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資料詳細
- 資料ID.
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- 資料種別
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
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- タイトル
- 中国暦
- {{ryu_data.f17}}年 {{ryu_data.f18}}月 {{ryu_data.f19}}日
- 西暦
- {{ryu_data.f13}}年 {{ryu_data.f14}}月 {{ryu_data.f15}}日
- 曜日
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
別鎌-19 琉球国中山王世子尚泰より福建布政使司あて、被理(ペリー)艦隊の琉球来航の経緯と米英人の動向(貯炭所の開設、首里城への入城、伯徳令(ベッテルハイム)との往来等)について報告し、逗留米英人の退去方に付き救援を乞う旨の咨文(咸豊三《一八五三》、九、十九)
琉球国中山王世子尚(泰)、咨請する事の為にす。
照らし得たるに、咸豊三年四月十九、二十一、二十三等の日に、亜美理堅の提督、火輪船一隻に坐駕し、兵船四隻を率同して、先後して国に到る有り。随即に官に委して来歴を訪ね問わしむるに、通事の口称に拠るに、本船は亜美理堅の欽差大臣兼水師提督被理(ペリー)の坐する所に係る。其の余の四隻は、其の属官の坐する所に係る。本月初十日、上海県に在りて一斉に開船し、直ちに貴国に到る。現在、各船の一切の日用の物件は、特に脚船を撥して開単して需索すれば、必ず遅滞して便ならざる有り。小官五、六名をして上岸して寄居せしめ、以て物件を備辦するに便ならしめんことを乞う。事は提督大人の鈞諭に関わる、等の由あり。随いで著して其の寄居するを辞せしむるも、該提督は聴従するを肯ぜず。乃ち二十三日に於て、強いて小官三名をして上岸して居住せしむ。
嗣いで提督の啓称に拠るに、本月三十日を定めて官兵を携帯し、進みて王宮に到りて大臣と面会し、以て物件を備辦するの謝を鳴せんとす、等の由あり。当即に官に飭して文を具え、他の公廨に在りて相い会し鳴謝するを懇請せしむるも、該夷は大いに怒りて允さず。三十日に至りて、果たして兵卒を提いて浩浩蕩蕩として擅自に宮中に闖進す。敝国は力の支ぐべき無ければ、乃ち大臣に着して該夷と相い会せしむ。既に謝礼を行い、又、告ぐるに、和を通じ好を結ぶを以てす。随即に由を具えて請辞すれば、該夷は黙然として兵を引いて帰る。
五月二十二日、又、亜船二隻到来す。一船には華人二名を搭有し、擅自に上岸して𪡈𪢝呤(ベッテルハイム)と一室に同居す。該船二隻は未だ幾ばくならずして回り去けり。
五月二十五、二十六等の日に至りて、該提督の船は原船三隻を率同し、先後して開去するも、乃るに一隻を留めて国に在らしむ。
六月二十、二十二等の日に至りて、該提督の船は原船二隻を率同して先後して再び来たる。一船は駛して何れの処に去くやを知らず。
旋いで提督の啓称に拠るに、小官の居る所の近辺に於て、厰一間を起こして煤炭を収蔵し、又、貴国の各様の土布・漆器・磁器等の物を収買するを准されんことを乞う、等の由あり。随いで着して文を具えて請辞せしむるも、該提督は艴然として大いに怒り、乃ち云う。倘し請う所を允さざれば直ちに王宮に入り、親ら国王に見えて陳請すべし、と。意は必ず行うに在り。敝国は法として施すべき無ければ、暫く着して准行せしむ。二十七日に至りて、該提督の船は原船二隻を率同し、放洋して回り去けり。
七月初二日、又、亜船一隻有り。煤炭を装運して厰内に収蔵し、未だ幾ばくならずして開去せり。
七月初六日、又、亜国の火輪船一隻到来する有り。十六日に於て、開洋して回り去けり。留まる所の亜船一隻は、訪ね聞きたるに、近日開洋して回り去かんとす。即ち飭して船に在るの亜官に、留むる所の小官三名を携帯し一同に回り去かんことを懇請せしむるも、該官は聴従するを肯ぜずして、却て称すらく、提督は曽て命ずる有り、仍って亜人八名・華人四名を将て上岸し加留せしむ、と。八月二十九日に于て、開船して回り去けり。現に今、一十五名は国に留まりて未だ回らず。
査するに、該亜国の提督は兵船数隻を率同し、意に任せて往来し、遂に小官等をして上岸して寄居せしむ。併びに一厰を起こし、煤炭を収貯す。甚だしきに至りては、事に託して宮に入り、且つ𠸄人の𪡈𪢝呤(ベッテルハイム)と往来して絶えず。其の心は以て窺測し難し。日後、其の凶暴如何なるやを知らず。憂慮深切にして寝饋安んじ難し。
現在、該𪡈𪢝呤(ベッテルハイム)は尚お未だ撤回せず。屢々経に咨請して煩擾せしむるも、而も又、此れが為に籲請するは深く恐懼たり。但だ敝国は海隅に僻処すれば、全く天朝の徳威に仗りて永く大平を享けんとす。今、已に此の如ければ、固より以て委曲哀請して其の救援を求めざるを得ず。
統べて祈るらくは、貴司、情に拠りて督撫両院に転詳し、妥為く査辦せしめ、亜酋に告諭して迅やかに船隻を撥し、小官等一十五名を接取して回籍せしめ、敝国をして以て安靖を得せしめんことを。
茲に接貢の閩に入るに際り、理として合に咨請すべし。此れが為に備に貴司に咨す。請煩わくは、査照して施行せられよ。
須らく咨に至るべき者なり。
右、福建等処承宣布政使司に咨す
咸豊三年(一八五三)九月十九日
注*ペリーの最初の那覇来航については『評定所文書』一五〇一号「亜船来着ニ付那覇ニ而之日記」などを参照のこと(『沖縄県史料 前近代2 ペリー来航関係記録1』(沖縄県教育委員会、一九八二年)所収)。
(1)亜美理堅の提督 アメリカ合衆国の提督。ペリー提督のこと。
(2)火輪船一隻 蒸気船のこと。ここではペリー艦隊の旗艦サスケハナ号。
(3)兵船四隻 ミシシッピー号、サプライ号、カプリース号、ブレンダ号。
(4)被理 ペリー。マシュー・カルブレイス・ペリー(Mathew Calbraith Perry)。彼理とも。一七九四~一八五八年。米国東インド艦隊司令官。日本開国交渉のため特命全権大使として、一八五三年五月、兵船四隻を率いて那覇に来航。七月には江戸湾へ向かった。その間、小笠原調査、首里城強行訪問を行っている。五四年三月に日米和親条約、その後琉米修好条約を締結した。 五四年七月に帰国するまで、ペリー艦隊は五度も那覇に寄港し、日本・琉球との条約交渉の基地として利用した。なお五四年七月、ベッテルハイムはペリー艦隊とともに帰国した。
(5)浩浩蕩蕩 大規模で勢いのよいこと。止めようのない勢い。
(6)闖進 突然現れて不法に進入してくる。急に入る。闖入する。
(7)厰一間 厰は倉庫。石炭貯蔵庫。天久寺近くに建てられた。「亜船来着ニ付那覇ニ而之日記」六月二十一日の日記に「右寺(天久寺)近辺へ石炭貯置候蔵一軒」とペリーより石炭貯蔵庫の設置要請があったことが記され(『沖縄県史料 前近代2 ペリー来航関係記録1』17頁)、琉球側はいったん断ったもののペリーに恫喝されて小屋を作った。三十日の日記には「石炭入木屋」が完成したことを報告したことが記されている(『同』51頁)。
(8)煤炭 石炭。
(9)艴然 むっとする、怒るさま。
(10)陳請 請願。陳述して要請すること。
(11)法として施すべき無ければ 方法がないので。取るべき手段がないので。
(12)加留 滞留者を増やすこと。
(13)煩擾 邪魔する、わずらわせる、面倒をかける。「咨請して煩擾せしむるも」は咨文で(何度も)要請してご迷惑をおかけいたしますが、の意。
(14)籲請 こいねがう。要請する。
琉球国中山王世子尚(泰)、咨請する事の為にす。
照らし得たるに、咸豊三年四月十九、二十一、二十三等の日に、亜美理堅の提督、火輪船一隻に坐駕し、兵船四隻を率同して、先後して国に到る有り。随即に官に委して来歴を訪ね問わしむるに、通事の口称に拠るに、本船は亜美理堅の欽差大臣兼水師提督被理(ペリー)の坐する所に係る。其の余の四隻は、其の属官の坐する所に係る。本月初十日、上海県に在りて一斉に開船し、直ちに貴国に到る。現在、各船の一切の日用の物件は、特に脚船を撥して開単して需索すれば、必ず遅滞して便ならざる有り。小官五、六名をして上岸して寄居せしめ、以て物件を備辦するに便ならしめんことを乞う。事は提督大人の鈞諭に関わる、等の由あり。随いで著して其の寄居するを辞せしむるも、該提督は聴従するを肯ぜず。乃ち二十三日に於て、強いて小官三名をして上岸して居住せしむ。
嗣いで提督の啓称に拠るに、本月三十日を定めて官兵を携帯し、進みて王宮に到りて大臣と面会し、以て物件を備辦するの謝を鳴せんとす、等の由あり。当即に官に飭して文を具え、他の公廨に在りて相い会し鳴謝するを懇請せしむるも、該夷は大いに怒りて允さず。三十日に至りて、果たして兵卒を提いて浩浩蕩蕩として擅自に宮中に闖進す。敝国は力の支ぐべき無ければ、乃ち大臣に着して該夷と相い会せしむ。既に謝礼を行い、又、告ぐるに、和を通じ好を結ぶを以てす。随即に由を具えて請辞すれば、該夷は黙然として兵を引いて帰る。
五月二十二日、又、亜船二隻到来す。一船には華人二名を搭有し、擅自に上岸して𪡈𪢝呤(ベッテルハイム)と一室に同居す。該船二隻は未だ幾ばくならずして回り去けり。
五月二十五、二十六等の日に至りて、該提督の船は原船三隻を率同し、先後して開去するも、乃るに一隻を留めて国に在らしむ。
六月二十、二十二等の日に至りて、該提督の船は原船二隻を率同して先後して再び来たる。一船は駛して何れの処に去くやを知らず。
旋いで提督の啓称に拠るに、小官の居る所の近辺に於て、厰一間を起こして煤炭を収蔵し、又、貴国の各様の土布・漆器・磁器等の物を収買するを准されんことを乞う、等の由あり。随いで着して文を具えて請辞せしむるも、該提督は艴然として大いに怒り、乃ち云う。倘し請う所を允さざれば直ちに王宮に入り、親ら国王に見えて陳請すべし、と。意は必ず行うに在り。敝国は法として施すべき無ければ、暫く着して准行せしむ。二十七日に至りて、該提督の船は原船二隻を率同し、放洋して回り去けり。
七月初二日、又、亜船一隻有り。煤炭を装運して厰内に収蔵し、未だ幾ばくならずして開去せり。
七月初六日、又、亜国の火輪船一隻到来する有り。十六日に於て、開洋して回り去けり。留まる所の亜船一隻は、訪ね聞きたるに、近日開洋して回り去かんとす。即ち飭して船に在るの亜官に、留むる所の小官三名を携帯し一同に回り去かんことを懇請せしむるも、該官は聴従するを肯ぜずして、却て称すらく、提督は曽て命ずる有り、仍って亜人八名・華人四名を将て上岸し加留せしむ、と。八月二十九日に于て、開船して回り去けり。現に今、一十五名は国に留まりて未だ回らず。
査するに、該亜国の提督は兵船数隻を率同し、意に任せて往来し、遂に小官等をして上岸して寄居せしむ。併びに一厰を起こし、煤炭を収貯す。甚だしきに至りては、事に託して宮に入り、且つ𠸄人の𪡈𪢝呤(ベッテルハイム)と往来して絶えず。其の心は以て窺測し難し。日後、其の凶暴如何なるやを知らず。憂慮深切にして寝饋安んじ難し。
現在、該𪡈𪢝呤(ベッテルハイム)は尚お未だ撤回せず。屢々経に咨請して煩擾せしむるも、而も又、此れが為に籲請するは深く恐懼たり。但だ敝国は海隅に僻処すれば、全く天朝の徳威に仗りて永く大平を享けんとす。今、已に此の如ければ、固より以て委曲哀請して其の救援を求めざるを得ず。
統べて祈るらくは、貴司、情に拠りて督撫両院に転詳し、妥為く査辦せしめ、亜酋に告諭して迅やかに船隻を撥し、小官等一十五名を接取して回籍せしめ、敝国をして以て安靖を得せしめんことを。
茲に接貢の閩に入るに際り、理として合に咨請すべし。此れが為に備に貴司に咨す。請煩わくは、査照して施行せられよ。
須らく咨に至るべき者なり。
右、福建等処承宣布政使司に咨す
咸豊三年(一八五三)九月十九日
注*ペリーの最初の那覇来航については『評定所文書』一五〇一号「亜船来着ニ付那覇ニ而之日記」などを参照のこと(『沖縄県史料 前近代2 ペリー来航関係記録1』(沖縄県教育委員会、一九八二年)所収)。
(1)亜美理堅の提督 アメリカ合衆国の提督。ペリー提督のこと。
(2)火輪船一隻 蒸気船のこと。ここではペリー艦隊の旗艦サスケハナ号。
(3)兵船四隻 ミシシッピー号、サプライ号、カプリース号、ブレンダ号。
(4)被理 ペリー。マシュー・カルブレイス・ペリー(Mathew Calbraith Perry)。彼理とも。一七九四~一八五八年。米国東インド艦隊司令官。日本開国交渉のため特命全権大使として、一八五三年五月、兵船四隻を率いて那覇に来航。七月には江戸湾へ向かった。その間、小笠原調査、首里城強行訪問を行っている。五四年三月に日米和親条約、その後琉米修好条約を締結した。 五四年七月に帰国するまで、ペリー艦隊は五度も那覇に寄港し、日本・琉球との条約交渉の基地として利用した。なお五四年七月、ベッテルハイムはペリー艦隊とともに帰国した。
(5)浩浩蕩蕩 大規模で勢いのよいこと。止めようのない勢い。
(6)闖進 突然現れて不法に進入してくる。急に入る。闖入する。
(7)厰一間 厰は倉庫。石炭貯蔵庫。天久寺近くに建てられた。「亜船来着ニ付那覇ニ而之日記」六月二十一日の日記に「右寺(天久寺)近辺へ石炭貯置候蔵一軒」とペリーより石炭貯蔵庫の設置要請があったことが記され(『沖縄県史料 前近代2 ペリー来航関係記録1』17頁)、琉球側はいったん断ったもののペリーに恫喝されて小屋を作った。三十日の日記には「石炭入木屋」が完成したことを報告したことが記されている(『同』51頁)。
(8)煤炭 石炭。
(9)艴然 むっとする、怒るさま。
(10)陳請 請願。陳述して要請すること。
(11)法として施すべき無ければ 方法がないので。取るべき手段がないので。
(12)加留 滞留者を増やすこと。
(13)煩擾 邪魔する、わずらわせる、面倒をかける。「咨請して煩擾せしむるも」は咨文で(何度も)要請してご迷惑をおかけいたしますが、の意。
(14)籲請 こいねがう。要請する。
