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資料詳細
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
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- 曜日
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- 差出
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
2-69-05 琉球国中山王尚穆より福建布政使司あて、遭風の琉球難民伊波の救護・送還に関する咨文を受領し感謝する旨の咨覆(乾隆四十八《一七八三》、十一、七)
琉球国中山王尚(穆)、上諭を欽奉する事の為にす。
乾隆四十八年三月二十五日、貴司の咨を准けたるに称すらく、乾隆四十七年六月初十日、巡撫部院雅(徳)の批を奉けたる本司の詳あり。
査し得たるに、琉球国の難番伊波等二十四人・船貨は、風を被り浙に漂い、転護せられて閩に来たる。節批を奉け、司に檄行す。倶に経に福防庁に檄飭して例を査せしめ、妥辦して詳もて報じ去後れり。
茲に該摂庁署福州府知府王右弼の訳訊に拠るに、該難番伊波等十三名は倶に琉球国泊村の人に係る。該処地方官の差を奉じ、八重山に往きて米石を装運せんとす。船一隻に駕して乾隆四十六年三月二十日に于て八重山に到り、大米五百五十三包・小米三百二十八包を載せる。又、八重山地方官の差を奉じ、夏布四百五十疋を発装し中山王に献ずるを致さんとして宰領の黒島等十一人を派撥し附搭せしめ、中山に載往せんとす。共計するに在船するもの二十四人なり。七月十二日、八重山より開行し、十五日、太平山に到りて風を候ち、八月初一日に放洋す。初四日早、陡かに狂風、大浪に遇い、船は幾ど覆溺せんとす。桅篷を砍断したれば、船身は浪に随い漂流す。八月十四日に至りて漂いて浙江寧海県鵏鴣頭洋面に到る。寧海の営船に救護せらるるを経て港に進む。該地方官、例に照らして撫恤するを経て、船を将て修整して完固ならしめ、桅椗、篷索等の項を添補す。内、宰領の黒島一名は浙に在りて病故するを除くの外、伊波等二十三人を将て護送し閩に来たらしむ。乾隆四十七年四月初五日に于て口に進む。十一日、館駅に安挿し、并びに例に照らして賞給するを請う、等の由あり。詳もて批行を奉けたり。
本司査するに、乾隆四十一年の間に浙江鄞県より送り到れる難番向宣烈等四十七人、閩に来たれば、向例に体照し、安挿の日より起こし、毎人に日に米一升・塩菜銀六厘を給し、回国の日には另に行糧一月を給す。更に加賞の物件有らば、向に辦ずるの成例を査するに、隣省にて曾経に賞給したれば、閩に在りて再び給するを庸いる毋し。如し隣省未だ加賞するを経ざれば、閩省は例に照らして議して給すべし。
今、難番伊波等二十三名は浙より閩に到る。四月十一日に于て館駅に安挿せらるれば、自ら応に例に照らして安挿の日を以て始めと為し、毎人に日に米一升を給し、塩菜銀六厘を給し、回国の日には各行糧一個月を給すべし。乾隆四十七年の存公銀内に在りて動給し、事竣れば另に冊もて銷を請う。其の加賞の一項は、浙省、已経に例に照らして動項し給賞したれば、閩省は再び加賞を行うを庸いる毋し。該船に至りては、既に浙省、代わりて修整して完固ならしめ、又復た桅椗・篷索等の項を添補し、槓椇は斉全ならしむるを経たれば、縱え応に再び修理を加うべきも、只だ須らく粘補すべきに過ぎず、費す所は幾ど無し。応に該難番等、自ら酌辦を行うを聴し、其の載せる所の米粟・布疋は、該番等自ら携帯して回国するを愿えば、地に就きて変価するを庸いる毋かるべし。再た該難番等は人数衆多にして海道を諳んぜざると雖も、現に接貢船内に、以て海道を熟識せる水梢を選撥すべき有らば、代わりて指引と為して駕駛せしめ、原帯せる貨物を装載し遣発して回国せしむ。理として合に例案を査明し、難番の花名・貨物の清冊を備造し、文を具えて詳もて請うべし。
伏して憲台の察核して具奏し、并びに大部曁び浙江撫部院に咨明して査照せしむるを候つ。該難番の花名・年歳及び帯する所の貨物の件数に至りては、浙省の原報と符せざれば、該摂庁、訳訊するを経たるに、浙に在りて語言通ぜず、漢字識らずして錯悞有るを致すに係る。已に冊内に于て逐一改正し、合併して声明す、等の由あり。
批を奉けたるに、仰いで具奏して分咨するを候て。仍お督部堂の批示を候て。繳す。再た花名の冊は止だ咨送するに敷るのみ。即ちに一本を補繕して呈送し案に備えしめよ。違う毋かれ、とあり。此れを奉けたり。
又、総督部堂陳(輝祖)の批を奉けたるに、仰いで撫部院の奏咨するを候て。繳す。冊は存す、とあり。此れを奉けたり。当即ちに福防同知に転飭し、遵照し辦理して去後れり。
茲に兼署同知図章の詳に拠るに称す。存留通事陳天龍の呈に拠るに称すらく、飄風難番伊波等の船隻は已経に自ら添修を行いて完固ならしむ。今、商議したるに、接貢船内より海道を熟諳せる水梢啓顕功・石川二名を派撥し、代わりて引導と為し駕し帰らしむ。難番船内に原載せる布疋・米粟等の物は丟棄するを除くの外、剰す所は軽微にして以て渉海し難きに縁り、必ず須らく重貨もて圧載すれば、方めて敢えて風を衝き浪に敵うべし。啓顕功等二人の、館内に在りて貿易し買う所の貨物を将て、前届の派する所の引導水梢の例に体照し、先撥して匀装し帯回して以て圧載に資するを請い、穏やかに帰るを得せしむ。遵いて甘結・清冊を具え呈繳す。転詳して咨を給し遣発して汛に乗じて駕し帰らしむるを准されんことを乞う、等の情あり。此れを拠けたり。
該卑職、遵査したるに、琉球国の遭風難番伊波等は浙江寧海県に飄収し、護送せられて閩に来たる。先に前摂丞、訊供し安挿するを経て詳もて報ず。院憲の奏聞して行知するを蒙るを奉けたるに、海道を熟識せる水梢を選撥して代わりて指引と為し駕駛せしめ、米粟等の項の貨物を装載し遣回せしめよ、等の因あり。
茲に該管官、前情を具呈するに拠り、卑職査するに、乾隆四十一年の間に琉球国の飄風難番向宣烈等、閩に到り、遣回の時、其の派撥せる引導水梢の買う所の貨物は、其れをして帯回するを准し遵行せしめて案に在り。
茲に難番伊波等の船隻は闊さ一丈八尺、其の原載せる貨物は丟棄するを除くの外、剰る所は幾ど無ければ、舟軽く未だ穏やかならざるを恐る。接貢船内より派出せる引導の水梢啓顕功・石川二人を将て代わりて駕駛と為し、並びに自置せる粗重の甲紙・桂皮等の件の貨物を将て、現に館内に貯えたれば、撥出し随帯して載回せしめ、以て圧載に資せしむるを請う。且つ該水梢、差を奉じて帰国すれば、其の已に買いたる貨物は亦た自己の照管するに便ならしめ、応に俯して請う所の如く、其れをして慎重に酙酌せしめ、随帯して装回するを聴すべきに似たり。並びに接貢船の返国の時に于て冊内より数に照らして扣除するを声明するは、均しく歴届の旧例と相い符す。海関の委員に移知して査照せしめ、并びに把駅の委員の主簿魏学周に檄行し、武弁と会同して験明し、監運して舟に入らしむるを除くの外、理として合に清冊を備造し、繳め到れる各甘結と同に文を具え、詳もて察転し咨を給するを請い、汛に乗じて遣発して回国せしむべし。行知して庁に到る。以て護送出口するに便ならしめ、另に長行回国の日期を取りて申もて報ず、等の由ありて司に到る。此れを拠けたり。
該本司布政使楊(廷樺)査し得たるに、琉球国の遭風難番伊波等二十四人・船貨は、乾隆四十六年八月十四日に于て浙に飄い、例に照らして撫恤し、船隻を修完して桅椗・篷索等の項を添補す。内、宰領の黒島一名は浙に在りて病故するを除くの外、伊波等二十三人を将て護送して閩に来たらしめ、四十七年四月初五日に于て口に進み、十一日、館駅に安挿す。経に査するに、浙省は已経に動項して賞給したれば、閩省は再び賞するを庸いる毋し。其の口糧・塩菜等の項は、例に照らして四十七年の存公銀内より動銷し、飭令して船を将て粘補せしめ、原帯せる貨物を装載し、接貢船内に在りて熟識の水梢二名を派撥し、代わりて引駕と為し帰国せしむ、等の由あり。詳もて奏咨を奉け、飭遵せしめて案に在り。
茲に該署庁の詳に拠るに報ずらく、飄風難番伊波等の船隻は已経に添修して完固なれば、議して接貢船内より海道を熟諳せる水梢啓顕功・石川二名を派し、代わりて指引と為し駕回せしむ。該難番の船中に原帯せる貨物は洋に在りて丟棄するに縁り、船隻は軽浮にして以て渉海し難ければ、啓顕功等二人の館に在りて貿易せる貨物を将て匀装し圧載せしめ、穏やかに帰るを得せしむるを請う。核べたるに、乾隆四十一年の間の難番向宣烈等、浙に飄い閩に護し、梢を派して引回せしめ、匀装して圧載せしむるの例と相い符すれば、応に俯して請う所の如く随帯して装載せしむべし。並びに接貢船隻の返国の時に于て冊内より数に照らして扣除するを声明するを請う。閩海関の委員并びに把駅の員弁に移知し、験明し監運して舟に入らしめ、詳もて察転し遣発して回国せしむるを請う、等の情ありて前来せり。
本司覆査したるに、此の案の該難番伊波等二十三人は浙より閩に護す。内、筆者石垣一名は閩に在りて病故するを除くの外、寔共二十二人あり。既に該署庁の詳に拠るに、接貢船内の海道を熟諳せる水梢啓顕功・石川二名を選派し、代わりて引駕と為さんことを請う。并びに査するに、該夷船の原載せる貨物は洋に在りて丟棄したれば、啓顕功等二人の貿易したる貨物を将て匀装して圧載し、穏やかに帰国するに便ならしむるを請う。
本司核べたるに、乾隆四十一年に辦理せる遭風の向宣烈等の例案と相い符すれば、応に請う所の如く、其の原帯せる貨物を随同し、装圧して駕回せしむるを准すべし。合に就ちに由に拠りて転請し、并びに冊・結を将て詳送すべし。
伏して憲台の察奪して批示するを候ち、以て飭して駅を離れて登舟するの日期を取り、該国王に移咨して知照するに便ならしむ。并びに該署庁をして該難番伊波等、引駕の水梢と同に共に二十四人を将て遣発せしめ、鎮に至れば閩安協と会同して験明し、兵を撥して護送出洋せしむ。長行の日期を取具し、另に詳もて題を請う、等の由あり。
乾隆四十七年八月初三日に于て巡撫部院雅(徳)の批を奉けたるに、現に通詳に拠りて批示せり。仰いで即ちに該国王に移咨して知照せよ。仍お署福防庁をして速やかに難番伊波等、引駕の水梢と同に共に二十四人を将て遣発せしめ、鎮に至れば閩安協と会同して験明し、檄もて兵船を撥して護送出洋せしめよ。長行回国の日期を取具し、詳を叙して題を請え。余は已に悉れり。並びに督部堂の批示を候て。繳す。冊・結は存す、とあり。此れを奉けたり。
続いで兼署福防同知の具報に拠るに、該難番伊波等二十二名は引導の水梢啓顕功等二名と同に、本年七月二十八日に于て駅を離れて登舟す、等の由ありて前来せり。合并して移知す。此れが為に貴国王に備咨す。請煩わくは査照して施行せんことを、等の因ありて国に到る。此れを准けたり。
今、該難民伊波等は経に列憲曁び貴司の皇上の柔遠の至意を仰体し、船を将て修整して完固ならしめ、桅椗・篷索等の項を添補し、口糧・行糧并びに賞賚等の件を給与し、故土に遣還せしむるを蒙る。本爵、随いで伊等を将て名に按じて籍に帰らしむるの外、理として合に咨謝すべし。此れが為に貴司に備咨す。煩為わくは察照して施行せんことを。
須らく咨に至るべき者なり。
右、福建等処承宣布政使司に咨す
乾隆四十八年(一七八三)十一月初七日
注*本文書は〔六八―〇八〕の咨覆である。
(1)差 校訂本にはないが類例により補った。
琉球国中山王尚(穆)、上諭を欽奉する事の為にす。
乾隆四十八年三月二十五日、貴司の咨を准けたるに称すらく、乾隆四十七年六月初十日、巡撫部院雅(徳)の批を奉けたる本司の詳あり。
査し得たるに、琉球国の難番伊波等二十四人・船貨は、風を被り浙に漂い、転護せられて閩に来たる。節批を奉け、司に檄行す。倶に経に福防庁に檄飭して例を査せしめ、妥辦して詳もて報じ去後れり。
茲に該摂庁署福州府知府王右弼の訳訊に拠るに、該難番伊波等十三名は倶に琉球国泊村の人に係る。該処地方官の差を奉じ、八重山に往きて米石を装運せんとす。船一隻に駕して乾隆四十六年三月二十日に于て八重山に到り、大米五百五十三包・小米三百二十八包を載せる。又、八重山地方官の差を奉じ、夏布四百五十疋を発装し中山王に献ずるを致さんとして宰領の黒島等十一人を派撥し附搭せしめ、中山に載往せんとす。共計するに在船するもの二十四人なり。七月十二日、八重山より開行し、十五日、太平山に到りて風を候ち、八月初一日に放洋す。初四日早、陡かに狂風、大浪に遇い、船は幾ど覆溺せんとす。桅篷を砍断したれば、船身は浪に随い漂流す。八月十四日に至りて漂いて浙江寧海県鵏鴣頭洋面に到る。寧海の営船に救護せらるるを経て港に進む。該地方官、例に照らして撫恤するを経て、船を将て修整して完固ならしめ、桅椗、篷索等の項を添補す。内、宰領の黒島一名は浙に在りて病故するを除くの外、伊波等二十三人を将て護送し閩に来たらしむ。乾隆四十七年四月初五日に于て口に進む。十一日、館駅に安挿し、并びに例に照らして賞給するを請う、等の由あり。詳もて批行を奉けたり。
本司査するに、乾隆四十一年の間に浙江鄞県より送り到れる難番向宣烈等四十七人、閩に来たれば、向例に体照し、安挿の日より起こし、毎人に日に米一升・塩菜銀六厘を給し、回国の日には另に行糧一月を給す。更に加賞の物件有らば、向に辦ずるの成例を査するに、隣省にて曾経に賞給したれば、閩に在りて再び給するを庸いる毋し。如し隣省未だ加賞するを経ざれば、閩省は例に照らして議して給すべし。
今、難番伊波等二十三名は浙より閩に到る。四月十一日に于て館駅に安挿せらるれば、自ら応に例に照らして安挿の日を以て始めと為し、毎人に日に米一升を給し、塩菜銀六厘を給し、回国の日には各行糧一個月を給すべし。乾隆四十七年の存公銀内に在りて動給し、事竣れば另に冊もて銷を請う。其の加賞の一項は、浙省、已経に例に照らして動項し給賞したれば、閩省は再び加賞を行うを庸いる毋し。該船に至りては、既に浙省、代わりて修整して完固ならしめ、又復た桅椗・篷索等の項を添補し、槓椇は斉全ならしむるを経たれば、縱え応に再び修理を加うべきも、只だ須らく粘補すべきに過ぎず、費す所は幾ど無し。応に該難番等、自ら酌辦を行うを聴し、其の載せる所の米粟・布疋は、該番等自ら携帯して回国するを愿えば、地に就きて変価するを庸いる毋かるべし。再た該難番等は人数衆多にして海道を諳んぜざると雖も、現に接貢船内に、以て海道を熟識せる水梢を選撥すべき有らば、代わりて指引と為して駕駛せしめ、原帯せる貨物を装載し遣発して回国せしむ。理として合に例案を査明し、難番の花名・貨物の清冊を備造し、文を具えて詳もて請うべし。
伏して憲台の察核して具奏し、并びに大部曁び浙江撫部院に咨明して査照せしむるを候つ。該難番の花名・年歳及び帯する所の貨物の件数に至りては、浙省の原報と符せざれば、該摂庁、訳訊するを経たるに、浙に在りて語言通ぜず、漢字識らずして錯悞有るを致すに係る。已に冊内に于て逐一改正し、合併して声明す、等の由あり。
批を奉けたるに、仰いで具奏して分咨するを候て。仍お督部堂の批示を候て。繳す。再た花名の冊は止だ咨送するに敷るのみ。即ちに一本を補繕して呈送し案に備えしめよ。違う毋かれ、とあり。此れを奉けたり。
又、総督部堂陳(輝祖)の批を奉けたるに、仰いで撫部院の奏咨するを候て。繳す。冊は存す、とあり。此れを奉けたり。当即ちに福防同知に転飭し、遵照し辦理して去後れり。
茲に兼署同知図章の詳に拠るに称す。存留通事陳天龍の呈に拠るに称すらく、飄風難番伊波等の船隻は已経に自ら添修を行いて完固ならしむ。今、商議したるに、接貢船内より海道を熟諳せる水梢啓顕功・石川二名を派撥し、代わりて引導と為し駕し帰らしむ。難番船内に原載せる布疋・米粟等の物は丟棄するを除くの外、剰す所は軽微にして以て渉海し難きに縁り、必ず須らく重貨もて圧載すれば、方めて敢えて風を衝き浪に敵うべし。啓顕功等二人の、館内に在りて貿易し買う所の貨物を将て、前届の派する所の引導水梢の例に体照し、先撥して匀装し帯回して以て圧載に資するを請い、穏やかに帰るを得せしむ。遵いて甘結・清冊を具え呈繳す。転詳して咨を給し遣発して汛に乗じて駕し帰らしむるを准されんことを乞う、等の情あり。此れを拠けたり。
該卑職、遵査したるに、琉球国の遭風難番伊波等は浙江寧海県に飄収し、護送せられて閩に来たる。先に前摂丞、訊供し安挿するを経て詳もて報ず。院憲の奏聞して行知するを蒙るを奉けたるに、海道を熟識せる水梢を選撥して代わりて指引と為し駕駛せしめ、米粟等の項の貨物を装載し遣回せしめよ、等の因あり。
茲に該管官、前情を具呈するに拠り、卑職査するに、乾隆四十一年の間に琉球国の飄風難番向宣烈等、閩に到り、遣回の時、其の派撥せる引導水梢の買う所の貨物は、其れをして帯回するを准し遵行せしめて案に在り。
茲に難番伊波等の船隻は闊さ一丈八尺、其の原載せる貨物は丟棄するを除くの外、剰る所は幾ど無ければ、舟軽く未だ穏やかならざるを恐る。接貢船内より派出せる引導の水梢啓顕功・石川二人を将て代わりて駕駛と為し、並びに自置せる粗重の甲紙・桂皮等の件の貨物を将て、現に館内に貯えたれば、撥出し随帯して載回せしめ、以て圧載に資せしむるを請う。且つ該水梢、差を奉じて帰国すれば、其の已に買いたる貨物は亦た自己の照管するに便ならしめ、応に俯して請う所の如く、其れをして慎重に酙酌せしめ、随帯して装回するを聴すべきに似たり。並びに接貢船の返国の時に于て冊内より数に照らして扣除するを声明するは、均しく歴届の旧例と相い符す。海関の委員に移知して査照せしめ、并びに把駅の委員の主簿魏学周に檄行し、武弁と会同して験明し、監運して舟に入らしむるを除くの外、理として合に清冊を備造し、繳め到れる各甘結と同に文を具え、詳もて察転し咨を給するを請い、汛に乗じて遣発して回国せしむべし。行知して庁に到る。以て護送出口するに便ならしめ、另に長行回国の日期を取りて申もて報ず、等の由ありて司に到る。此れを拠けたり。
該本司布政使楊(廷樺)査し得たるに、琉球国の遭風難番伊波等二十四人・船貨は、乾隆四十六年八月十四日に于て浙に飄い、例に照らして撫恤し、船隻を修完して桅椗・篷索等の項を添補す。内、宰領の黒島一名は浙に在りて病故するを除くの外、伊波等二十三人を将て護送して閩に来たらしめ、四十七年四月初五日に于て口に進み、十一日、館駅に安挿す。経に査するに、浙省は已経に動項して賞給したれば、閩省は再び賞するを庸いる毋し。其の口糧・塩菜等の項は、例に照らして四十七年の存公銀内より動銷し、飭令して船を将て粘補せしめ、原帯せる貨物を装載し、接貢船内に在りて熟識の水梢二名を派撥し、代わりて引駕と為し帰国せしむ、等の由あり。詳もて奏咨を奉け、飭遵せしめて案に在り。
茲に該署庁の詳に拠るに報ずらく、飄風難番伊波等の船隻は已経に添修して完固なれば、議して接貢船内より海道を熟諳せる水梢啓顕功・石川二名を派し、代わりて指引と為し駕回せしむ。該難番の船中に原帯せる貨物は洋に在りて丟棄するに縁り、船隻は軽浮にして以て渉海し難ければ、啓顕功等二人の館に在りて貿易せる貨物を将て匀装し圧載せしめ、穏やかに帰るを得せしむるを請う。核べたるに、乾隆四十一年の間の難番向宣烈等、浙に飄い閩に護し、梢を派して引回せしめ、匀装して圧載せしむるの例と相い符すれば、応に俯して請う所の如く随帯して装載せしむべし。並びに接貢船隻の返国の時に于て冊内より数に照らして扣除するを声明するを請う。閩海関の委員并びに把駅の員弁に移知し、験明し監運して舟に入らしめ、詳もて察転し遣発して回国せしむるを請う、等の情ありて前来せり。
本司覆査したるに、此の案の該難番伊波等二十三人は浙より閩に護す。内、筆者石垣一名は閩に在りて病故するを除くの外、寔共二十二人あり。既に該署庁の詳に拠るに、接貢船内の海道を熟諳せる水梢啓顕功・石川二名を選派し、代わりて引駕と為さんことを請う。并びに査するに、該夷船の原載せる貨物は洋に在りて丟棄したれば、啓顕功等二人の貿易したる貨物を将て匀装して圧載し、穏やかに帰国するに便ならしむるを請う。
本司核べたるに、乾隆四十一年に辦理せる遭風の向宣烈等の例案と相い符すれば、応に請う所の如く、其の原帯せる貨物を随同し、装圧して駕回せしむるを准すべし。合に就ちに由に拠りて転請し、并びに冊・結を将て詳送すべし。
伏して憲台の察奪して批示するを候ち、以て飭して駅を離れて登舟するの日期を取り、該国王に移咨して知照するに便ならしむ。并びに該署庁をして該難番伊波等、引駕の水梢と同に共に二十四人を将て遣発せしめ、鎮に至れば閩安協と会同して験明し、兵を撥して護送出洋せしむ。長行の日期を取具し、另に詳もて題を請う、等の由あり。
乾隆四十七年八月初三日に于て巡撫部院雅(徳)の批を奉けたるに、現に通詳に拠りて批示せり。仰いで即ちに該国王に移咨して知照せよ。仍お署福防庁をして速やかに難番伊波等、引駕の水梢と同に共に二十四人を将て遣発せしめ、鎮に至れば閩安協と会同して験明し、檄もて兵船を撥して護送出洋せしめよ。長行回国の日期を取具し、詳を叙して題を請え。余は已に悉れり。並びに督部堂の批示を候て。繳す。冊・結は存す、とあり。此れを奉けたり。
続いで兼署福防同知の具報に拠るに、該難番伊波等二十二名は引導の水梢啓顕功等二名と同に、本年七月二十八日に于て駅を離れて登舟す、等の由ありて前来せり。合并して移知す。此れが為に貴国王に備咨す。請煩わくは査照して施行せんことを、等の因ありて国に到る。此れを准けたり。
今、該難民伊波等は経に列憲曁び貴司の皇上の柔遠の至意を仰体し、船を将て修整して完固ならしめ、桅椗・篷索等の項を添補し、口糧・行糧并びに賞賚等の件を給与し、故土に遣還せしむるを蒙る。本爵、随いで伊等を将て名に按じて籍に帰らしむるの外、理として合に咨謝すべし。此れが為に貴司に備咨す。煩為わくは察照して施行せんことを。
須らく咨に至るべき者なり。
右、福建等処承宣布政使司に咨す
乾隆四十八年(一七八三)十一月初七日
注*本文書は〔六八―〇八〕の咨覆である。
(1)差 校訂本にはないが類例により補った。