琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ

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資料詳細

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著者等
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タイトル
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2-155-20 国王尚灝の、進貢のため都通事孫光祐等に付した符文(道光十二《一八三二》、八、二)
琉球国中山王尚(灝)、進貢の事の為にす。
照得するに、本爵は世々天朝の洪恩に沐し、会典に遵依して二年に一貢す。欽遵して案に在り。茲に道光十二年の貢期に当り、特に耳目官向永昌・正議大夫鄭択中・都通事孫光裕等を遣わし、表章を齎捧せしむ。梢役を率領し、共に二百員名を過ぎず。海船二隻に坐駕し、常貢の煎熟硫黄一万二千六百觔・紅銅三千觔・煉熟白剛錫一千觔を将て均分して両船に装載す。一船、礼字第二百五十五号は硫黄六千三百觔・紅銅一千五百觔・白剛錫五百觔を装運し、一船、礼字第二百五十六号は硫黄六千三百觔・紅銅一千五白觔・白剛錫五百觔を載運し、前みて福建等処承宣布政使司に至りて投納し、起送して京に赴き聖禧を叩祝せんとす。
所有の差去せる員役は、文憑無ければ、以て各処の官軍の阻留して便ならざるを致すを恐る。合行に符文を給発すべし。今、王府、礼字第二百五十四号の半印勘合の符文一道を給して都通事孫光裕等に付し、収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海巡哨の官軍の験実に遇わば、即便に放行し、留難して遅悞するを得る毋からしめよ。須らく符文に至るべき者なり。
計開
正使耳目官一員 向永昌 人伴一十二名
副使正議大夫一員 鄭択中 人伴一十二名
朝京都通事一員 孫光裕 人伴七名
在船都通事二員 王宏遠/林奕海 人伴八名
在船使者四員 毛徳秀 向文麟/向文範 金広緒 人伴一十六名
存留通事一員 王得才 人伴六名
在船通事一員 阮明良 人伴四名
管船火長直庫四名 魏秉哲 呉有吉/林奕淵 慶永保
水梢共に一百二十名
右の符文は都通事孫光裕等に付し、此れを准けしむ
道光十二年(一八三二)八月初二日

注(1)表章 表は〔一五五-〇一〕〔一五五-〇二〕、章(奏)は〔一五五-〇三〕。
(2)王宏遠 『歴代宝案』では道光十二年(一八三二)進貢の都通事、同十八年にも進貢の都通事を勤めている。
(3)林奕海 久米系林氏。田場親雲上。『歴代宝案』では道光四年(一八二四)存留通事、同十二年進貢の在船都通事、同十六年在船都通事、同十八年進貢の正議大夫として名がみえる。また咸豊二年(一八五二)ロバート・バウン号事件のさい使者として石垣島に赴いている(『家譜(二)』八六六頁、参照)。
(4)向文麟 道光十二年(一八三二)の在船使者。
(5)向文範 道光十二年(一八三二)の在船使者。『歴代宝案』では道光七年にも在船使者として名がみえる。
(6)金広緒 道光十二年(一八三二)の在船使者。『歴代宝案』巻一三六には、道光三年、金広緒ら十三人が江蘇省に漂着したとあり、広緒は首里府の人、四品巡見官とある。
(7)王得才 ?~一八四〇年。久米系王氏。新崎里之子親雲上。道光十二年(一八三二)進貢の存留通事。『歴代宝案』巻一六九に、道光十九年接貢の都通事として中国に赴くが、翌二十年病故したことが記されている。勤学として福州滞在中の鄭秉衡が臨時的に職務を勤めたことが家譜にみえる(『家譜(二)』七〇〇頁、鄭秉衡の譜参照)。
(8)阮明良 道光十二年(一八三二)、在船通事として中国に赴くも病故。
(9)呉有吉 道光十二(一八三二)、十四年進貢の管船直庫。
(10)林奕淵 一七八一~一八四一年。久米系林氏(真栄田家)七世。林興祚の長男。真栄田里之子親雲上。嘉慶十七年(一八一二)読書習礼のため自費留学生として福州で学び、二十三年に帰国。道光十二年(一八三二)進貢二号船の総管として中国に渡る。道光十七年冊封使が来たときには評価司を務め、同十八年都通事に陞る(『家譜(二)』九〇一頁)。
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