ロシア使節のレザノフが長崎に来航.
【その他】
ハイチが独立.以後ラテンアメリカ諸国の独立が続く.
フランス,ナポレオンが皇帝に即位する.
1805年
- 中国:嘉慶10年
- 日本:文化2年
- 琉球:尚灝2年
【琉球】
9.28[8.6]接貢のため在船都通事の鄭永泰等を派遣.
1806年
- 中国:嘉慶11年
- 日本:文化3年
- 琉球:尚灝3年
【琉球】
9.18[8.7]進貢・請封のため耳目官の楊克敦等を派遣.
尚灝即位の謝恩のため使節派遣.
【その他】
神聖ローマ帝国滅亡.
ナポレオンが大陸封鎖令を発令する.
1807年
- 中国:嘉慶12年
- 日本:文化4年
- 琉球:尚灝4年
【琉球】
接貢・接封のため正議大夫の蔡邦錦等を派遣.
1808年
- 中国:嘉慶13年
- 日本:文化5年
- 琉球:尚灝5年
【琉球】
11.1[9.13]冊封謝恩のため法司王舅の毛光国等を,冊封使を護送し帰国させるため都通事の蔡肇基等を派遣.
11.1[9.13]雇用船を返還するため在船都通事の鄭世俊等を派遣.
冊封使の斉鯤・副使の費錫章来琉し,尚灝を国王に封ずる.斉鯤,帰国後に『続琉球国志略』を著す.
【日本】
フェートン号事件.
1809年
- 中国:嘉慶14年
- 日本:文化6年
- 琉球:尚灝6年
【琉球】
2.5[嘉慶13.12.21]雇用船を賠還するため在船都通事の鄭崇基等を派遣.
2.5[嘉慶13.12.21]接回員役のため在船都通事の毛廷器等を派遣.
接回国使のため在船都通事の鄭文洙等を派遣.
漂着民護送のため都通事の魏崇仁等を派遣.
1810年
- 中国:嘉慶15年
- 日本:文化7年
- 琉球:尚灝7年
【琉球】
進貢のため耳目官の向国柱等を,官生として陳善継・馬執宏・毛世輝・梁元樞等を派遣.
1811年
- 中国:嘉慶16年
- 日本:文化8年
- 琉球:尚灝8年
【琉球】
9.25[8.8]接回員役のため在船都通事の蔡次九等を派遣.
1812年
- 中国:嘉慶17年
- 日本:文化9年
- 琉球:尚灝9年
【琉球】
9.15[8.10]進貢のため耳目官の向謹等を派遣.
1813年
- 中国:嘉慶18年
- 日本:文化10年
- 琉球:尚灝10年
【琉球】
接貢のため在船都通事の梁淵等を派遣.
1814年
- 中国:嘉慶19年
- 日本:文化11年
- 琉球:尚灝11年
【琉球】
9.20[8.7]進貢のため耳目官の向斌等を派遣.
この頃,『歴代宝案』(鄭良弼写本)成立か.
【その他】
ウィーン会議開催.
1815年
- 中国:嘉慶20年
- 日本:文化12年
- 琉球:尚灝12年
【琉球】
9.15[8.13]接貢のため在船都通事の鄭克新等を派遣.
9.15[8.13]護送のため都通事の王秉行等を派遣.
1816年
- 中国:嘉慶21年
- 日本:文化13年
- 琉球:尚灝13年
【琉球】
イギリス軍艦ライラ号,アルセスト号来航し滞在.ジョン・マクロード,バジル・ホール来琉し,帰国後に航海記を著す.この年,飢饉がおこり死者1563人にのぼる.
進貢のため耳目官の毛維憲等を派遣.
漂着民護送のため都通事の金思明等を派遣.
【中国】
イギリス使節アマーストが来航.
1817年
- 中国:嘉慶22年
- 日本:文化14年
- 琉球:尚灝14年
【琉球】
4.22[3.7]漂着民護送のため都通事の鄭思謨等を派遣.
9.14[8.4]接貢のため在船都通事の魏崇仁等を派遣.
【その他】
ジョン・マクロード『アルセスト号朝鮮琉球航海記』刊行.
1820年
- 中国:嘉慶25年
- 日本:文政3年
- 琉球:尚灝17年
【琉球】
9.18[8.12]進貢のため耳目官の向邦正等を派遣.
1821年
- 中国:道光1年
- 日本:文政4年
- 琉球:尚灝18年
【琉球】
慶賀・進香・接貢のため王舅の向廷謀等を派遣.
漂着民護送のため司瞻養大使の傅国屏等を派遣.
1822年
- 中国:道光2年
- 日本:文政5年
- 琉球:尚灝19年
【琉球】
進貢のため耳目官の毛樹徳等を派遣.
1823年
- 中国:道光3年
- 日本:文政6年
- 琉球:尚灝20年
【琉球】
9.19[8.15]接貢のため在船都通事の陳有憲等を派遣.
9.19[8.15]漂着民護送のため都通事の梁宏業等を派遣.
9.19[8.15]漂着民護送のため都通事の陳啓緒等を派遣.
12.5[11.4]雇用船返還のため在船都通事の王秉謙等を派遣.
【その他】
アメリカ,モンロー宣言.
1824年
- 中国:道光4年
- 日本:文政7年
- 琉球:尚灝21年
【琉球】
進貢のため耳目官の向廷楷等を派遣.
1825年
- 中国:道光5年
- 日本:文政8年
- 琉球:尚灝22年
【琉球】
4.27[3.10]漂着民護送のため都通事の紅泰煕等を派遣.
9.14[8.3]接貢のため在船都通事の毛超叙等を派遣.
9.14[8.3]漂着民護送のため都通事の孫光裕等を派遣.
【日本】
清・オランダ以外の船の撃退を命じる異国船打払令(無二念打払令)が出される.
1826年
- 中国:道光6年
- 日本:文政9年
- 琉球:尚灝23年
【琉球】
9.14[8.13]進貢・謝恩のため紫巾官の馬開基等を派遣.
【東南アジア】
マレー半島に,イギリス領海峡植民地が成立.
【その他】
バジル・ホール『朝鮮西沿岸及び大琉球島探検航海記』刊行.
1827年
- 中国:道光7年
- 日本:文政10年
- 琉球:尚灝24年
【琉球】
4.29[4.4]護送のため都通事の魏永昌等を派遣.
9.22[8.2]接貢のため在船都通事の魏思聰等を派遣.
前年の暴風雨のため大飢饉.4年連続の飢饉で死者が3358人にのぼる.イギリス軍艦ブロッサム号来琉.
1829年
- 中国:道光9年
- 日本:文政12年
- 琉球:尚灝26年
【琉球】
8.31[8.3]接貢のため在船都通事の王秉謙等を派遣.
1830年
- 中国:道光10年
- 日本:天保1年
- 琉球:尚灝27年
【琉球】
9.23[8.7]進貢のため耳目官の向国壁等を派遣.
1831年
- 中国:道光11年
- 日本:天保2年
- 琉球:尚灝28年
【琉球】
5.29[4.18]漂着民護送のため都通事の鄭肇業等を派遣.
9.12[8.7]接貢のため在船都通事の陳啓緒等を派遣.
「新集科律」制定.薩摩,貢米2800石の替わりに砂糖75万斤の上納を命じる(薩摩への貢糖の始まり).『久米仲里間切公事帳』『久米具志川間切例帳』出される.
1832年
- 中国:道光12年
- 日本:天保3年
- 琉球:尚灝29年
【琉球】
8.27[8.2]進貢のため耳目官の向永昌等を派遣.
イギリス軍艦アマースト号来航.宣教師ギュツラフ来琉.暴風と干ばつにより大飢饉がおこる.尚育即位の謝恩のため使節派遣.
1835年
- 中国:道光15年
- 日本:天保6年
- 琉球:尚育1年
【琉球】
9.25[8.4]接貢のため在船都通事の楊徳崇等を派遣.
1836年
- 中国:道光16年
- 日本:天保7年
- 琉球:尚育2年
【琉球】
9.13[8.3]進貢のため耳目官の向大烋等を派遣.
1837年
- 中国:道光17年
- 日本:天保8年
- 琉球:尚育3年
【琉球】
3.[2.]漂着民護送のため都通事の鄭元偉等を派遣.
9.2[8.3]接封・接貢のため正議大夫の鄭良弼等を派遣.
アメリカ商船モリソン号,那覇へ来航.その後,浦賀と山川で砲撃を受ける(モリソン号事件).
【日本】
大塩平八郎の乱.
【その他】
ウィリアム・ブロートン『北太平洋航海踏査録』刊行.
1838年
- 中国:道光18年
- 日本:天保9年
- 琉球:尚育4年
【琉球】
10.3[8.15]謝恩・進貢のため法司王舅の翁寛等を派遣.
10.3[8.15]冊封使を護送し帰国させるため都通事の鄭依信等を派遣.
冊封使の林鴻年・副使の高人鑑来琉し,尚育を国王に封ずる.林鴻年,帰国後に『使琉球録』を著す.
1839年
- 中国:道光19年
- 日本:天保10年
- 琉球:尚育5年
【琉球】
9.9[8.2]接貢のため在船都通事の梁宏業等を派遣.
接回のため在船都通事の王徳才等を派遣.
【中国】
欽差大臣の林則徐,広州でアヘンの取り締まりをおこなう.
【日本】
蛮社の獄.
1840年
- 中国:道光20年
- 日本:天保11年
- 琉球:尚育6年
【琉球】
8.29[8.3]進貢のため耳目官の向国鼎等を派遣.
8.29[8.3]官生として阮宣詔・鄭学楷・向克秀・東国興等を派遣.
イギリス東インド会社のインディアン・オーク号,北谷沖で座礁し,島民に救助される.
【中国】
アヘン戦争(~1842).
1841年
- 中国:道光21年
- 日本:天保12年
- 琉球:尚育7年
【琉球】
5.12[閏3.22]漂着民護送のため都通事の王兆杜等を派遣.
9.16[8.2]接貢のため在船都通事の鄭国宝等を派遣.
【日本】
老中の水野忠邦が天保の改革をはじめる.
1842年
- 中国:道光22年
- 日本:天保13年
- 琉球:尚育8年
【琉球】
9.8[8.4]進貢のため耳目官の向紹元等を派遣.
家慶将軍職就任の慶賀のため使節派遣.
【中国】
イギリスと南京条約を締結する.
【日本】
天保の薪水給与令が出される.
1843年
- 中国:道光23年
- 日本:天保14年
- 琉球:尚育9年
【琉球】
イギリス軍艦サマラン号,宮古・八重山に立ち寄り,土地測量,動植物採集などを行う.
接貢のため在船使者の金弘謨等を派遣.
1844年
- 中国:道光24年
- 日本:弘化1年
- 琉球:尚育10年
【琉球】
進貢のため耳目官の毛嘉栄等を派遣.
フランス軍艦アルクメーヌ号来航,和親交易・布教を要求.宣教師フォルカードを残す(聖現寺に逗留).
【中国】
アメリカと望厦条約,フランスと黄埔条約を締結する.
1846年
- 中国:道光26年
- 日本:弘化3年
- 琉球:尚育12年
【琉球】
イギリスの宣教師ベッテルハイム来琉(護国寺に逗留 ~1854).フランス艦隊来航し,フォルカードを乗せて去る.首里城重修.
那覇滞在のベッテルハイム等の退去を要請するため請諭使王舅の毛増光等を,進貢のため耳目官の向元模等を派遣.
1847年
- 中国:道光27年
- 日本:弘化4年
- 琉球:尚育13年
【琉球】
9.12[8.4]接貢のため在船都通事の蔡能述等を派遣.
1849年
- 中国:道光29年
- 日本:嘉永2年
- 琉球:尚泰2年
【琉球】
9.20[8.4]接貢のため在船都通事の蔡士俊等を派遣.
1851年
- 中国:咸豊1年
- 日本:嘉永4年
- 琉球:尚泰4年
【琉球】
8.29[8.3]接貢のため在船都通事の毛嘉梧等を派遣.
ジョン万次郎ら,アメリカ船で来琉し,摩文仁に上陸.
【中国】
太平天国の乱(~1864).
【その他】
ロンドンで第1回万国博覧会開催.
1852年
- 中国:咸豊2年
- 日本:嘉永5年
- 琉球:尚泰5年
【琉球】
9.16[8.3]那覇滞在のベッテルハイム等の退去を要請するため請諭使王舅の馬克承等を,進貢のため耳目官の毛種美等を派遣.
異国方御用掛を設置.
中国人奴隷(苦力)の反乱により,アメリカの奴隷貿易船ロバート・バウン号,石垣島に漂着.苦力380人,上陸するも翌年にかけイギリス軍艦により128人死亡(ロバート・バウン号事件).宮古島,大飢饉で死者3000余人(子年大飢饉)
1853年
- 中国:咸豊3年
- 日本:嘉永6年
- 琉球:尚泰6年
【琉球】
9.17[8.15]接貢のため在船都通事の鄭元広等を派遣.
9.17[8.15]漂着民護送のため都通事の鄭嘉政等を派遣.
9.17[8.15]漂着民護送のため都通事の王家錦等を派遣.
アメリカ海軍ペリー提督,来航(以後,那覇・泊を常時利用).首里城に強行入城.恩納間切での誤射事件など起きる.
ロバートバウン号生存者,中国へ送還.宮古・八重山,飢饉・疫癘,宮古島死者662人,八重山島死者100余人.
【日本】
アメリカのペリーが浦賀に,ロシアのプチャーチンが長崎に来航.
1854年
- 中国:咸豊4年
- 日本:安政1年
- 琉球:尚泰7年
【琉球】
9.24[8.3]進貢・謝恩のため紫巾官の向邦棟等を派遣.
アメリカ水兵殺害事件(ボード事件)おこる.琉米修好条約調印.ベッテルハイム,ペリー艦隊に同乗して去る.ロシアのプチャーチン来航.
宮古で役人の不正を王府に直訴する多良間騒動おこる(~1855).
【日本】
日米和親条約を締結.
1855年
- 中国:咸豊5年
- 日本:安政2年
- 琉球:尚泰8年
【琉球】
4.30[3.15]漂着民護送のため都通事の鄭学楷等を派遣.
9.13[8.3]接貢のため在船都通事の毛鳳彩等を派遣.
琉仏修好条約を締結.
1856年
- 中国:咸豊6年
- 日本:安政3年
- 琉球:尚泰9年
【琉球】
翁長親方朝典,検使として宮古・八重山を視察(~1857).
進貢のため耳目官の向有恒等を派遣.
1857年
- 中国:咸豊7年
- 日本:安政4年
- 琉球:尚泰10年
【琉球】
9.19[8.2]接貢のため在船都通事の林興教等を派遣.
【中国】
アロー号事件(第二次アヘン戦争,~1860).
【その他】
インド,シパーヒーの反乱(~1859).
フランシス・ホークス『ペルリ提督日本遠征記』刊行.
1858年
- 中国:咸豊8年
- 日本:安政5年
- 琉球:尚泰11年
【琉球】
9.9[8.3]進貢のため耳目官の翁俊等を派遣.
薩摩の市来四郎,島津斉彬の密命(蒸気軍艦注文の件など)を承け,フランス人と交渉.斉彬の急死により交渉中断.
『翁長親方八重山島規模帳』出される.
【中国】
ロシアとアイグン条約,ロシア・アメリカ・イギリス・フランスと天津条約を締結.
【日本】
日米修好通商条約を締結.その後,イギリス・ロシア・オランダ・フランスとも修好通商条約を締結.
【その他】
ムガル帝国滅亡.イギリスの直接統治開始.
1859年
- 中国:咸豊9年
- 日本:安政6年
- 琉球:尚泰12年
【琉球】
8.29[8.2]接貢のため在船都通事の毛克述等を派遣.
牧志・恩河事件(三司官人事をめぐる疑獄事件に端を発し,島津斉彬に協力した王府内部勢力を粛清した事件).琉蘭修好条約を締結.
【日本】
安政の大獄.
1860年
- 中国:咸豊10年
- 日本:万延1年
- 琉球:尚泰13年
【琉球】
9.18[8.4]進貢のため耳目官の向志道等を派遣.
牧志朝忠・恩河朝恒・小禄良忠ら牧志・恩河事件の関係者処分,断罪.琉球科律・新集科律の要点を整理した『法条』を制定.
宮古島で波平恵教らの讒書事件おこる
【日本】
薩摩,琉球の貢糖制復活.
桜田門外の変.
1861年
- 中国:咸豊11年
- 日本:文久1年
- 琉球:尚泰14年
【琉球】
9.6[8.2]接貢のため在船都通事の毛嘉桐等を派遣.
文替り始まる(銅銭1文を鉄銭2文に引合わせる).
【その他】
イタリア王国成立.
アメリカで南北戦争おこる(~1865).
1862年
- 中国:同治1年
- 日本:文久2年
- 琉球:尚泰15年
【琉球】
4.30[4.2]漂着民護送のため都通事の梁超羣等を派遣.
8.26[8.2]進貢のため耳目官の向啓元等を派遣.
牧志朝忠,上国を命ぜられるも途次,伊平屋沖で投身.この頃,琉球・奄美諸島のほぼ全域で麻疹流行.
【日本】
薩摩,琉球通宝の鋳造許可を幕府より得る.生麦事件.
1863年
- 中国:同治2年
- 日本:文久3年
- 琉球:尚泰16年
【琉球】
8.26[7.13]漂着民護送のため都通事の鄭秉衡等を派遣.
与儀通事親雲上鄭良佐,宮古・八重山の風水を見分.
【その他】
アメリカ,奴隷解放宣言.
1864年
- 中国:同治3年
- 日本:文久4年
- 琉球:尚泰17年
【琉球】
慶賀・接貢のため王舅の馬文英等を,進貢のため耳目官の東国興等を派遣.
雇用船を返還するため在船都通事の孫得才等を派遣.
【日本】
薩英戦争.
1865年
- 中国:同治4年
- 日本:慶応1年
- 琉球:尚泰18年
【琉球】
この年,太田朝敷(~1938),謝花昇(~1908)生まれる.
接封・接貢のため正議大夫の鄭秉衡等を派遣.
1866年
- 中国:同治5年
- 日本:慶応2年
- 琉球:尚泰19年
【日本】
3.7[1.21]薩長同盟締結.
7.18[6.7]幕府による第二次長州征伐始まる.
【琉球】
冊封使の趙新・副使の于光甲来琉し,尚泰を琉球国中山王に封ずる(最後の冊封).趙新,帰国後に『続琉球国志略』を著す.
冊封謝恩のため紫巾官の毛文彩等を派遣.
進貢のため法司王舅の馬朝棟等を派遣.
1867年
- 中国:同治6年
- 日本:慶応3年
- 琉球:尚泰20年
【日本】
1.10[慶応2.12.5]徳川慶喜,征夷大将軍となる.
11.9[10.14]大政奉還の上表を朝廷に提出(翌日勅許).
【琉球】
接貢のため在船都通事の王兼才等を派遣.
接回国使のため在船都通事の蔡大鼎等を派遣.
この年,仲吉朝助生まれる(~1926).
1868年
- 中国:同治7年
- 日本:慶応4 明治1年
- 琉球:尚泰21年
【日本】
1.27[1.3]鳥羽・伏見の戦い.戊辰戦争(~1869).