{{ryu_data.f5}}
資料詳細
- 資料ID.
- {{ryu_data.f32}}
- 資料種別
- {{ryu_data.f5}}
- 資料名
- {{ryu_data.f7}}
- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
- {{ryu_data.f30}}
- タイトル
- 中国暦
- {{ryu_data.f17}}年 {{ryu_data.f18}}月 {{ryu_data.f19}}日
- 西暦
- {{ryu_data.f13}}年 {{ryu_data.f14}}月 {{ryu_data.f15}}日
- 曜日
- {{ryu_data.f16}}
- 差出
- {{ryu_data.f21}}
- 宛先
- {{ryu_data.f22}}
- 文書形式
- {{ryu_data.f26}}
- 書誌情報
- {{ryu_data.f27}}
- 関連サイト情報
- {{item.site}}
- 訂正履歴
- {{ryu_data.f24}}
- 備考
- {{ryu_data.f33}}
テキスト
3-02-04 琉球国中山王世子尚泰より関係当局あて、咸豊九年の接貢船派遣に当たり、便宜を図られたき旨、蔡呈祚等に付した執照(咸豊九《一八五九》、八、二)
琉球国中山王世子尚(泰)、恭しく勅書を迎え、併びに使臣を接回する事の為にす。
照らし得たるに、敝国は業に咸豊八年秋に於て耳目官の翁俊・正議大夫の阮孝銓等を遣わし、表章・方物を齎捧して天朝に入貢せしめ、業経に福建等処承宣布政使司に移咨し、起送して京に赴き、叩きて聖禧を祝らしめて案に在り。
茲に国に還るの期に当たれば、例として応に船を撥して接回すべし。此れが為に特に都通事の毛克述等を遣わし、梢役共に八十九員名を帯領せしめ、海船一隻に坐駕して前みて福建に至り、恭しく皇上の勅書・欽賜の物件を迎え、併びに京より回るの使臣の翁俊・阮孝銓、都通事の林長隆を接り、閩に在るの存留通事の蔡呈禎等と与に国に還らしめんとす。
但だ、差わす所の員役は、文憑無ければ以て各処の官軍の阻留して便ならざるを致すを恐る。此れが為に、王府の礼字第三百一十九号半印勘合の執照一道を給発して存留通事の蔡呈祚等に付し、収執して前去せしむ。凡そ遇う所の関津及び沿海の巡哨官軍は験実して即便に放行し、留難して阻滞するを得る毋からしめよ。
須らく執照に至るべき者なり。
計開す。
在船都通事一員 毛克述 人伴四名
在船使者二員 向永康向善継 人伴八名
存留通事一員 蔡呈祚 人伴六名
管船夥長・直庫二名 梁善尊 宮開基
水梢共に六十五名
右の執照は存留通事蔡呈祚等に付す。此れに准ぜられよ
咸豊九年(一八五九)八月初二日
注(1)照らし得たるに のぶれば、の意。特に出典を示すまでもない確実な根拠によって事実を述べる時に用いる語。文書の冒頭に用いることが多い。
(2)梢役 水夫。船乗り。
(3)帯領 引き連れる。持参する。
(4)文憑 証拠となる文書。証明書。官吏の赴任命令証書、旅行証明書などをいう。ここでは執照を指す。
(5)阻留 さえぎりはばんで留めること。通行を阻止して拘留すること。
(6)礼字 交易船の確認のため船舶に付した字号で、勘合の用紙の束の名称が「礼」であることを意味する。
(7)半印勘合の執照 琉球よりの使節であることを証明するための割り印を付した執照。
(8)蔡呈祚 久米村系蔡氏。咸豊九年接貢の存留通事。同治三年の結状では中議大夫翁長里之子親雲上として名がみえる(〔三―一〇―一七〕)。同治十三年には進貢の正議大夫玉那覇親雲上として北京に赴いている(『家譜(二)』一三九頁、金文懿の譜、『中山世譜』)。
(9)収執 受け取る。
(10)前去 行く、出向く。「収執して前去せしむ」は、受け取って行かせること。
(11)関津 水陸の要所要所に設置された関所。税関。
(12)巡哨官軍 巡哨とは見回る、巡回する、巡邏するの意。沿岸巡回の海軍。
(13)験実 調べて事実かどうか確かめる。
(14)放行 解放して通行させる。
(15)留難 引き留めて難題をふっかける。
(16)在船都通事 中国への使節の職名の一つ。通訳事務、外交折衝・貿易業務等にあたる(〔三―〇一―〇三〕「都通事」参照)。康煕十九年頃から、一回の進貢に在船都通事二人、在船通事一人が任ぜられ、頭号船には在船都通事一人が存留通事一人と共に、二号船には在船都通事・在船通事各一人が乗船するという形にほぼ定着した。
(17)人伴 従者、随行員。単なる従者ではなく、それぞれしかるべき役割や目的をもった人々を便宜上一括して称したと思われる。
(18)在船使者 中国への使節の職名の一つ。進貢船で福建に渡り、進京せず、その船で帰国する使者を、同行の上京する使者と区別するため「在船使者」と称した。接回や探問など上京要員のない渡航では、船と共に帰る使者も単に「使者」と呼ぶ。『家譜』などでは、筆頭の在船使者を才府、二位のものを官舎と記すことが多い。才府は唐物買付の責任者、官舎は薩摩から委託されて購入した物品を薩摩へ届ける責任者。首里・那覇系の人が任ぜられ、一船に二人乗船し、各人が四人の人伴を持つことが多い。
(19)向永康 野里親雲上(『家譜(二)』七四九頁、毛克述の譜)。首里系向氏。咸豊九年接貢の在船使者。
(20)向善継 首里系向氏。咸豊九年接貢船の在船使者。
(21)存 校訂本では「在」だが「存」の誤りか。
(22)夥長 管船夥長。火長・伙長とも書く。夥長は船内の事を統括し運航を掌る職名だが、琉球では後に、航海の際に儀礼的、宗教的分野を担当する傾向が生じた(高瀬恭子「歴代宝案第一集における火長について」『東南アジア―歴史と文化』十二号、一九八三年)。近世の琉球における管船夥長は「総管(官)」とも呼ばれ、航海安全の神(媽祖)を祀る役をいう(富島壯英「唐船(進貢船)に関する覚書」『歴代宝案研究』第六・七合併号、一九九六年)。久米村系の士族を任じた。
(23)直庫 管船直庫のこと。直庫の中国における職掌については、万暦四十五年頃刊の張燮『東西洋考』巻九、舟師考に「其の(船の)戦具を司る者を直庫と為す」とある。近世の琉球における直庫は「船頭」に相当する。
(24)梁善尊 咸豊九年接貢船の管船夥長。
(25)宮開基 咸豊九年接貢船の管船直庫。
(26)此れに准ぜられよ 「准此」は各種の下行文や、官庁の発行する身分証明書の類のあて先の終わりに慣用的に記す語。ここでは「此れ(証明書等)にもとづいて処理されたし」という意味と受けとめて「此れに准ぜられよ」と読む。訳注本第二冊所収の「用語解説」および『福恵全書語彙解』『歴史文書用語辞典』等を参照。
琉球国中山王世子尚(泰)、恭しく勅書を迎え、併びに使臣を接回する事の為にす。
照らし得たるに、敝国は業に咸豊八年秋に於て耳目官の翁俊・正議大夫の阮孝銓等を遣わし、表章・方物を齎捧して天朝に入貢せしめ、業経に福建等処承宣布政使司に移咨し、起送して京に赴き、叩きて聖禧を祝らしめて案に在り。
茲に国に還るの期に当たれば、例として応に船を撥して接回すべし。此れが為に特に都通事の毛克述等を遣わし、梢役共に八十九員名を帯領せしめ、海船一隻に坐駕して前みて福建に至り、恭しく皇上の勅書・欽賜の物件を迎え、併びに京より回るの使臣の翁俊・阮孝銓、都通事の林長隆を接り、閩に在るの存留通事の蔡呈禎等と与に国に還らしめんとす。
但だ、差わす所の員役は、文憑無ければ以て各処の官軍の阻留して便ならざるを致すを恐る。此れが為に、王府の礼字第三百一十九号半印勘合の執照一道を給発して存留通事の蔡呈祚等に付し、収執して前去せしむ。凡そ遇う所の関津及び沿海の巡哨官軍は験実して即便に放行し、留難して阻滞するを得る毋からしめよ。
須らく執照に至るべき者なり。
計開す。
在船都通事一員 毛克述 人伴四名
在船使者二員 向永康向善継 人伴八名
存留通事一員 蔡呈祚 人伴六名
管船夥長・直庫二名 梁善尊 宮開基
水梢共に六十五名
右の執照は存留通事蔡呈祚等に付す。此れに准ぜられよ
咸豊九年(一八五九)八月初二日
注(1)照らし得たるに のぶれば、の意。特に出典を示すまでもない確実な根拠によって事実を述べる時に用いる語。文書の冒頭に用いることが多い。
(2)梢役 水夫。船乗り。
(3)帯領 引き連れる。持参する。
(4)文憑 証拠となる文書。証明書。官吏の赴任命令証書、旅行証明書などをいう。ここでは執照を指す。
(5)阻留 さえぎりはばんで留めること。通行を阻止して拘留すること。
(6)礼字 交易船の確認のため船舶に付した字号で、勘合の用紙の束の名称が「礼」であることを意味する。
(7)半印勘合の執照 琉球よりの使節であることを証明するための割り印を付した執照。
(8)蔡呈祚 久米村系蔡氏。咸豊九年接貢の存留通事。同治三年の結状では中議大夫翁長里之子親雲上として名がみえる(〔三―一〇―一七〕)。同治十三年には進貢の正議大夫玉那覇親雲上として北京に赴いている(『家譜(二)』一三九頁、金文懿の譜、『中山世譜』)。
(9)収執 受け取る。
(10)前去 行く、出向く。「収執して前去せしむ」は、受け取って行かせること。
(11)関津 水陸の要所要所に設置された関所。税関。
(12)巡哨官軍 巡哨とは見回る、巡回する、巡邏するの意。沿岸巡回の海軍。
(13)験実 調べて事実かどうか確かめる。
(14)放行 解放して通行させる。
(15)留難 引き留めて難題をふっかける。
(16)在船都通事 中国への使節の職名の一つ。通訳事務、外交折衝・貿易業務等にあたる(〔三―〇一―〇三〕「都通事」参照)。康煕十九年頃から、一回の進貢に在船都通事二人、在船通事一人が任ぜられ、頭号船には在船都通事一人が存留通事一人と共に、二号船には在船都通事・在船通事各一人が乗船するという形にほぼ定着した。
(17)人伴 従者、随行員。単なる従者ではなく、それぞれしかるべき役割や目的をもった人々を便宜上一括して称したと思われる。
(18)在船使者 中国への使節の職名の一つ。進貢船で福建に渡り、進京せず、その船で帰国する使者を、同行の上京する使者と区別するため「在船使者」と称した。接回や探問など上京要員のない渡航では、船と共に帰る使者も単に「使者」と呼ぶ。『家譜』などでは、筆頭の在船使者を才府、二位のものを官舎と記すことが多い。才府は唐物買付の責任者、官舎は薩摩から委託されて購入した物品を薩摩へ届ける責任者。首里・那覇系の人が任ぜられ、一船に二人乗船し、各人が四人の人伴を持つことが多い。
(19)向永康 野里親雲上(『家譜(二)』七四九頁、毛克述の譜)。首里系向氏。咸豊九年接貢の在船使者。
(20)向善継 首里系向氏。咸豊九年接貢船の在船使者。
(21)存 校訂本では「在」だが「存」の誤りか。
(22)夥長 管船夥長。火長・伙長とも書く。夥長は船内の事を統括し運航を掌る職名だが、琉球では後に、航海の際に儀礼的、宗教的分野を担当する傾向が生じた(高瀬恭子「歴代宝案第一集における火長について」『東南アジア―歴史と文化』十二号、一九八三年)。近世の琉球における管船夥長は「総管(官)」とも呼ばれ、航海安全の神(媽祖)を祀る役をいう(富島壯英「唐船(進貢船)に関する覚書」『歴代宝案研究』第六・七合併号、一九九六年)。久米村系の士族を任じた。
(23)直庫 管船直庫のこと。直庫の中国における職掌については、万暦四十五年頃刊の張燮『東西洋考』巻九、舟師考に「其の(船の)戦具を司る者を直庫と為す」とある。近世の琉球における直庫は「船頭」に相当する。
(24)梁善尊 咸豊九年接貢船の管船夥長。
(25)宮開基 咸豊九年接貢船の管船直庫。
(26)此れに准ぜられよ 「准此」は各種の下行文や、官庁の発行する身分証明書の類のあて先の終わりに慣用的に記す語。ここでは「此れ(証明書等)にもとづいて処理されたし」という意味と受けとめて「此れに准ぜられよ」と読む。訳注本第二冊所収の「用語解説」および『福恵全書語彙解』『歴史文書用語辞典』等を参照。