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資料詳細
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- 資料種別
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
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- タイトル
- 中国暦
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- 西暦
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- 曜日
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
2-140-06 国王尚灝の、接貢のため存留通事鄭良弼等に付した執照(道光五《一八二五》、八、三)
琉球国中山王尚(灝)、勅書を恭迎し、併びに使臣を接回せんが事の為にす。
照得したるに、本爵、業に道光四年秋に貢使耳目官向廷楷・正議大夫梁光地等を遣わし、表章・方物を齎捧し、天朝に入貢す。経に本爵、福建等処承宣布政使司に移咨し、起送して京に赴かしめ、聖禧を叩祝せしめて案に在り。
茲に還国の期に当たり、例として応に船を撥りて接回すべし。此れが為に特に都通事毛超叙等を遣わし、梢役共に八十九員名を帯領し、海船一隻に坐駕し、前みて福建に至らしむ。皇上の勅書・欽賜の幣帛を恭迎し、併びに京回の使臣向廷楷・梁光地・梁文献と在閩の存留通事林奕海等を接えて還国せしめんとす。
但だ差わす所の員役は、文憑無ければ、以て各処の官軍の阻留して便ならざるを致すを恐る。此れが為に王府の礼字第二百三十八号の半印勘合の執照一道を給発し、存留通事鄭良弼等に付し、収執して前去せしむ。凡そ遇う所の関津及び沿海巡哨の官軍は、験実して即便に放行し、留難して阻滞するを得る毋からしめよ。須らく執照に至るべき者なり。
計開
在船都通事一員 毛超叙 人伴四名
在船使者二員 蔡謨/馬世忠 人伴八名
存留通事一員 鄭良弼 人伴六名
管船夥長・直庫二名 蔡景福 楊維順
水梢共に六十五名
右、執照は存留通事鄭良弼等に付し、此れを准けしむ
道光五年(一八二五)八月初三日
注(1)鄭良弼 乾隆五十四~咸豊元年(一七八九~一八五一)。久米村系鄭氏(真栄里家)九世。世名城親雲上。道光元年都通事、八年中議大夫、十七年正議大夫、同年申口座、十八年紫金大夫に陞る。嘉慶十九年学書ならびに律書習礼のため閩に赴き、二十三年帰国。道光五年接貢の存留通事、十七年冊封使迎接の正議大夫となる。道光四年高嶺間切仲城(真栄里)地頭職を授かる(『家譜(二)』六九七頁)。
(2)蔡謨 瀬名波里之子親雲上(『家譜(二)』三三一頁、蔡景福の譜)。道光五年進貢の在船使者。『宝案』では嘉慶二十二年護送船の司養贍大使としても名がみえる(巻一二二)。
(3)馬世忠 乾隆四十六~道光九年(一七八一~一八二九)。首里系馬氏十二世良典。嘉慶七年黄冠を頂戴。道光五年接貢の在船使者、八年進貢の在船使者となる(『馬姓家譜 支流 十一世宮平里之子良安』)。
(4)蔡景福 乾隆三十五~道光十七年(一七七〇~一八三七)。久米村系蔡氏(仲井真家)。宮城里之子親雲上。乾隆六十年通事に陞る。道光五年接貢の管船火長(『家譜(二)』三三一頁)。
(5)楊維順 道光五年接貢の管船直庫。『宝案』ではほかに道光九年の管船直庫として名がみえる(巻一四九)。
琉球国中山王尚(灝)、勅書を恭迎し、併びに使臣を接回せんが事の為にす。
照得したるに、本爵、業に道光四年秋に貢使耳目官向廷楷・正議大夫梁光地等を遣わし、表章・方物を齎捧し、天朝に入貢す。経に本爵、福建等処承宣布政使司に移咨し、起送して京に赴かしめ、聖禧を叩祝せしめて案に在り。
茲に還国の期に当たり、例として応に船を撥りて接回すべし。此れが為に特に都通事毛超叙等を遣わし、梢役共に八十九員名を帯領し、海船一隻に坐駕し、前みて福建に至らしむ。皇上の勅書・欽賜の幣帛を恭迎し、併びに京回の使臣向廷楷・梁光地・梁文献と在閩の存留通事林奕海等を接えて還国せしめんとす。
但だ差わす所の員役は、文憑無ければ、以て各処の官軍の阻留して便ならざるを致すを恐る。此れが為に王府の礼字第二百三十八号の半印勘合の執照一道を給発し、存留通事鄭良弼等に付し、収執して前去せしむ。凡そ遇う所の関津及び沿海巡哨の官軍は、験実して即便に放行し、留難して阻滞するを得る毋からしめよ。須らく執照に至るべき者なり。
計開
在船都通事一員 毛超叙 人伴四名
在船使者二員 蔡謨/馬世忠 人伴八名
存留通事一員 鄭良弼 人伴六名
管船夥長・直庫二名 蔡景福 楊維順
水梢共に六十五名
右、執照は存留通事鄭良弼等に付し、此れを准けしむ
道光五年(一八二五)八月初三日
注(1)鄭良弼 乾隆五十四~咸豊元年(一七八九~一八五一)。久米村系鄭氏(真栄里家)九世。世名城親雲上。道光元年都通事、八年中議大夫、十七年正議大夫、同年申口座、十八年紫金大夫に陞る。嘉慶十九年学書ならびに律書習礼のため閩に赴き、二十三年帰国。道光五年接貢の存留通事、十七年冊封使迎接の正議大夫となる。道光四年高嶺間切仲城(真栄里)地頭職を授かる(『家譜(二)』六九七頁)。
(2)蔡謨 瀬名波里之子親雲上(『家譜(二)』三三一頁、蔡景福の譜)。道光五年進貢の在船使者。『宝案』では嘉慶二十二年護送船の司養贍大使としても名がみえる(巻一二二)。
(3)馬世忠 乾隆四十六~道光九年(一七八一~一八二九)。首里系馬氏十二世良典。嘉慶七年黄冠を頂戴。道光五年接貢の在船使者、八年進貢の在船使者となる(『馬姓家譜 支流 十一世宮平里之子良安』)。
(4)蔡景福 乾隆三十五~道光十七年(一七七〇~一八三七)。久米村系蔡氏(仲井真家)。宮城里之子親雲上。乾隆六十年通事に陞る。道光五年接貢の管船火長(『家譜(二)』三三一頁)。
(5)楊維順 道光五年接貢の管船直庫。『宝案』ではほかに道光九年の管船直庫として名がみえる(巻一四九)。