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資料詳細
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- 資料種別
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
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- タイトル
- 中国暦
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- 西暦
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- 曜日
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
2-173-09 国王尚育の、中国・朝鮮難民護送のため都通事王兆杜等に付した執照(道光二十一《一八四一》、閏三、二十二)
琉球国中山王尚(育)、護照を給発して以て関津に憑し、以て難人を送る事の為にす。
照得するに、道光二十一年正月十九日、浙江省杭州府仁和県の難人顧雲生等共に一百一名、海船一隻に坐駕して東洋に到らんと要むるに、陡かに颶風に遇い、本国轄属奇界島の洋面に飄入し、礁に衝りて撃砕す。淹斃せる三十九名、病故せる一名を除くの外、現在六十一名、該地方官、救養し送りて中山泊村に到らしむ。又、道光二十一年三月二十四日、朝鮮国全羅道黒山府深県の難人李光巌等共に一十一名、船一隻を駕し、往きて本道に到りて貿易し、郷に還るの時、遇々暴風に着い本国轄属葉壁山の洋面に飄到し、礁に撞りて打破す。淹斃せる三名を除くの外、現在八名、該地方官、救養し送りて中山泊村に到らしむ。経に飭して各々到る日に、例に照らし館に発りて安挿せしめ、廩餼・衣服・蚊帳・酒肉等の項を給与せしむ。部文内の奉ぜる旨の事理に欽遵し、収養して解送せしめんとす。茲に都通事王兆杜等を遣わし、海船一隻に坐駕して梢役共に六十七員名を率領し、中国の難人顧雲生等六十一名並びに朝鮮国の難人李光巌等八名を護送し、前みて閩省に至らしむ。
所有の差去せる員役は、文憑無ければ以て各処の官軍の阻留して便ならざるを致すを恐る。此れが為に王府、礼字第二百七十八号の半印勘合の執照一道を給発して都通事王兆杜等に付し、収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海巡哨の官軍の験実に遇えば、即便に放行し、留難して遅滞するを得る毋からしめよ。須らく執照に至るべき者なり。
計開
風を被る中国難人 顧雲生 王万使
許萃使 傅長茂 高四弟
林尊瑞 傅豊弟 劉爐弟
陳存賢 鮑孔乾 陳開水
陳五官 陳時雁 周鑑弟
林発宝 魏登城 陳得成
洪存返 傅三評 陳達使
康寧使 蔡夏使 王文茵
林敏使 李対使 蔡正生
陳鋭使 呉聖容 胡昌
劉連元 沈福 黄尋使
潘振泰 洪三槐 郭宝発
方四 李徳啓 仁卿
高元煒 陳文奇 林惟善
傅爾使 傅有訓 江子朗
林春弟 高聖亮 黄国文
高吉使 高義林 高璧弟
玉城弟 高壮弟 周明弟
高元波 張魯謨 陳點和
柯阿富 鄭浙弟 李大妹
楊挽使 陳得来
以上、共計に六十一名なり
風を被る朝鮮国の難人 李光巌 金得金
朴成集 李孟根 金六男
李公录 趙銀录 崔春巌
以上、共計に八名なり
護送の都通事一員 王兆杜 人伴四名
司養贍大使一員 秋文明 人伴四名
管船夥長・直庫二名 林世爵 常得順
水梢、共に五十五名
右の執照は都通事王兆杜等に附し、此れを准けしむ
道光二十一年(一八四一)閏三月二十二日
注(1)常得順 道光二十一・二十八年の管船直庫。
琉球国中山王尚(育)、護照を給発して以て関津に憑し、以て難人を送る事の為にす。
照得するに、道光二十一年正月十九日、浙江省杭州府仁和県の難人顧雲生等共に一百一名、海船一隻に坐駕して東洋に到らんと要むるに、陡かに颶風に遇い、本国轄属奇界島の洋面に飄入し、礁に衝りて撃砕す。淹斃せる三十九名、病故せる一名を除くの外、現在六十一名、該地方官、救養し送りて中山泊村に到らしむ。又、道光二十一年三月二十四日、朝鮮国全羅道黒山府深県の難人李光巌等共に一十一名、船一隻を駕し、往きて本道に到りて貿易し、郷に還るの時、遇々暴風に着い本国轄属葉壁山の洋面に飄到し、礁に撞りて打破す。淹斃せる三名を除くの外、現在八名、該地方官、救養し送りて中山泊村に到らしむ。経に飭して各々到る日に、例に照らし館に発りて安挿せしめ、廩餼・衣服・蚊帳・酒肉等の項を給与せしむ。部文内の奉ぜる旨の事理に欽遵し、収養して解送せしめんとす。茲に都通事王兆杜等を遣わし、海船一隻に坐駕して梢役共に六十七員名を率領し、中国の難人顧雲生等六十一名並びに朝鮮国の難人李光巌等八名を護送し、前みて閩省に至らしむ。
所有の差去せる員役は、文憑無ければ以て各処の官軍の阻留して便ならざるを致すを恐る。此れが為に王府、礼字第二百七十八号の半印勘合の執照一道を給発して都通事王兆杜等に付し、収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海巡哨の官軍の験実に遇えば、即便に放行し、留難して遅滞するを得る毋からしめよ。須らく執照に至るべき者なり。
計開
風を被る中国難人 顧雲生 王万使
許萃使 傅長茂 高四弟
林尊瑞 傅豊弟 劉爐弟
陳存賢 鮑孔乾 陳開水
陳五官 陳時雁 周鑑弟
林発宝 魏登城 陳得成
洪存返 傅三評 陳達使
康寧使 蔡夏使 王文茵
林敏使 李対使 蔡正生
陳鋭使 呉聖容 胡昌
劉連元 沈福 黄尋使
潘振泰 洪三槐 郭宝発
方四 李徳啓 仁卿
高元煒 陳文奇 林惟善
傅爾使 傅有訓 江子朗
林春弟 高聖亮 黄国文
高吉使 高義林 高璧弟
玉城弟 高壮弟 周明弟
高元波 張魯謨 陳點和
柯阿富 鄭浙弟 李大妹
楊挽使 陳得来
以上、共計に六十一名なり
風を被る朝鮮国の難人 李光巌 金得金
朴成集 李孟根 金六男
李公录 趙銀录 崔春巌
以上、共計に八名なり
護送の都通事一員 王兆杜 人伴四名
司養贍大使一員 秋文明 人伴四名
管船夥長・直庫二名 林世爵 常得順
水梢、共に五十五名
右の執照は都通事王兆杜等に附し、此れを准けしむ
道光二十一年(一八四一)閏三月二十二日
注(1)常得順 道光二十一・二十八年の管船直庫。