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資料詳細
- 資料ID.
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- 資料種別
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
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- 中国暦
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- 曜日
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
別鎌-16 琉球国中山王世子尚泰より福建布政使司あて、伯徳令(ベッテルハイム)をめぐる内外情勢(伯徳令(ベッテルハイム)の威嚇的挙動、善威理(シャドウェル)の巴麦尊(パーマストン)書簡提出と首里城への恣意的入城、伯徳令(ベッテルハイム)の布教活動を認めよとの英国外務大臣の国書到来、琉球臣民の不安と救援要請使節派遣の切なる願望)を受けとめ、再度請諭使を派遣し伯徳令(ベッテルハイム)退去方について尽力を請う旨の咨文(咸豊二《一八五二》、八、三)
琉球国中山王世子尚(泰)、咨請する事の為にす。
窃かに照らすに、敝国は海隅に僻処し、原より城郭の険、営兵の守無ければ、仰いで天朝の徳威に仗り、永く昇平の福を享けんとす。詎らざりき、道光二十六年に於て𠸄夷の伯徳令(ベッテルハイム)は眷属人等を携えて国に到り佔住する有り。畳々経に咨もて転詳して、皇猷もて迅やかに該国をして船を遣わし撤回せしむるを奏請せんことを求む。但だ今に至るも尚お未だ撤回せず。𠸄船の到来するに逢う毎に、其の帯回するを求めるも、並えて依允する無し。該伯徳令(ベッテルハイム)は意を任にして逗遛し、今、七年を計う。凡そ敝国の風土・人情・山川の阨要は皆、其の窺探を被り、常に球地の貧弱なるを欺り、語言を出して驚嚇するに非ざれば、即ち大いに鴟張を肆にするを為し、日に滋々靖んぜず。且つ𠸄船は絡繹として絶えず、覬覦して測る莫し。曷ぞ憂慮に勝えんや。
乃お咸豊元年十二月十七日に至りて、𠸄国の火輪船一隻到来する有り。当即に官に飭して其の来歴を訊わしめたるところ、通事の華人黄霖の口称に拠るに、本船の督領の善威理(シャドウェル)は、𠸄国の軍機大臣にして外務事宜を総辦するの宰相を特授されたる頭等巴図魯世襲侯爵巴(パーマストン)の憲箚を捧げ到り、王宮に到りて大臣に交給せんとす、とあり。当即に官に飭して再三他の公廨に在りて之れを交するを懇請せしむるも、該夷は大いに怒りて允わず。即ちに兵卒を提い、威を揚げ武を耀かして地方を騒動し、脅すに関を斬りて宮に入るを以てす。敝国は力の防ぐべき無ければ、乃ち群臣と啼泣し、其の突入するに任せたり。該夷は即ち文書を将て官に交して収領せしめ、嘱むに好生に伯徳令(ベッテルハイム)を照看するの事情を以てし、仍って兵卒を提いて回り去く。
当即に其の文を披閲するに、内に云えらく、伯徳令(ベッテルハイム)は接取して籍に返すべからず。将来、兵船をして随時に往来せしめ、其の保護を為さしむれば、宜しく該令を待するに賓主の礼を以てすべし。若し軽慢凌辱する有れば、勢い必ず大𠸄国の義怒を激成すべし。凡事、応に其の意に任せて挙動するを准すべし、等の因あり。該船は二十八日に於て帆を揚げて開去せり。
嗚呼、海外の小邦は狡猾の侵凌する所と為る。其の辱めは言を以て尽くし難し。且つ挙国の臣民は𠸄夷の宮に入るを聞知して、山を環り野を匝りて、来たりて僉謂う。琉球は代々貢職を供し、世々天恩に沐し、海浪揚がらず、烽烟起こらず、人民は無事に安んずるの天を得る。乃るに𠸄夷の横行すること此の如ければ、誠に変起こり倉卒にして社稷保ち難きを恐る。使臣を遣わし、閩に到りて委曲哀請せしめ、其れをして救援を求めしめんことを乞う、と。臣民仰ぎ望み、衆口詞を一にす。
又、本年五月の間、接貢船の国に回るに因り、𠸄国の外務を専理するの宰相を欽命せられたる世襲公爵克(クラレンドン)は文書を伯徳令(ベッテルハイム)に寄送し、転逓して前来せしむる有り。其の文に云えらく、琉球は伯徳令(ベッテルハイム)を接待すること一に国人の如くし、歧視するを得ざるべし。我が国は四境の内に土客を論ずる無く、倶に意に随いて道を奉じ礼を行うを准し、稍しも掣肘する無ければ、亟やかに貴境の内にても耶穌教を崇奉し、土客を論ずる無く一律に倣行せしめんことを請う。是れ深く望む所なり。此れが為に照会す、等の因あり。
窃かに念うに、敝国は天朝に納款して以来、歴として文治の化を蒙り、孔孟の道を学習し、頗る人倫の重きを知り、以て国を治め民を安んずるを得る。若し耶穌教を学べば、則ち正学より出でて異端に入り、遂に邪説に惑いて風俗を敗るの弊を開くべし。又、其の耶穌教を伝えんと欲する者は、実は托名して借端し、隙の乗ずべきを窺わんとするなり。是を以て、官に飭して伯徳令(ベッテルハイム)に向かい固辞せしめて云えらく、敝国は経伝を学習し、聊か身を修め家を斉うを得る。耶穌教に至りては、是れ人力の兼ねて学び能わざる所にして、人心の嚮往せざる所なり。且つ弾丸の小邦、素より士民の定め有り。士は是れ経史を肄習し、職に任じ事を辦ず。民は是れ田畝を耕耘し、貢を納め賦を輸す。各々自ら分に安んじ業を執り、尚お力の足らざるを患うれば、另に間居して其の教えを受くべき者無し。大国と一律に論ずべからざるなり。𠸄船の到来するを俟ちて代りて宰相に書を寄り、其の伝教の議を弭めしめんことを乞う、と。該伯徳令(ベッテルハイム)は固執して聴かず。
伏して念うに、皇上は天下もて家と為し、忘れず泄らさず、薄海内外は畏を懐わざる罔し。今、𠸄夷、胆敢にも肆行し、毫も忌憚する無し。他日、船隻再び来たれば、其の凶暴如何なるやを知らず。耶穌教の一案に至りては、必ず伯徳令(ベッテルハイム)を以て師と為し、広く其の教えを伝えんと欲すべし。若し早きに及んで撤回せざれば、洵に巧謀漸く深くし侵凌益々甚だしくして、国家顚連するは必ず免れざる所となるを恐る。朝夕焦心し、寝食安んぜず。躬ら北闕に趨き丹墀に叩首して下情を披瀝し、聖諭もて𠸄国主に示仰し、船を遣わして撤回せしめ、以て国家を安んぜんことを泣請せんと意欲するも、奈せん、身は藩封を守るに因り、未だ敢えて擅便せず。此れが為に、特に王舅の馬克承・正議大夫の梁必達・都通事の阮宣詔等を遣わし、咨文を齎捧して二号貢船に配搭し閩に到りて投請せしむ。
統べて祈るらくは、貴司より督撫両院に転詳し、情に拠りて具題せしめ、仰いで皇猷もて欽差大臣の両広督部堂に勅諭して妥為く査辦せしめ、該国をして迅やかに船隻を撥して伯徳令(ベッテルハイム)並びに眷属人等を接取し、籍に帰らしめんことを請う。則ち海邦、永く奠まりて安靖し、皇恩・憲徳を無疆に感戴せん。理として合に咨請すべし。此れが為に備に貴司に咨す。請煩わくは査照して施行せられよ。
須らく咨に至るべき者なり。
右、福建等処承宣布政使司に咨す
咸豊二年(一八五二)八月初三日
注*本文書と関連する資料として、英国国立公文書館(The National Archives(TNA))所蔵の外務省文書には、咸豊二年(一八五二)七月二十五日付の「琉球王府からベッテルハイム宛文書(FO17-199-14)」(原本、中山府総理大臣尚大謨・府政大夫馬良才等が出した啓)がある。本文書にはイギリス外務大臣格蘭維爾(グランヴィル)から咸豊二年五月にベッテルハイムへ寄送した文書について記載されているが、同史料はそれを受けて王府がベッテルハイムへ出した文書と思われる。また、同内容の文書は『伯徳令(ベッテルハイム)其他往復文』(沖縄県立図書館東恩納寛惇文庫)、『琉球王国評定所文書』(一八〇四号「伯徳令(ベッテルハイム)関係並びにペリー艦隊関係漢文往復文書」一六)にも収録されており、ベッテルハイムによる英訳が『沖縄県史 資料編22 The Journal and Official Correspondence of Bernard Jean Bettelheim 1845-54 PartⅡ(1852-54)』一六三頁、 Chinese Original No.141である。
(1)城郭の険 城の防御。
(2)営兵の守 兵士の守り。
(3)昇平の福 昇平は太平。世の中がおだやかに治まっていること。平和な世であることの幸福。
(4)佔住 佔は占に同じ。ほしいままに居住する。
(5)依允 承知する。したがう。
(6)阨要 阨は険に通じる。地勢がけわしくて、敵を防ぐのに都合のよい所や要所となる所。
(7)窺探 うかがいさぐる。隙を窺う。
(8)絡繹として絶えず 絡繹は引き続く。「絡繹として絶えず」は往来が続いて絶えないさま。
(9)善威理 シャドウェル。チャールズ・フレデリック・アレクサンダー・シャドウェル(Charles Frederick Alexander Shadwell)。一八一四~一八八六年。英国海軍提督。一八五〇年にスフィンクス(Sphinx)号の船長(中佐)となり、咸豊元年十二月に来航、ペリー以前に首里城に強行入城した。
(10)公廨 官庁。役所の建物。
(11)啼泣 涙を流して泣くこと。
(12)軽慢凌辱 軽慢は人をかろんじ、おごりたかぶること。陵辱は人をあなどり、はずかしめること。
(13)義怒 公正な怒り。「義怒を激成す」は 怒りをいっそう激しくする、義憤を激しくかりたてる、の意。
(14)凡事 万事、すべての事。
(15)倉卒 突然に、の意。
(16)委曲哀請 委曲は委細。説明などを詳しくして哀願すること。
(17)衆口詞を一にす 衆口は多くの人の言うところ。世間。「衆口詞を一にす」は、人々が言葉を一つにする。世間の意見が一致する。皆、同様に言う、の意。
(18)克 格蘭維爾(グランヴィル)。第二代グランヴィル伯爵グランヴィル・ジョージ・ルーソン=ゴア(Granville George Leveson-Gower, 2nd Earl Granville)。一八一五~九一年。ホイッグ党(自由党)政権下、特に第一次・第二次ウィリアム・グラッドストン内閣では閣僚職を歴任した。一八五一年一二月から五二年二月、一八七〇年から七四年、一八八〇年から八五年にかけては外務大臣も務めた。
(19)転逓 転は取り次ぐ、逓は送ること。転送。
(20)一に国人の如くし ひたすら自国民のように取り扱ってすべて琉球国民と同様に待遇する、の意。
(21)歧視 差別。
(22)土客 土民と客人。自国民と外来者の意。
(23)倣行 ならいおこなう。倣はならう、まねる。
(24)納款 外国や異民族が友好を申し入れること。進貢に同じ。
(25)文治の化 武力によらず専ら文教をもって政治を行うこと。
(26)孔孟の道 孔子と孟子の説いた教え。儒教。
(27)耶穌教 キリスト教。なお、天主教をカトリック、耶蘇教をプロテスタントに区別することもあるが、いずれもキリスト教。
(28)托名 名目をこじつける。託名に同じ。托はかこつける、口実にする、の意がある。
(29)経伝 「経」は聖人のあらわした書、「伝」は経を注釈した書物。 経書とその解釈書。
(30)嚮往 その方向に心が向いていくこと。なびきゆく。崇拝する。
(31)経史 経書と歴史書。
(32)肄習 学習する。
(33)貢を納め賦を輸す 貢物を納め税を納める。賦は賦税。
(34)業を執り 仕事をして。
(35)間居 閑居に同じ。何もせず虚しく家に居ること。暇なこと。
(36)薄海 広大な地域、全世界。
(37)畏を懐わざる罔し 畏はうやまい、かしこまる。「畏を懐わざる罔し」は、(皇帝が全世界を一家のようにみなし、何事も漏らさず恩徳を施しているので、世界中が)敬服せずにいられない、の意。
(38)胆敢 大胆不敵、の意。
(39)肆行 勝手気ままに行うこと。
(40)巧謀 悪巧み。だまして人を陥れようとする計略。
(41)侵凌 他人をおかし辱める。他人の領分に無断で入り込む。
(42)朝夕焦心 焦心は思い悩みあせること。「朝夕焦心」は朝晩心を痛めている。
(43)𠸄国主 イギリス国王。この時期の国王はヴィクトリア女王である(在位一八三七~一九〇一年)。
(44)示仰 指示して通達すること。命令する。
(45)泣請 泣いて訴える、泣いて要請する。
(46)擅便 勝手に処理すること。「未だ敢えて擅便せず」は、文書の末尾に用い、上司の決裁を求める際の慣用句。
(47)皇恩・憲徳を無疆に感戴せん 無疆は極まりがないこと。皇帝や上司の大いなる徳は限りなくありがたく思う、の意。
琉球国中山王世子尚(泰)、咨請する事の為にす。
窃かに照らすに、敝国は海隅に僻処し、原より城郭の険、営兵の守無ければ、仰いで天朝の徳威に仗り、永く昇平の福を享けんとす。詎らざりき、道光二十六年に於て𠸄夷の伯徳令(ベッテルハイム)は眷属人等を携えて国に到り佔住する有り。畳々経に咨もて転詳して、皇猷もて迅やかに該国をして船を遣わし撤回せしむるを奏請せんことを求む。但だ今に至るも尚お未だ撤回せず。𠸄船の到来するに逢う毎に、其の帯回するを求めるも、並えて依允する無し。該伯徳令(ベッテルハイム)は意を任にして逗遛し、今、七年を計う。凡そ敝国の風土・人情・山川の阨要は皆、其の窺探を被り、常に球地の貧弱なるを欺り、語言を出して驚嚇するに非ざれば、即ち大いに鴟張を肆にするを為し、日に滋々靖んぜず。且つ𠸄船は絡繹として絶えず、覬覦して測る莫し。曷ぞ憂慮に勝えんや。
乃お咸豊元年十二月十七日に至りて、𠸄国の火輪船一隻到来する有り。当即に官に飭して其の来歴を訊わしめたるところ、通事の華人黄霖の口称に拠るに、本船の督領の善威理(シャドウェル)は、𠸄国の軍機大臣にして外務事宜を総辦するの宰相を特授されたる頭等巴図魯世襲侯爵巴(パーマストン)の憲箚を捧げ到り、王宮に到りて大臣に交給せんとす、とあり。当即に官に飭して再三他の公廨に在りて之れを交するを懇請せしむるも、該夷は大いに怒りて允わず。即ちに兵卒を提い、威を揚げ武を耀かして地方を騒動し、脅すに関を斬りて宮に入るを以てす。敝国は力の防ぐべき無ければ、乃ち群臣と啼泣し、其の突入するに任せたり。該夷は即ち文書を将て官に交して収領せしめ、嘱むに好生に伯徳令(ベッテルハイム)を照看するの事情を以てし、仍って兵卒を提いて回り去く。
当即に其の文を披閲するに、内に云えらく、伯徳令(ベッテルハイム)は接取して籍に返すべからず。将来、兵船をして随時に往来せしめ、其の保護を為さしむれば、宜しく該令を待するに賓主の礼を以てすべし。若し軽慢凌辱する有れば、勢い必ず大𠸄国の義怒を激成すべし。凡事、応に其の意に任せて挙動するを准すべし、等の因あり。該船は二十八日に於て帆を揚げて開去せり。
嗚呼、海外の小邦は狡猾の侵凌する所と為る。其の辱めは言を以て尽くし難し。且つ挙国の臣民は𠸄夷の宮に入るを聞知して、山を環り野を匝りて、来たりて僉謂う。琉球は代々貢職を供し、世々天恩に沐し、海浪揚がらず、烽烟起こらず、人民は無事に安んずるの天を得る。乃るに𠸄夷の横行すること此の如ければ、誠に変起こり倉卒にして社稷保ち難きを恐る。使臣を遣わし、閩に到りて委曲哀請せしめ、其れをして救援を求めしめんことを乞う、と。臣民仰ぎ望み、衆口詞を一にす。
又、本年五月の間、接貢船の国に回るに因り、𠸄国の外務を専理するの宰相を欽命せられたる世襲公爵克(クラレンドン)は文書を伯徳令(ベッテルハイム)に寄送し、転逓して前来せしむる有り。其の文に云えらく、琉球は伯徳令(ベッテルハイム)を接待すること一に国人の如くし、歧視するを得ざるべし。我が国は四境の内に土客を論ずる無く、倶に意に随いて道を奉じ礼を行うを准し、稍しも掣肘する無ければ、亟やかに貴境の内にても耶穌教を崇奉し、土客を論ずる無く一律に倣行せしめんことを請う。是れ深く望む所なり。此れが為に照会す、等の因あり。
窃かに念うに、敝国は天朝に納款して以来、歴として文治の化を蒙り、孔孟の道を学習し、頗る人倫の重きを知り、以て国を治め民を安んずるを得る。若し耶穌教を学べば、則ち正学より出でて異端に入り、遂に邪説に惑いて風俗を敗るの弊を開くべし。又、其の耶穌教を伝えんと欲する者は、実は托名して借端し、隙の乗ずべきを窺わんとするなり。是を以て、官に飭して伯徳令(ベッテルハイム)に向かい固辞せしめて云えらく、敝国は経伝を学習し、聊か身を修め家を斉うを得る。耶穌教に至りては、是れ人力の兼ねて学び能わざる所にして、人心の嚮往せざる所なり。且つ弾丸の小邦、素より士民の定め有り。士は是れ経史を肄習し、職に任じ事を辦ず。民は是れ田畝を耕耘し、貢を納め賦を輸す。各々自ら分に安んじ業を執り、尚お力の足らざるを患うれば、另に間居して其の教えを受くべき者無し。大国と一律に論ずべからざるなり。𠸄船の到来するを俟ちて代りて宰相に書を寄り、其の伝教の議を弭めしめんことを乞う、と。該伯徳令(ベッテルハイム)は固執して聴かず。
伏して念うに、皇上は天下もて家と為し、忘れず泄らさず、薄海内外は畏を懐わざる罔し。今、𠸄夷、胆敢にも肆行し、毫も忌憚する無し。他日、船隻再び来たれば、其の凶暴如何なるやを知らず。耶穌教の一案に至りては、必ず伯徳令(ベッテルハイム)を以て師と為し、広く其の教えを伝えんと欲すべし。若し早きに及んで撤回せざれば、洵に巧謀漸く深くし侵凌益々甚だしくして、国家顚連するは必ず免れざる所となるを恐る。朝夕焦心し、寝食安んぜず。躬ら北闕に趨き丹墀に叩首して下情を披瀝し、聖諭もて𠸄国主に示仰し、船を遣わして撤回せしめ、以て国家を安んぜんことを泣請せんと意欲するも、奈せん、身は藩封を守るに因り、未だ敢えて擅便せず。此れが為に、特に王舅の馬克承・正議大夫の梁必達・都通事の阮宣詔等を遣わし、咨文を齎捧して二号貢船に配搭し閩に到りて投請せしむ。
統べて祈るらくは、貴司より督撫両院に転詳し、情に拠りて具題せしめ、仰いで皇猷もて欽差大臣の両広督部堂に勅諭して妥為く査辦せしめ、該国をして迅やかに船隻を撥して伯徳令(ベッテルハイム)並びに眷属人等を接取し、籍に帰らしめんことを請う。則ち海邦、永く奠まりて安靖し、皇恩・憲徳を無疆に感戴せん。理として合に咨請すべし。此れが為に備に貴司に咨す。請煩わくは査照して施行せられよ。
須らく咨に至るべき者なり。
右、福建等処承宣布政使司に咨す
咸豊二年(一八五二)八月初三日
注*本文書と関連する資料として、英国国立公文書館(The National Archives(TNA))所蔵の外務省文書には、咸豊二年(一八五二)七月二十五日付の「琉球王府からベッテルハイム宛文書(FO17-199-14)」(原本、中山府総理大臣尚大謨・府政大夫馬良才等が出した啓)がある。本文書にはイギリス外務大臣格蘭維爾(グランヴィル)から咸豊二年五月にベッテルハイムへ寄送した文書について記載されているが、同史料はそれを受けて王府がベッテルハイムへ出した文書と思われる。また、同内容の文書は『伯徳令(ベッテルハイム)其他往復文』(沖縄県立図書館東恩納寛惇文庫)、『琉球王国評定所文書』(一八〇四号「伯徳令(ベッテルハイム)関係並びにペリー艦隊関係漢文往復文書」一六)にも収録されており、ベッテルハイムによる英訳が『沖縄県史 資料編22 The Journal and Official Correspondence of Bernard Jean Bettelheim 1845-54 PartⅡ(1852-54)』一六三頁、 Chinese Original No.141である。
(1)城郭の険 城の防御。
(2)営兵の守 兵士の守り。
(3)昇平の福 昇平は太平。世の中がおだやかに治まっていること。平和な世であることの幸福。
(4)佔住 佔は占に同じ。ほしいままに居住する。
(5)依允 承知する。したがう。
(6)阨要 阨は険に通じる。地勢がけわしくて、敵を防ぐのに都合のよい所や要所となる所。
(7)窺探 うかがいさぐる。隙を窺う。
(8)絡繹として絶えず 絡繹は引き続く。「絡繹として絶えず」は往来が続いて絶えないさま。
(9)善威理 シャドウェル。チャールズ・フレデリック・アレクサンダー・シャドウェル(Charles Frederick Alexander Shadwell)。一八一四~一八八六年。英国海軍提督。一八五〇年にスフィンクス(Sphinx)号の船長(中佐)となり、咸豊元年十二月に来航、ペリー以前に首里城に強行入城した。
(10)公廨 官庁。役所の建物。
(11)啼泣 涙を流して泣くこと。
(12)軽慢凌辱 軽慢は人をかろんじ、おごりたかぶること。陵辱は人をあなどり、はずかしめること。
(13)義怒 公正な怒り。「義怒を激成す」は 怒りをいっそう激しくする、義憤を激しくかりたてる、の意。
(14)凡事 万事、すべての事。
(15)倉卒 突然に、の意。
(16)委曲哀請 委曲は委細。説明などを詳しくして哀願すること。
(17)衆口詞を一にす 衆口は多くの人の言うところ。世間。「衆口詞を一にす」は、人々が言葉を一つにする。世間の意見が一致する。皆、同様に言う、の意。
(18)克 格蘭維爾(グランヴィル)。第二代グランヴィル伯爵グランヴィル・ジョージ・ルーソン=ゴア(Granville George Leveson-Gower, 2nd Earl Granville)。一八一五~九一年。ホイッグ党(自由党)政権下、特に第一次・第二次ウィリアム・グラッドストン内閣では閣僚職を歴任した。一八五一年一二月から五二年二月、一八七〇年から七四年、一八八〇年から八五年にかけては外務大臣も務めた。
(19)転逓 転は取り次ぐ、逓は送ること。転送。
(20)一に国人の如くし ひたすら自国民のように取り扱ってすべて琉球国民と同様に待遇する、の意。
(21)歧視 差別。
(22)土客 土民と客人。自国民と外来者の意。
(23)倣行 ならいおこなう。倣はならう、まねる。
(24)納款 外国や異民族が友好を申し入れること。進貢に同じ。
(25)文治の化 武力によらず専ら文教をもって政治を行うこと。
(26)孔孟の道 孔子と孟子の説いた教え。儒教。
(27)耶穌教 キリスト教。なお、天主教をカトリック、耶蘇教をプロテスタントに区別することもあるが、いずれもキリスト教。
(28)托名 名目をこじつける。託名に同じ。托はかこつける、口実にする、の意がある。
(29)経伝 「経」は聖人のあらわした書、「伝」は経を注釈した書物。 経書とその解釈書。
(30)嚮往 その方向に心が向いていくこと。なびきゆく。崇拝する。
(31)経史 経書と歴史書。
(32)肄習 学習する。
(33)貢を納め賦を輸す 貢物を納め税を納める。賦は賦税。
(34)業を執り 仕事をして。
(35)間居 閑居に同じ。何もせず虚しく家に居ること。暇なこと。
(36)薄海 広大な地域、全世界。
(37)畏を懐わざる罔し 畏はうやまい、かしこまる。「畏を懐わざる罔し」は、(皇帝が全世界を一家のようにみなし、何事も漏らさず恩徳を施しているので、世界中が)敬服せずにいられない、の意。
(38)胆敢 大胆不敵、の意。
(39)肆行 勝手気ままに行うこと。
(40)巧謀 悪巧み。だまして人を陥れようとする計略。
(41)侵凌 他人をおかし辱める。他人の領分に無断で入り込む。
(42)朝夕焦心 焦心は思い悩みあせること。「朝夕焦心」は朝晩心を痛めている。
(43)𠸄国主 イギリス国王。この時期の国王はヴィクトリア女王である(在位一八三七~一九〇一年)。
(44)示仰 指示して通達すること。命令する。
(45)泣請 泣いて訴える、泣いて要請する。
(46)擅便 勝手に処理すること。「未だ敢えて擅便せず」は、文書の末尾に用い、上司の決裁を求める際の慣用句。
(47)皇恩・憲徳を無疆に感戴せん 無疆は極まりがないこと。皇帝や上司の大いなる徳は限りなくありがたく思う、の意。