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資料詳細
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- 資料種別
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
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- タイトル
- 中国暦
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- 西暦
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- 曜日
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
2-135-07 国王尚灝の、接貢のため存留通事林常裕等に付した執照(道光三《一八二三》、八、十五)
琉球国中山王尚(灝)、勅書を恭迎し、併びに使臣を接回せんが事の為にす。
照得したるに、本爵、業に道光二年秋に貢使耳目官毛樹徳・正議大夫王士惇等を遣わし、表章・方物を齎捧し、天朝に入貢す。経に本爵、福建等処承宣布政使司に移咨し、起送して京に赴かしめ、聖禧を叩祝せしめて案に在り。
茲に還国の期に当たり、例として応に船を撥りて接回すべし。此れが為に特に都通事陳有憲等を遣わし、梢役共に八十九員名を帯領し、海船一隻に坐駕し、前みて福建に至らしむ。皇上の勅書・欽賞の幣帛を恭迎し、併びに京回の使臣毛樹徳・王士惇・鄭択中と在閩の存留通事梁孝徳等を接えて還国せしめんとす。
但だ差わす所の員役は、文憑無ければ、以て各処の官軍の阻留して便ならざるを致すを恐る。此れが為に王府の礼字第二百三十号の半印勘合の執照一道を給発し、存留通事林常裕等に付し、収執して前去せしむ。凡そ遇う所の関津及び沿海巡哨の官軍は、験実して即便に放行し、留難して阻滞するを得る毋からしめよ。須らく執照に至るべき者なり。
計開
在船都通事一員 陳有憲 人伴四名
在船使者二員 馬超萃/向国枢 人伴八名
存留通事一員 林常裕 人伴六名
管船夥長・直庫二名 金思恭 平承心
水梢共に六十五名
右、執照は存留通事林常裕等に付し、此れを准けしむ
道光三年(一八二三)八月十五日
注(1)林常裕 乾隆五十三~道光二十一年(一七八八~一八四一)。久米村系林氏(名嘉山)十四世。名嘉山親雲上。嘉慶十六年通事、二十三年都通事、道光八年中議大夫、十八年正議大夫、十九年申口座に陞る。道光三年接貢の存留通事、十年進貢二号船の都通事、十四年進貢の朝京都通事、二十年進貢の正議大夫となる。嘉慶七年知行高十五石、道光二十年越来間切名嘉山の名嶋を授かる(『家譜(二)』九二七頁)。
(2)馬超萃 道光三年接貢の在船使者。
(3)向国枢 道光三年接貢の在船使者。『宝案』では道光六年進貢兼謝恩の在船使者としても名がみえる(巻一四二)。
(4)金思恭 乾隆三十七~道光八年(一七七二~一八二八)。久米村系金氏(目取真家)十三世。嘉慶元年通事、道光四年遏達理官に陞る。道光三年接貢の管船火長となる(『家譜(二)』一三一頁)。
(5)平承心 道光三年接貢の管船直庫。
琉球国中山王尚(灝)、勅書を恭迎し、併びに使臣を接回せんが事の為にす。
照得したるに、本爵、業に道光二年秋に貢使耳目官毛樹徳・正議大夫王士惇等を遣わし、表章・方物を齎捧し、天朝に入貢す。経に本爵、福建等処承宣布政使司に移咨し、起送して京に赴かしめ、聖禧を叩祝せしめて案に在り。
茲に還国の期に当たり、例として応に船を撥りて接回すべし。此れが為に特に都通事陳有憲等を遣わし、梢役共に八十九員名を帯領し、海船一隻に坐駕し、前みて福建に至らしむ。皇上の勅書・欽賞の幣帛を恭迎し、併びに京回の使臣毛樹徳・王士惇・鄭択中と在閩の存留通事梁孝徳等を接えて還国せしめんとす。
但だ差わす所の員役は、文憑無ければ、以て各処の官軍の阻留して便ならざるを致すを恐る。此れが為に王府の礼字第二百三十号の半印勘合の執照一道を給発し、存留通事林常裕等に付し、収執して前去せしむ。凡そ遇う所の関津及び沿海巡哨の官軍は、験実して即便に放行し、留難して阻滞するを得る毋からしめよ。須らく執照に至るべき者なり。
計開
在船都通事一員 陳有憲 人伴四名
在船使者二員 馬超萃/向国枢 人伴八名
存留通事一員 林常裕 人伴六名
管船夥長・直庫二名 金思恭 平承心
水梢共に六十五名
右、執照は存留通事林常裕等に付し、此れを准けしむ
道光三年(一八二三)八月十五日
注(1)林常裕 乾隆五十三~道光二十一年(一七八八~一八四一)。久米村系林氏(名嘉山)十四世。名嘉山親雲上。嘉慶十六年通事、二十三年都通事、道光八年中議大夫、十八年正議大夫、十九年申口座に陞る。道光三年接貢の存留通事、十年進貢二号船の都通事、十四年進貢の朝京都通事、二十年進貢の正議大夫となる。嘉慶七年知行高十五石、道光二十年越来間切名嘉山の名嶋を授かる(『家譜(二)』九二七頁)。
(2)馬超萃 道光三年接貢の在船使者。
(3)向国枢 道光三年接貢の在船使者。『宝案』では道光六年進貢兼謝恩の在船使者としても名がみえる(巻一四二)。
(4)金思恭 乾隆三十七~道光八年(一七七二~一八二八)。久米村系金氏(目取真家)十三世。嘉慶元年通事、道光四年遏達理官に陞る。道光三年接貢の管船火長となる(『家譜(二)』一三一頁)。
(5)平承心 道光三年接貢の管船直庫。