見どころ紹介!特別展示「よみがえる王国の記録『歴代宝案』―ゆきかうヒト・モノ―」(2022/11/15-2023/2/12)

 特別展示「よみがえる王国の記録『歴代宝案』」の見どころを紹介します!

 展示会場を回りながらご覧ください。

ここは見てほしい5つのポイント

第1章
 ①海を渡った外交文書がいこうもんじょ

第2章
 ②主力輸出入商品、かがやく緑の青磁せいじ

 ③真南蛮まなばんへ渡った琉球人

 ④輸入された漢方薬かんぽうやく

第3章
 ⑤歴代宝案復元の立役者―影印本えいいんぼん筆写本ひっしゃぼん

第1章 王国の宝、歴代宝案れきだいほうあんとは何か?

①海を渡った外交文書がいこうもんじょ

 六双だての大きな屏風が、本展示のオープニングをかざっています。これは、19世紀中ごろにさかんに製作された、交易の中心地であった那覇と政治の中心であった首里を描いた首里那覇鳥瞰図しゅりなはちょうかんずとよばれる様式の屏風の一つで、滋賀大学経済学部附属史料館が所蔵する「琉球貿易図屏風りゅうきゅうぼうえきずびょうぶ」です。
 同じテーマの屏風としては、このほかに浦添市美術館が所蔵する「琉球交易図屏風」、京都大学総合博物館が所蔵する「琉球進貢船図屏風」、沖縄県立博物館・美術館が所蔵する「首里那覇港図屏風」(ツナガルマップ)などが知られています。この中で、もっとも大きいのが本屏風です。
 各屏風の表現は少しずつ異なりますが、どの図にも共通するモチーフとして屏風の正面に那覇へと帰航したばかりの進貢船が描かれました。船のマスト上には、中国から文書(「」)を持ち帰ったことを示すはたがたなびいています。海を渡ったこれらの文書が、歴代宝案へと写されていったのです。

*屏風についてはこちらの解説もチェック!

・神奈川大学日本常民文化研究所非文字資料研究センターが刊行した生活絵引(『日本近世生活絵引 奄美・沖縄編』2014年)を見ると、浦添市美術館が所蔵する琉球交易図屏風の詳細な解説がご覧いただけます。

第2章 歴代宝案に記録されたヒト・モノ

②主力輸出入商品、かがやく緑の青磁せいじ

 アジアを結んではばひろい商品をとりあつかった琉球の交易において、14~16世紀にかけてもっとも重要な商品であったのが青磁です。深い青緑色にかがやく青磁は、中国(明)から琉球へ輸入され、首里城をはじめ各地のグスクなどでみられ、とりわけ那覇港周辺では大量に発掘されています。
 展示されている青磁は、那覇港に浮かぶ「御物城おものぐすく」周辺で採取されたものです。
 同じ青磁でも、さまざまなかたちのものがあり、14世紀後半を中心とする雷紋らいもん(ラーメン鉢の縁などによく描かれる模様)の碗や、蓮弁紋れんべんもん(蓮の花弁のような模様)の碗などが混じっています(口縁部がせりあがる直行碗)。さらにもっとも多く見られるのが、無紋むもん(模様がない)の碗です。この無紋碗は、外にったかたちとなっており、高級なものではなく大量に生産された一般雑器ざっきとして輸入されました。

真南蛮まなばんへ渡った琉球人

 田名家文書に記された「まなばん(真南蛮)」とは、一体どの国を指すのでしょうか?
 南蛮という言葉から連想されるのは、多くは南蛮菓子などから、ポルトガルかと思います。しかし、「南蛮」という言葉は、本来、中国や日本、琉球などからみて南に位置する地域、すなわち現在の東南アジアのあたりを指していました。
 しかし、16世紀にポルトガル人たちが東アジアに進出すると、彼らを東南アジア地域からやって来た人びと、つまり「南蛮人」であるとしました。現在の南蛮という言葉が持つ意味は、ある種の誤解ごかいからはじまったとも言えます。
 では、田名家文書に記された「まなばん(真南蛮)」とは何でしょうか。歴代宝案(宝案1-42-33)などをあわせて見ていくと、真南蛮とは琉球の人びとからみて「南蛮」=東南アジアの「真」=中央に位置する地域、すなわちシャム(現在のタイ)との認識があったことが分かります。

※歴代宝案との関係についてはこちらもチェック!
田名真之「『歴代宝案』の編集と「琉球家譜」」
田名真之「『歴代宝案』の編集とその意味」 

④輸入された漢方薬

大黄だいおう  近世の琉球国が中国(しん)から大量に輸入していたものの一つに漢方薬があります。例えば、整腸せいちょう作用のある大黄(根が黄色いことから大黄と呼ぶ)は非常に重要な薬材でしたが、歴代宝案には、その交易をめぐる交渉の状況が登場します(宝案2-74-12 )。
 大黄は、当時、ロシアとの交易でもそのつど皇帝から許可をうけて売買されるなど、厳しい管理のもとに置かれました。琉球も、1789年に交渉の末、売買をゆるされるようになりましたが、貴重な薬材をめぐる国際的な動向とむすびつきながら購入がはかられていました。
桂皮けいひ  桂皮は、中国南部やベトナムを産地とする桂(シナモンの一種)の樹皮で、鎮痛ちんつう解熱げねつ、血流改善などのための薬材として使われました。歴代宝案には、大量の桂皮が福州琉球館ふくしゅうりゅうきゅうかんにストックされており、進貢船などが帰国する際、船のバランスを保つために船底に重量のある貨物をバラスト用として積み込みましたが、桂皮が利用されたようです(例えば宝案2-69-05 )。

第3章 よみがえる歴代宝案

⑤歴代宝案復元の立役者―影印本えいいんぼん筆写本ひっしゃぼん

 本展示の目玉の一つとして、歴代宝案の復元にあたって底本ていほん(作業のもとにした本)に用いられた写真の一種である影印本と、一文字一文字書き写された筆写本があります。
 今回は、失われた歴代宝案原本げんぽんの姿を伝える鎌倉芳太郎かまくらよしたろう氏が1933年に撮影した青焼あおやき写真をつづった影印本(複製)を公開しています。これまで青焼き写真資料は、当時の最新技術を用いて撮影されたものではあるものの、退色の心配から展示されてきませんでした。歴代宝案編集事業の一環で高精細画像として撮影されたものから、精巧せいこうな複製を作成しました。
 また、影印本とならんで復元の重要な資料となったのが、筆写本でした。展示では郷土史家として有名な東恩納寛惇ひがしおんなかんじゅん氏の所蔵本と、旧沖縄県立図書館が作成した副本(旧沖縄県立図書館写本)、戦後に台湾大学から刊行された台湾大学蔵写本を一同に展示しています。数百万字におよぶ歴代宝案を、一文字一文字書き写した先人の作業があったからこそ、現代における復元が可能になったのです。

*よろしければ本デジタルアーカイブへのアンケートにご協力ください。