もっと知りたい交流史 『歴代宝案』に見る酒
東南アジアから輸入されるお酒
お酒は日常生活の場だけでなく、お祝いや宴会の場では特に不可欠の飲み物として古くから重宝されてきた歴史があります。『歴代宝案』は、主に琉球と中国(明・清国)や海外諸国との政治的な交流(外交)の記録が多くを占めていますが、お酒にかかわる記録もわずかですが見られます。
1431年にシュリービジュヤ国・パレンバン(旧港)の女性リーダーの施進卿の長女から琉球の王相・懐機へ贈られたものが、最も古い事例と言えます(1-43-12)。そのお酒は「淡桮仙酒四埕」と記載されていますが、醸造酒かあるいは蒸留酒かは、よく分っていません。
1467年には、朝鮮国王の李瑈から琉球国王の尚徳へ返礼品の一つとして「焼酒三十瓶」が贈られています(1-39-06)。1470年に、尚徳王はその返礼として「天竺酒一甕」を進呈していました(1-41-17)。焼酒は現在の焼酎につながる度数の高い蒸留酒と思われます。尚徳王は、天竺酒を東南アジア貿易のルートで入手し、それを朝鮮国王へ贈ったものと考えられますが、天竺酒そのものは不明な点が多いお酒です。
シャム国の長史・蕭奈悦本から琉球へ宛てた1479年と推定される書状には、「蜜林檎香白酒二十一埕、蜜林檎香紅酒二十九埕」を進呈するとあります(1-39-14)。また、1480年には、シャム国の長者・奈羅思利から琉球へ「香花白酒一埕、紅酒一埕」が進呈されています(1-39-13)。その翌年1481年には、シャム国王から琉球国王への返礼として、「香花酒上等二埕(その内に椰子を含む)」「香花酒五埕」が贈られていました(1-39-17)。
この時期には、琉球国は東南アジアとの交易活動を活発に展開していました。16世紀初頭ころ、マラッカでの交易の際に、琉球人は「マラカ産の酒」を珍重し、「ブランデーに似たものを多量に積荷する」と記録されています(トメ・ピレス『大航海時代叢書Ⅴ 東方諸国記』岩波書店、1966)。琉球人は東南アジア交易において、大量にお酒を買い入れていたことが分かります。
贈答品としてのお酒
1577年に、琉球から島津氏へ進呈された多くのプレゼント品の中に、「唐焼酒一甕、老酒一甕、焼酒一甕」が含まれていました(鹿児島県維新資料編さん所編『鹿児島県史料 旧記雑録後編1』鹿児島県、1981)。この唐焼酒と老酒は中国産、焼酒は琉球産と見られます。この頃になると琉球でも焼酒(蒸留酒)が製造されるようになっていたと考えられます。東南アジア交易で入手したお酒は、君主どうし、あるいは有力者間での贈答品として珍重されていました。やがて琉球の特産品となる焼酒(泡盛)が製造されるようになると、外交の場での重要な贈答品になりました。
さまざまなお酒が琉球の交易活動や諸外国との交流の場において活用されていました。その手がかりとなる記述が『歴代宝案』に残されており、貴重な記録と言えます。
【参考文献】
豊見山和行「酒をめぐる琉球の国家と社会」『HUMAN』第5号、平凡社、2013
豊川哲也「中世から近代における琉球・沖縄の酒について」『沖縄県工業技術センター研究報告』第20号、2017
(豊見山和行)