了解更多交流史 漂着船は突然に―漂着船対応マニュアルの世界―
漂着と公事帳
琉球国によって作成された法令や規定集などを集め、『沖縄県史料』として刊行された「首里王府仕置」(1~3)のなかに、非常に長いタイトルの資料があります。題名は、
進貢接貢船唐船朝鮮船異国船日本他領之船漂着破船□之時在番役々公事帳
です(以下、公事帳と略)。
その意味は、①進貢接貢船(=琉球国が中国へ隔年で派遣した進貢船と接貢船)、②唐船(=清国の船)、③朝鮮船(=朝鮮国の船)、④異国船(=オランダなどの東アジア諸国外の船)、⑤日本他領之船(=日本の船)が八重山に漂着した際に、現地の役人(在番役)らの対応方法について記した公事帳(=規則集)となります。これは、言うなれば、突然にあらわれるさまざまな国籍の漂着船に、どのように対処するかを定めた対応マニュアルでした。
琉球国の外交文書集『歴代宝案』にも、行方不明になった、または流れ着いた船に関する文書が大量に収録されていることから分かるように、帆船が主流であった時代、外洋を航海する船の漂着は、ひんぱんに起こるできごとでした。
漂着船への対応
公事帳の規定を見てみると、島の付近を船が通過した際に、首里にどのように報告するのか、例えば、何月何日、何時頃、どのような風の状況で、どの方角のどのあたりに、どこからどこの方向へ、どのような船が航行したのかなど、細かく定められていました。
また、船が漂着した際の対応として、沖合に船が見えればすぐに小舟を出してようすを確認し、必要にあわせて救助することとなっていました。その際、船が破損していたり、沖合のサンゴ礁(リーフ)に乗りあげ沈没寸前となっているなども多かったようです。ほかにも現場付近に武具を用意して不測の事態に対応できるよう定めるなど、さまざまな状況が想定されていました。このように公事帳には、漂着への対応、救助に関して各国ごとの事情にあわせ細かに対応が決められていたのです。
漂着船への対応に、ここまで注意が払われた背景には、当時の琉球の国柄やアジア情勢が深く関係していました。特に関係の深かったものとして、
1.漂着に便乗した密貿易(抜け荷)対策
2.キリスト教の禁止(切支丹禁令)への対応
3.琉球と日本(薩摩)との関係の隠蔽(*隠蔽:真相を隠すこと)
などがありました。
大海をただよう漂流者にとって、琉球への漂着は、九死に一生の奇跡に感じたかもしれません。一方で、琉球の人びとも、こまかなマニュアルを定め、いつ、どこにやってくるか分からないなか、万全の対応をすべく体制を整えていました。漂着という、予期せぬ出会いと事件も、琉球王国の交流史を彩る重要な物語の一つだと言えます。
(山田 浩世)
〔補足〕
本コラムで紹介した公事帳は、『沖縄県史料 首里王府仕置3』に収録された、喜舎場家所蔵本を底本として編集されたものです。琉球大学附属図書館の宮良殿内文庫には、同内容の写本(宮良殿内文庫「進貢船接貢船唐人通船朝鮮人乗船日本他領人乗船各漂着并破損之時八重山島在番役々勤職帳」:外部サイト)があり、デジタルアーカイブで閲覧することができます。
また、琉球大学附属図書館のYouTubeチャンネルで「八重山役人の漂着対応マニュアル【琉球沖縄関係デジタルアーカイブの世界#2】」として、豊見山和行氏による解説動画が公開されています。あわせてご覧ください。
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