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資料詳細
- 資料ID.
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- 資料種別
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
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- タイトル
- 中国暦
- {{ryu_data.f17}}年 {{ryu_data.f18}}月 {{ryu_data.f19}}日
- 西暦
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- 曜日
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
2-109-25 国王尚灝の、進貢のため都通事鄭克新等に付した符文(嘉慶十五《一八一〇》)
琉球国中山王尚(灝)、進貢せんが事の為にす。
照得したるに、本爵は世々天朝の洪恩に沐し、会典に遵依し二年一次す。欽遵して案に在り。
茲に嘉慶十五年の貢期に当たり、特に耳目官向国柱・正議大夫蔡肇業・都通事鄭克新等を遣わし、表章・方物を齎捧し、梢役共に二百員名を過ぎざるを率領し、海船二隻に坐駕し、常貢の煎熟硫黄一万二千六百觔・紅銅三千觔・煉熟白剛錫一千觔を装運するの外、旨を奉じて入監読書するの官生陳善継等四員、跟伴四名を率領し、更に貢する所の囲屏紙三千張・細嫩蕉布五十疋等の物を装載し、前みて福建等処承宣布政使司に至りて投納し、起送して京に赴かしめ、聖禧を叩祝せしめんとす。
所有の差去せる員役は、文憑無ければ、各処の官軍の阻留して便ならざるを恐る。此れが為に王府、礼字第一百九十六号の半印勘合の符文一道を給発し、都通事鄭克新等に付して、収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海巡哨の官軍の験実に遇えば、即便に放行し、留難して遅悞するを得る毋からしめよ。須らく符文に至るべき者なり。
計開
正使耳目官一員 向国柱 人伴一十二名
副使正議大夫一員 蔡肇業 人伴一十二名
朝京都通事一員 鄭克新 人伴七名
在船都通事二員 蔡廷翼/ 蔡肇基 人伴八名
在船使者四員 顧庭器 麻容徳/向元鳳 毛国樑 人伴一十六名
存留通事一員 毛超叙 人伴六名
在船通事一員 紅日昂 人伴四名
官生 四人 陳善継 毛世輝/馬執宏 梁元枢 人伴四名
管船夥長・直庫 四名 陳世功 善開基/蔡献図 善得福
水梢共に一百二十名
右、符文は都通事鄭克新等に付し、此れを准けしむ
嘉慶十五年(一八一〇)
注(1)率領 率いる。
(2)細嫩蕉布 若い芭蕉からとった細い糸で織った芭蕉布。「細嫩土蕉布」ともいう。
(3)符文 琉球側が京師に赴く朝貢使節に対して発給した証明書。
(4)収執 受け取る。
(5)験実 調べて事実かどうか確かめる。
(6)放行 解放して通行させる。
(7)遅悞 遅れて予定の期日に間に合わない。
(8)蔡廷翼 『宝案』では嘉慶九年の在船都通事としても名がみえる(巻九八)。
(9)顧庭器 嘉慶十五年の在船使者。
(10)麻容徳 嘉慶十五年の在船使者。
(11)向元鳳 嘉慶十五年の在船使者。
(12)毛国樑 嘉慶十五年の在船使者。
(13)毛超叙 久米系毛氏、奥間里之子親雲上、のち喜久山親雲上。『宝案』では嘉慶十五年(一八一〇)存留通事、道光五年(一八二五)接貢の都通事として名がみえ、同十四年報喪使の正議大夫として中国に渡っている(『家譜(二)』蔡景福の譜・三三一頁、毛汝霖の譜・七二八頁)。
(14)紅日昂 乾隆十~道光六年(一七四五~一八二六)。久米系紅氏(和宇慶家)十二世。伊差川親雲上。乾隆五十二年接貢船の総管として福建に赴き、嘉慶二年読書師匠、同五年系正、八年惣与頭、嘉慶十五年進貢二号船の脇通事となる。嘉慶二年都通事、二十一年中議大夫に陞る(『家譜(二)』二三一頁)。
(15)執宏 台湾本では「宏梁」とあるが、官生派遣の執照である〔一〇九‒二八〕、『世譜』には「執宏」とあり、訂正した。
(16)枢 校訂本では「厝」だが、台湾本〔一〇九-二八〕、『世譜』では「樞(枢)」とあり訂正した。
(17)陳世功 嘉慶十五年の管船夥長。
(18)善開基 『宝案』では嘉慶八・十・十三年の管船直庫としても名がみえる(巻九六・九九・一〇四)。
(19)蔡献図 嘉慶十五年の管船夥長。
(20)善得福 『宝案』では嘉慶十七・十九・二十三・二十五年の管船直庫としても名がみえる(巻一一三・一一六・一二四・一二八)。
琉球国中山王尚(灝)、進貢せんが事の為にす。
照得したるに、本爵は世々天朝の洪恩に沐し、会典に遵依し二年一次す。欽遵して案に在り。
茲に嘉慶十五年の貢期に当たり、特に耳目官向国柱・正議大夫蔡肇業・都通事鄭克新等を遣わし、表章・方物を齎捧し、梢役共に二百員名を過ぎざるを率領し、海船二隻に坐駕し、常貢の煎熟硫黄一万二千六百觔・紅銅三千觔・煉熟白剛錫一千觔を装運するの外、旨を奉じて入監読書するの官生陳善継等四員、跟伴四名を率領し、更に貢する所の囲屏紙三千張・細嫩蕉布五十疋等の物を装載し、前みて福建等処承宣布政使司に至りて投納し、起送して京に赴かしめ、聖禧を叩祝せしめんとす。
所有の差去せる員役は、文憑無ければ、各処の官軍の阻留して便ならざるを恐る。此れが為に王府、礼字第一百九十六号の半印勘合の符文一道を給発し、都通事鄭克新等に付して、収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海巡哨の官軍の験実に遇えば、即便に放行し、留難して遅悞するを得る毋からしめよ。須らく符文に至るべき者なり。
計開
正使耳目官一員 向国柱 人伴一十二名
副使正議大夫一員 蔡肇業 人伴一十二名
朝京都通事一員 鄭克新 人伴七名
在船都通事二員 蔡廷翼/ 蔡肇基 人伴八名
在船使者四員 顧庭器 麻容徳/向元鳳 毛国樑 人伴一十六名
存留通事一員 毛超叙 人伴六名
在船通事一員 紅日昂 人伴四名
官生 四人 陳善継 毛世輝/馬執宏 梁元枢 人伴四名
管船夥長・直庫 四名 陳世功 善開基/蔡献図 善得福
水梢共に一百二十名
右、符文は都通事鄭克新等に付し、此れを准けしむ
嘉慶十五年(一八一〇)
注(1)率領 率いる。
(2)細嫩蕉布 若い芭蕉からとった細い糸で織った芭蕉布。「細嫩土蕉布」ともいう。
(3)符文 琉球側が京師に赴く朝貢使節に対して発給した証明書。
(4)収執 受け取る。
(5)験実 調べて事実かどうか確かめる。
(6)放行 解放して通行させる。
(7)遅悞 遅れて予定の期日に間に合わない。
(8)蔡廷翼 『宝案』では嘉慶九年の在船都通事としても名がみえる(巻九八)。
(9)顧庭器 嘉慶十五年の在船使者。
(10)麻容徳 嘉慶十五年の在船使者。
(11)向元鳳 嘉慶十五年の在船使者。
(12)毛国樑 嘉慶十五年の在船使者。
(13)毛超叙 久米系毛氏、奥間里之子親雲上、のち喜久山親雲上。『宝案』では嘉慶十五年(一八一〇)存留通事、道光五年(一八二五)接貢の都通事として名がみえ、同十四年報喪使の正議大夫として中国に渡っている(『家譜(二)』蔡景福の譜・三三一頁、毛汝霖の譜・七二八頁)。
(14)紅日昂 乾隆十~道光六年(一七四五~一八二六)。久米系紅氏(和宇慶家)十二世。伊差川親雲上。乾隆五十二年接貢船の総管として福建に赴き、嘉慶二年読書師匠、同五年系正、八年惣与頭、嘉慶十五年進貢二号船の脇通事となる。嘉慶二年都通事、二十一年中議大夫に陞る(『家譜(二)』二三一頁)。
(15)執宏 台湾本では「宏梁」とあるが、官生派遣の執照である〔一〇九‒二八〕、『世譜』には「執宏」とあり、訂正した。
(16)枢 校訂本では「厝」だが、台湾本〔一〇九-二八〕、『世譜』では「樞(枢)」とあり訂正した。
(17)陳世功 嘉慶十五年の管船夥長。
(18)善開基 『宝案』では嘉慶八・十・十三年の管船直庫としても名がみえる(巻九六・九九・一〇四)。
(19)蔡献図 嘉慶十五年の管船夥長。
(20)善得福 『宝案』では嘉慶十七・十九・二十三・二十五年の管船直庫としても名がみえる(巻一一三・一一六・一二四・一二八)。