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資料詳細
- 資料ID.
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- 資料種別
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
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- タイトル
- 中国暦
- {{ryu_data.f17}}年 {{ryu_data.f18}}月 {{ryu_data.f19}}日
- 西暦
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- 曜日
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
2-140-17 国王尚灝の、中国の難民洪振利・朝鮮の難民黄聖巾(黄勝巾)等の護送のため、都通事孫光裕等に付した執照(道光五《一八二五》、八、三)
琉球国中山王尚(灝)、護照を給発し以て関津の憑とし以て難人を送らんが事の為にす。
照得したるに、道光五年四月初九日、福建省泉州府同安県難人船戸洪振利等、共に三十八名有り。憲令を恭奉し、船一隻に駕して、台湾府に到り、糧米を装載し、直隷省天津府に到りて交納し明白す。盛京奉天府南金州に転到し、豆子を置買し回郷するの時、洋中にて陡かに大風に遭い、山南府喜屋武郡地方に飄到す。
又、道光四年九月二十八日、朝鮮国全羅道海南州済州島の難人船戸黄聖巾等共に五名有り。太丁地方に往到し、海船を新造す。還郷するの時、洋中にて陡かに逆風に遭い、本国属の大島地方に飄到す。各々該地方官、収養して護送し、中山泊村地方に来到す。均しく到るの日に、各々向例に照らし館に発りて安頓し、廩餼・衣服等の項を給与す。部文内の奉旨の事理に欽遵し、収養して解送す。
茲に特に都通事孫光裕等を遣わし、海船一隻に坐駕し梢役共に六十七員名を率領し、前みて閩省に至らしむ。
所有の差去せる員役は、文憑無ければ、以て各処の官軍の阻留して便ならざるを致すを恐る。此れが為に王府の礼字第二百三十九号の半印勘合の執照一道を給発し、都通事孫光裕等に付し、収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海巡哨の官軍の験実に遇えば、即便に放行し、留難して遅滞するを得る毋からしめよ。須らく執照に至るべき者なり。
計開
被風の中国難商船戸洪振利 舵工洪光賛
出海林虞 親丁葉淵
阿班曽明 頭椗洪頓
舵尞洪咸章 杉板洪徳
摠哺馮珪 押工陳観
水手呉祐 陳蘭
石珠 洪別
洪聡明 林栽
蔡登 葉甚
洪来 洪天
林係 洪尚
洪猪 林𠈙
洪甫 陳文
洪勝 陳転
洪郁 客商蔡標亮
李廷棟 黄智
蔡英利 □応雄
魏九 蔡世光
魏媽顧 尤註
以上、共計三十八名
被風の朝鮮国難人船戸黄聖巾
舵工梁永沢 水梢金光福
李源芳 李光福
以上、共計五名
護送都通事一員 孫光裕 人伴四名
司養贍大使一員 呂崇憲 人伴四名
管船夥長・直庫二名 魏受祐 柳作楫
水梢共に五十五名
右、執照は都通事孫光裕等に附し、此れを准けしむ
道光五年(一八二五)八月初三日
注(1)摠哺 総哺とも。炊事係。
(2)呂崇憲 道光五年護送船の司養贍大使として福建に赴くが病故。
(3)魏受祐 道光五年護送船の管船夥長。
琉球国中山王尚(灝)、護照を給発し以て関津の憑とし以て難人を送らんが事の為にす。
照得したるに、道光五年四月初九日、福建省泉州府同安県難人船戸洪振利等、共に三十八名有り。憲令を恭奉し、船一隻に駕して、台湾府に到り、糧米を装載し、直隷省天津府に到りて交納し明白す。盛京奉天府南金州に転到し、豆子を置買し回郷するの時、洋中にて陡かに大風に遭い、山南府喜屋武郡地方に飄到す。
又、道光四年九月二十八日、朝鮮国全羅道海南州済州島の難人船戸黄聖巾等共に五名有り。太丁地方に往到し、海船を新造す。還郷するの時、洋中にて陡かに逆風に遭い、本国属の大島地方に飄到す。各々該地方官、収養して護送し、中山泊村地方に来到す。均しく到るの日に、各々向例に照らし館に発りて安頓し、廩餼・衣服等の項を給与す。部文内の奉旨の事理に欽遵し、収養して解送す。
茲に特に都通事孫光裕等を遣わし、海船一隻に坐駕し梢役共に六十七員名を率領し、前みて閩省に至らしむ。
所有の差去せる員役は、文憑無ければ、以て各処の官軍の阻留して便ならざるを致すを恐る。此れが為に王府の礼字第二百三十九号の半印勘合の執照一道を給発し、都通事孫光裕等に付し、収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海巡哨の官軍の験実に遇えば、即便に放行し、留難して遅滞するを得る毋からしめよ。須らく執照に至るべき者なり。
計開
被風の中国難商船戸洪振利 舵工洪光賛
出海林虞 親丁葉淵
阿班曽明 頭椗洪頓
舵尞洪咸章 杉板洪徳
摠哺馮珪 押工陳観
水手呉祐 陳蘭
石珠 洪別
洪聡明 林栽
蔡登 葉甚
洪来 洪天
林係 洪尚
洪猪 林𠈙
洪甫 陳文
洪勝 陳転
洪郁 客商蔡標亮
李廷棟 黄智
蔡英利 □応雄
魏九 蔡世光
魏媽顧 尤註
以上、共計三十八名
被風の朝鮮国難人船戸黄聖巾
舵工梁永沢 水梢金光福
李源芳 李光福
以上、共計五名
護送都通事一員 孫光裕 人伴四名
司養贍大使一員 呂崇憲 人伴四名
管船夥長・直庫二名 魏受祐 柳作楫
水梢共に五十五名
右、執照は都通事孫光裕等に附し、此れを准けしむ
道光五年(一八二五)八月初三日
注(1)摠哺 総哺とも。炊事係。
(2)呂崇憲 道光五年護送船の司養贍大使として福建に赴くが病故。
(3)魏受祐 道光五年護送船の管船夥長。