もっと知りたい交流史 歴代宝案に記されたのはどんな文書?

外交文書のうつしとしての歴代宝案

 琉球王国の外交文書集と言われる『歴代宝案れきだいほうあん』には、どのような文書が収録されていたのでしょうか。よく他の国々とやりとりした文書そのものが収録されていると勘違いされますが、正確にはその写しや控えが収められたものです。例えば、正式な文書に押される印鑑などは『歴代宝案』の中に見られませんし、用紙も実際のものとは異なって罫紙けいしに書かれています。それを集や巻ごとに編纂したものが『歴代宝案』と言われる文書集です。

 このため、『歴代宝案』が編まれる過程において、実際の文書に書かれていた日付が省略されたり、関連する備忘のメモが追記(例えば2-31-11)されたりしており、編纂の痕跡をあちこちで見ることができます。また、草稿と思われる文書(例えば2-71-13)や収録される予定ではなかった断簡(例えば2-16-11)の混入なども見られ、編纂された時代の影響などを受けながら長い年月をかけて編纂され伝わった記録集が『歴代宝案』であると言えます。

 『歴代宝案』に収録された文書、されなかった文書

 では、『歴代宝案』に収録された文書にはどのような特徴があるのでしょうか。『歴代宝案』には多くの文書が収録されていますが、けっして琉球が諸外国とやりとりしたすべての文書が収録されているわけではありません。実は、15世紀前半に活躍した大臣(王相)名義による文書(例えば1-43-04)や久米村の長官(長史ちょうし)に宛てられた文書(例えば1-09-04)などの例外も見られますが、収録された文書の大半は、「琉球国王」が諸外国との間で送ったり、受け取ったりした文書から成り立っています。

 そのため収録された文書形式には、格上である中国皇帝から送られた「しょう」や「ちょく」、国王が皇帝へ送った「ひょう」「そう」、国王と同等ランクの礼部(中国の外交業務を担当)や福建布政使司(受け入れ窓口のあった福建省の行政機関)、東南アジアや朝鮮の国王とのやりとりに使われた「」などが見られ、多くが国王を中心にしたものとなっています。

 一方で、琉球の外交にかかわりながら『歴代宝案』に収録されなかった文書もあります。それが中国へ派遣された琉球使節などが外交交渉などに頻繁に用いた「呈文ていぶん」や「稟文ひんぶん」といった文書です。沖縄県立博物館・美術館には、これらを収めた『呈稟文集』(写)という文書が現存します。しかし、一般にこれらの文書形式は、私的な訴状や報告などに使われ、琉球国王が他国に対し公的に用いたものではなかったため、『歴代宝案』には収録されていません。その意味からも『歴代宝案』は、琉球国王が発給した(または受け取った)公文書が選択的に収録された記録集と言えます。

(山田浩世)