琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ

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資料詳細

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2-16-11 軍機処林寿図先生の声称(同治年間カ)
今□往きて、同郷の各京官と拝す。凡そ軍機処林寿図先生と面見するに因り、説に拠るに、浙江省より探報せる外洋の来文に声称すらく、𠸄咭唎は東洋日本並びに琉球国に往きて騒擾打仗する有り。現に、琉球、東洋の各夷と同に哦囉嘶に往到して鎗砲武芸を学習して、思うに報復を為す、等の語を聞く。皇上、大臣に諭飭して、果たして此れ実情有るや否やを細察せしめ、其の具奏するを准す。答えて云く、𠸄咭唎の往きて東洋を擾するは、殊に知らざるに属す。琉球、哦囉嘶に往きて武芸を学習するに至りては、決して是の事無し。惟だ𠸄夷、琉球国に留住し、並びに咈囒哂、人を撥して居住すること有り。今に至るも尚お未だ徹底接回せず。

注*この文書は断簡。混入文書か。目録にはない。内容からして同治年間のもので、第三集の別集に収録されるべきものか。
(1)軍機処 正式名は辦理軍機処。清代軍事行政上の最高機関。皇帝に直属する。雍正七年(一七二九)に臨時に設置され、ついで十年正式機関となり、一九一一年に廃止された。緊急もしくは重要な案件は軍機処が処理した。
(2)林寿図 閩県の人。字は頴叔。道光二十五年の進士。官は同治二~七年に陜西省布政使、のちに巡撫を務める(『清代職官年表』)。
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