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資料詳細
- 資料ID.
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- 資料種別
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
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- タイトル
- 中国暦
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- 西暦
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- 曜日
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
別台-01 琉球国中山王尚育より福建布政使司あて、仏国の戦船来琉し和好・貿易・布教を求むるも拒絶したるに、仏人等二人を残置せしめたる旨の咨文(道光二十四《一八四四》、八、四)
琉球国中山王尚(育)、咨明する事の為にす。
照らし得たるに、道光二十四年三月十一日、海船一隻、敝国の那覇洋面に来到して停泊する有り。随即に員に委して来歴を訪ね問わしむるも、言語通ぜず。内に通事一名有り。中国人に係る。称するに拠るに、「仏朗西国の第一号の戦船に係る。其の総兵、名は〓(口+夥)爾烈𡀔璞朗(デュプラン)、船上には共に二百三十人有り。広東の澳門より起程し、来たりて糧食を買い、併びに木料を買いて船上の折れたる処を修補せんとす」等の語あり。即ち木料・牛・羊・鶏・豚・魚・酒・蔬菜等の件を発給せしむ。
続いで該総兵の啓称に拠るに、「我が国は恒に中国と盟好を通じ、交接すること親切なれば、特に各戦船の総兵をして中国の隣近の諸国に去きて和を通じ好を結び、往来して貿易するを求めしむ。本総兵は貴国と和好する為に令を奉じて来たる。余は久しく此に住まる能わざるも、数月の後に必ずや大総兵都督の大船、或いは各戦船の到来する有れば、宜しく彼に示覆すれば可なるべし。此の時に当たり通事は緊を要すれば、今、執事の〓(口+夥)爾咖助(フォルカード)を留め、通事の粤五思旦(オーギュスタン)と同に、貴国に在らしめんことを要む」等の由あり。
本爵、意いて謂わく、敝国は蕞爾の蜃疆にして、土は痩せ地は薄く物産は多からず、金銀は出ずる無ければ、広く他国と交通する能わず。若し仏国と好を結び往来して貿易すれば、洵に煩累頻繁にして、遂に顚覆の憂を招かんことを恐る。且つ他国人をして上陸して淹留せしむるは、素より国家の厳禁に係る。即ち飭して文を具えて固辞せしめんとす。但だ該総兵は聴従するを肯ぜず。十九日に于て強いて執事一名・通事一名を留め、開船して回り去けり。
厥の後、執事〓(口+夥)爾咖助(フォルカード)の稟に拠るに称すらく、「琉球は窮して産する所多く無しと雖も、然れども𠸄国は其(琉球)の中国と日本の間に居り、両国の貨船は此に聚まるべきを見て、遂に心に之を取らんとするは一年ならざる有り。仏国は其の謀を阻まんと欲す。惟うに二計有り。一は或いは格外に保護し、一は或いは先に自ら之れを取る。但だ先に自ら之れを取れば、則ち公議保ち難し。格外に保護するは我が心の愿いなり。夫れ、国家の患は以て人に譬うべし。或いは大症に染らんか、初めて之れに染るの際は尚お医治すべし。如し神を留めずして調治を懈れば、病は必ず裏に入り之れを膏肓に附し、竟に不治の症と成る。乞うらくは、早やかに之れが計を為し、遅延すべからざらんことを。大事を悞るを恐る」等の由あり。
併びに通事粤五思旦(オーギュスタン)の稟に拠るに称すらく、「仏国の戦船は西より東に来たれば、化費は限り無し。若し深く其の意を知り万全の計を得れば、則ち吉有りて凶無し。否らずんば則ち禍福は料り難し。近ごろ聞くに、西土の各国は議して曰う有り、凡そ天下に吾が西土と通好せざる者あれば之れを伐つべし、と。更に曰く、琉球は西土と和好を通ぜざれば、必ずや西土の疆国の有する所と為らん、と。倘し或いは糊然として彼の和好を絶てば、是れ自ら怨を招くなり。詳細に之れを察せられんことを乞う」等の由あり。各々稟を具えて前来せり。
本爵、意いて謂わく、敝国は海隅に僻処するも、叨くも皇上の覆載の恩を蒙り、世々王爵を膺け、代々貢職を供し、国を泰んじ民を安んじ、永く太平を享く。若し乃ち仏国と交通して其の保護と為れば、但だに臣子の忠順の忱を失うのみならず、更に天朝の存恤の恩に負くなり。且つ該両人の言を察するに、人の謀を阻むと云うと雖も、実は己が利を図るに在り。苟焉として之れに従い、其の陰謀に墜るべからず、と。即ち固辞せしむ。
又、該執事の〓(口+夥)(フォルカード)の稟に拠るに称すらく、「予は即ち天主の聖教を伝うるの士なり。仏国より開船して他国に往かんと欲す。澳門に到るの後、窃かに聞くに、西土の人は貴国の疆土を取らんと欲す、と。故に前教を伝授し、生霊を塗炭より救わんと欲す。乃ち跋渉艱楚して来たる。乞うらくは、天主の聖教を貴国の各府・州の地方に于て明伝するを准されんことを。則ち貴国を幫持して遠くより将来の凶険を絶ち、些微の災害をも受けざらしむべし」等の由あり。
本爵、意いて謂わく、敝国は畳々聖朝の菁莪の化に沾い、孔孟の経伝の道を学ぶを得たり。所謂天主教なる者は学習すべからざるなり、と。即ち飭して辞却せしむ。
又、前事の為にす。
執事〓(口+夥)(フォルカード)の稟に拠るに称すらく、「𠸄国を阻まんと欲するの一款の策は上献すると雖も、其の用いると用いざるとは貴国に在り。若し是れ後来或いは便ならざる有れば、怨みを遠人に帰する勿かれ。其の天主教を伝えるに至りては、既に天主の命を承けたれば、勢い必ずや行わざるを得ず。豈に半途にして廃すべけんや。如し允准せざるとも、則ち遠人は貴国を離別するを肯ぜず。必ずや鞠躬尽悴して以て人の霊魂を救うの功を立つるを将て、予の死するの後、才徳、予に勝ること百倍する者、必ずや踵を継いで来たるべし」等の由あり。
本爵、意いて謂わく、敝国は明の洪武年間に在りて荷くも閩人三十六姓を賜り、教うるに孔孟の道を以てす。聖朝の定鼎するに至りては、文教は覃いに敷かれ、斯文は丕いに振るい、化に沐すること益々厚く、学を慕うこと漸く深し。文廟を設建し、儒を崇び道を重んじ、均しく鄒魯の風に向かう。凡そ国中の行う所の政務は亦た中朝の定制に遵い、敢えて軌を異にせず。若し今、天主教を学べば、則ち上は天朝の異端を黜けて以て正学を崇ぶの至意に負き、下は海国の邪説に惑いて良心を昧ますの弊竇を開かん、と。即ち固辞せしむ。然れども未だ曽て心に領略せず。動もすれば借端して事を生ぜんとするの機有り。
窃かに査するに、該仏国人等は故無くして境に入り、初めは好を結び貿易せんと欲し、次いで格外の保護を求め、後には天主教を伝えんことを要む。称する所の言詞は、反覆して常靡ければ、測度すべからず。日後に至りて若し大総兵の国に到る有れば、如何に騒攪するやを知らず。現今、官役に申飭し、心を尽くして籌画し、務めて大総兵の国に到るを俟ちて、之れを待つに礼を以てし、之れに告ぐるに義を以てし、其れをして騒攪するを致さざらしめ、彼の二人を率いて一同に帰国するを要めんとす。
茲に進貢の便に値たれば、合に先に咨明すべし。此れが為に貴司に移咨す。請煩わくは察照して督撫両院に転詳し施行せられよ。
須らく咨に至るべき者なり。
右、福建等処承宣布政使司に咨す
道光二十四年(一八四四)八月初四日
注(1)仏朗西国 フランス。一八四四年当時はルイ・フィリップを国王とした立憲君主制の王政(一八四八年、二月革命で第二共和政となった)。
(2)総兵 提督。ここでは道光二十四年三月那覇に来航した仏船アルクメーヌ号の艦長デュプランのこと。
(3)〓(口+夥)爾烈𡀔璞朗 デュプラン。ベニーニュ・ユージン・フォルニェ・デュプラン(Benigne Eugene Fornoer-Duplan)。仏船アルクメーヌ号の艦長。道光二十四年三月那覇に来航し、フォルカードとオーギュスタンを琉球に残して出航。
(4)澳門 マカオ。広東省沿岸部に面した島嶼。
(5)啓称 啓は申し上げる意。てがみ、個人的な書簡(「用語解説」参照)。
(6)大総兵都督 フランスのインドシナ艦隊の提督セシーユのこと。道光二十六年五月クレオパートル号で那覇に来航。
(7)執事 キリスト教における教会職務のひとつで、カトリック教会では司祭につぐ職位である助祭に相当する。ここではフォルカードのこと。
(8)〓(口+夥)爾咖助 フォルカード。テオドール・オーギュスタン・フォルカード(Theodore Augustin Forcade)。一八一六~八五年。フランス人宣教師。一八四二年(道光二十二)パリ外国宣教会に入り、道光二十四年三月アルクメーヌ号で来航。天久聖現寺に約二年滞在。厳しい監視の下で布教はならなかったが、琉球語を学び『琉仏辞典』を執筆した。道光二十六年、セシーユ提督率いるクレオパートル号で帰国(『沖縄大百科』)。
(9)通事 ここではオーギュスタン・コウを指す。
(10)粤五思旦 オーギュスタン。オーギュスタン高(Augustin Ko)。 フォルカードとともに来航した中国人伝道師兼通訳。
(11)煩累頻繁 めんどうな事がしばしば起こる。煩累はわずらわしくめんどうな物事。
(12)淹留 長期滞在する。逗留する。
(13)公議 校訂本は「公義」だが『漢文外国一件書類』および〔別台―〇二〕により「公議」とした。公平、正義、国際世論の意。
(14)神を留めずして 注意せずして、不注意に、の意。
(15)調治 治療。
(16)膏肓 「膏」は心臓の下部、「肓」は隔膜の上部を指す。ここに病気が入ると治らないという。病気がひどくなり、どうしようもないさま。
(17)化費 お金を使う。費やす。費用。経費。
(18)西土 西洋。
(19)糊然 あいまいにする、ごまかす、どっちつかずの態度を示す、の意。
(20)存恤の恩 「存恤」はなぐさめめぐむ。ねぎらいあわれむ。ここでは中国皇帝が示した厚情の恩。
(21)苟焉 無意味に。いいかげんに。おろそかに。
(22)天主の聖教 天主教。キリスト教カトリックの呼称。「天主」はラテン語デウスの音訳で神を意味する。
(23)生霊 人民。
(24)跋渉艱楚 「跋渉」は山を越え、河を渡る。原野を行くことを跋といい、河川を行くことを渉という。「艱楚」は艱難困苦。
(25)幫持 助けささえる。
(26)菁莪の化 「菁莪」は草木が青々と茂って盛んなさま。人材を教育することを楽しむことのたとえ。『詩経』「小雅・菁菁者莪序」に「菁菁たる者は莪、材を育むを楽しむなり。君子能く人材を育むに長ずれば天下は之を喜楽す」とある。
(27)孔孟の経伝 孔子と孟子が説いた儒教の経典とその解釈書。
(28)辞却 ことわる。辞退する。
(29)後来 こののち。行く末、将来。
(30)遠人 遠方の人。ここでは琉球からみて遠方の人の意でフランス人を指す。
(31)鞠躬尽悴 「鞠躬」は体をかがめること、「尽悴」は心を尽くし力を尽くすこと。精神と体力を傾け尽くして、の意。
(32)踵を継いで来たる きびすを接するほど続けざまにやってくること。
(33)閩人三十六姓 十四~十五世紀、中国から渡来した人々あるいはその子孫を指す。琉球王国の貿易・外交事務を担当した。かれらの集落が久米村である。
(34)定鼎 都を定めること。国家を樹立し安定させること。
(35)斯文 この学問。儒学をいう。
(36)鄒魯の風 孔子と孟子の教え。鄒は孟子の生国、魯は孔子の生国。
(37)弊竇 竇は穴。弊害となる点。
(38)領略 理解する。
(39)借端 あることにかこつけて事を起こす。
(40)測度 推しはかる。
(41)騒攪 騒ぎ乱れる。
(42)申飭 厳しく申しつける。
琉球国中山王尚(育)、咨明する事の為にす。
照らし得たるに、道光二十四年三月十一日、海船一隻、敝国の那覇洋面に来到して停泊する有り。随即に員に委して来歴を訪ね問わしむるも、言語通ぜず。内に通事一名有り。中国人に係る。称するに拠るに、「仏朗西国の第一号の戦船に係る。其の総兵、名は〓(口+夥)爾烈𡀔璞朗(デュプラン)、船上には共に二百三十人有り。広東の澳門より起程し、来たりて糧食を買い、併びに木料を買いて船上の折れたる処を修補せんとす」等の語あり。即ち木料・牛・羊・鶏・豚・魚・酒・蔬菜等の件を発給せしむ。
続いで該総兵の啓称に拠るに、「我が国は恒に中国と盟好を通じ、交接すること親切なれば、特に各戦船の総兵をして中国の隣近の諸国に去きて和を通じ好を結び、往来して貿易するを求めしむ。本総兵は貴国と和好する為に令を奉じて来たる。余は久しく此に住まる能わざるも、数月の後に必ずや大総兵都督の大船、或いは各戦船の到来する有れば、宜しく彼に示覆すれば可なるべし。此の時に当たり通事は緊を要すれば、今、執事の〓(口+夥)爾咖助(フォルカード)を留め、通事の粤五思旦(オーギュスタン)と同に、貴国に在らしめんことを要む」等の由あり。
本爵、意いて謂わく、敝国は蕞爾の蜃疆にして、土は痩せ地は薄く物産は多からず、金銀は出ずる無ければ、広く他国と交通する能わず。若し仏国と好を結び往来して貿易すれば、洵に煩累頻繁にして、遂に顚覆の憂を招かんことを恐る。且つ他国人をして上陸して淹留せしむるは、素より国家の厳禁に係る。即ち飭して文を具えて固辞せしめんとす。但だ該総兵は聴従するを肯ぜず。十九日に于て強いて執事一名・通事一名を留め、開船して回り去けり。
厥の後、執事〓(口+夥)爾咖助(フォルカード)の稟に拠るに称すらく、「琉球は窮して産する所多く無しと雖も、然れども𠸄国は其(琉球)の中国と日本の間に居り、両国の貨船は此に聚まるべきを見て、遂に心に之を取らんとするは一年ならざる有り。仏国は其の謀を阻まんと欲す。惟うに二計有り。一は或いは格外に保護し、一は或いは先に自ら之れを取る。但だ先に自ら之れを取れば、則ち公議保ち難し。格外に保護するは我が心の愿いなり。夫れ、国家の患は以て人に譬うべし。或いは大症に染らんか、初めて之れに染るの際は尚お医治すべし。如し神を留めずして調治を懈れば、病は必ず裏に入り之れを膏肓に附し、竟に不治の症と成る。乞うらくは、早やかに之れが計を為し、遅延すべからざらんことを。大事を悞るを恐る」等の由あり。
併びに通事粤五思旦(オーギュスタン)の稟に拠るに称すらく、「仏国の戦船は西より東に来たれば、化費は限り無し。若し深く其の意を知り万全の計を得れば、則ち吉有りて凶無し。否らずんば則ち禍福は料り難し。近ごろ聞くに、西土の各国は議して曰う有り、凡そ天下に吾が西土と通好せざる者あれば之れを伐つべし、と。更に曰く、琉球は西土と和好を通ぜざれば、必ずや西土の疆国の有する所と為らん、と。倘し或いは糊然として彼の和好を絶てば、是れ自ら怨を招くなり。詳細に之れを察せられんことを乞う」等の由あり。各々稟を具えて前来せり。
本爵、意いて謂わく、敝国は海隅に僻処するも、叨くも皇上の覆載の恩を蒙り、世々王爵を膺け、代々貢職を供し、国を泰んじ民を安んじ、永く太平を享く。若し乃ち仏国と交通して其の保護と為れば、但だに臣子の忠順の忱を失うのみならず、更に天朝の存恤の恩に負くなり。且つ該両人の言を察するに、人の謀を阻むと云うと雖も、実は己が利を図るに在り。苟焉として之れに従い、其の陰謀に墜るべからず、と。即ち固辞せしむ。
又、該執事の〓(口+夥)(フォルカード)の稟に拠るに称すらく、「予は即ち天主の聖教を伝うるの士なり。仏国より開船して他国に往かんと欲す。澳門に到るの後、窃かに聞くに、西土の人は貴国の疆土を取らんと欲す、と。故に前教を伝授し、生霊を塗炭より救わんと欲す。乃ち跋渉艱楚して来たる。乞うらくは、天主の聖教を貴国の各府・州の地方に于て明伝するを准されんことを。則ち貴国を幫持して遠くより将来の凶険を絶ち、些微の災害をも受けざらしむべし」等の由あり。
本爵、意いて謂わく、敝国は畳々聖朝の菁莪の化に沾い、孔孟の経伝の道を学ぶを得たり。所謂天主教なる者は学習すべからざるなり、と。即ち飭して辞却せしむ。
又、前事の為にす。
執事〓(口+夥)(フォルカード)の稟に拠るに称すらく、「𠸄国を阻まんと欲するの一款の策は上献すると雖も、其の用いると用いざるとは貴国に在り。若し是れ後来或いは便ならざる有れば、怨みを遠人に帰する勿かれ。其の天主教を伝えるに至りては、既に天主の命を承けたれば、勢い必ずや行わざるを得ず。豈に半途にして廃すべけんや。如し允准せざるとも、則ち遠人は貴国を離別するを肯ぜず。必ずや鞠躬尽悴して以て人の霊魂を救うの功を立つるを将て、予の死するの後、才徳、予に勝ること百倍する者、必ずや踵を継いで来たるべし」等の由あり。
本爵、意いて謂わく、敝国は明の洪武年間に在りて荷くも閩人三十六姓を賜り、教うるに孔孟の道を以てす。聖朝の定鼎するに至りては、文教は覃いに敷かれ、斯文は丕いに振るい、化に沐すること益々厚く、学を慕うこと漸く深し。文廟を設建し、儒を崇び道を重んじ、均しく鄒魯の風に向かう。凡そ国中の行う所の政務は亦た中朝の定制に遵い、敢えて軌を異にせず。若し今、天主教を学べば、則ち上は天朝の異端を黜けて以て正学を崇ぶの至意に負き、下は海国の邪説に惑いて良心を昧ますの弊竇を開かん、と。即ち固辞せしむ。然れども未だ曽て心に領略せず。動もすれば借端して事を生ぜんとするの機有り。
窃かに査するに、該仏国人等は故無くして境に入り、初めは好を結び貿易せんと欲し、次いで格外の保護を求め、後には天主教を伝えんことを要む。称する所の言詞は、反覆して常靡ければ、測度すべからず。日後に至りて若し大総兵の国に到る有れば、如何に騒攪するやを知らず。現今、官役に申飭し、心を尽くして籌画し、務めて大総兵の国に到るを俟ちて、之れを待つに礼を以てし、之れに告ぐるに義を以てし、其れをして騒攪するを致さざらしめ、彼の二人を率いて一同に帰国するを要めんとす。
茲に進貢の便に値たれば、合に先に咨明すべし。此れが為に貴司に移咨す。請煩わくは察照して督撫両院に転詳し施行せられよ。
須らく咨に至るべき者なり。
右、福建等処承宣布政使司に咨す
道光二十四年(一八四四)八月初四日
注(1)仏朗西国 フランス。一八四四年当時はルイ・フィリップを国王とした立憲君主制の王政(一八四八年、二月革命で第二共和政となった)。
(2)総兵 提督。ここでは道光二十四年三月那覇に来航した仏船アルクメーヌ号の艦長デュプランのこと。
(3)〓(口+夥)爾烈𡀔璞朗 デュプラン。ベニーニュ・ユージン・フォルニェ・デュプラン(Benigne Eugene Fornoer-Duplan)。仏船アルクメーヌ号の艦長。道光二十四年三月那覇に来航し、フォルカードとオーギュスタンを琉球に残して出航。
(4)澳門 マカオ。広東省沿岸部に面した島嶼。
(5)啓称 啓は申し上げる意。てがみ、個人的な書簡(「用語解説」参照)。
(6)大総兵都督 フランスのインドシナ艦隊の提督セシーユのこと。道光二十六年五月クレオパートル号で那覇に来航。
(7)執事 キリスト教における教会職務のひとつで、カトリック教会では司祭につぐ職位である助祭に相当する。ここではフォルカードのこと。
(8)〓(口+夥)爾咖助 フォルカード。テオドール・オーギュスタン・フォルカード(Theodore Augustin Forcade)。一八一六~八五年。フランス人宣教師。一八四二年(道光二十二)パリ外国宣教会に入り、道光二十四年三月アルクメーヌ号で来航。天久聖現寺に約二年滞在。厳しい監視の下で布教はならなかったが、琉球語を学び『琉仏辞典』を執筆した。道光二十六年、セシーユ提督率いるクレオパートル号で帰国(『沖縄大百科』)。
(9)通事 ここではオーギュスタン・コウを指す。
(10)粤五思旦 オーギュスタン。オーギュスタン高(Augustin Ko)。 フォルカードとともに来航した中国人伝道師兼通訳。
(11)煩累頻繁 めんどうな事がしばしば起こる。煩累はわずらわしくめんどうな物事。
(12)淹留 長期滞在する。逗留する。
(13)公議 校訂本は「公義」だが『漢文外国一件書類』および〔別台―〇二〕により「公議」とした。公平、正義、国際世論の意。
(14)神を留めずして 注意せずして、不注意に、の意。
(15)調治 治療。
(16)膏肓 「膏」は心臓の下部、「肓」は隔膜の上部を指す。ここに病気が入ると治らないという。病気がひどくなり、どうしようもないさま。
(17)化費 お金を使う。費やす。費用。経費。
(18)西土 西洋。
(19)糊然 あいまいにする、ごまかす、どっちつかずの態度を示す、の意。
(20)存恤の恩 「存恤」はなぐさめめぐむ。ねぎらいあわれむ。ここでは中国皇帝が示した厚情の恩。
(21)苟焉 無意味に。いいかげんに。おろそかに。
(22)天主の聖教 天主教。キリスト教カトリックの呼称。「天主」はラテン語デウスの音訳で神を意味する。
(23)生霊 人民。
(24)跋渉艱楚 「跋渉」は山を越え、河を渡る。原野を行くことを跋といい、河川を行くことを渉という。「艱楚」は艱難困苦。
(25)幫持 助けささえる。
(26)菁莪の化 「菁莪」は草木が青々と茂って盛んなさま。人材を教育することを楽しむことのたとえ。『詩経』「小雅・菁菁者莪序」に「菁菁たる者は莪、材を育むを楽しむなり。君子能く人材を育むに長ずれば天下は之を喜楽す」とある。
(27)孔孟の経伝 孔子と孟子が説いた儒教の経典とその解釈書。
(28)辞却 ことわる。辞退する。
(29)後来 こののち。行く末、将来。
(30)遠人 遠方の人。ここでは琉球からみて遠方の人の意でフランス人を指す。
(31)鞠躬尽悴 「鞠躬」は体をかがめること、「尽悴」は心を尽くし力を尽くすこと。精神と体力を傾け尽くして、の意。
(32)踵を継いで来たる きびすを接するほど続けざまにやってくること。
(33)閩人三十六姓 十四~十五世紀、中国から渡来した人々あるいはその子孫を指す。琉球王国の貿易・外交事務を担当した。かれらの集落が久米村である。
(34)定鼎 都を定めること。国家を樹立し安定させること。
(35)斯文 この学問。儒学をいう。
(36)鄒魯の風 孔子と孟子の教え。鄒は孟子の生国、魯は孔子の生国。
(37)弊竇 竇は穴。弊害となる点。
(38)領略 理解する。
(39)借端 あることにかこつけて事を起こす。
(40)測度 推しはかる。
(41)騒攪 騒ぎ乱れる。
(42)申飭 厳しく申しつける。