琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ

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資料詳細

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著者等
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2-98-20 世孫尚灝の、進貢ならびに報喪のため、耳目官毛廷勷・正議大夫蔡邦錦等を派遣するむねの符文(嘉慶九《一八〇四》、八、十三)
琉球国中山王世孫尚(灝)、進貢の事の為にす。
照得するに、敝国は世々天朝の洪恩に沐す。会典に遵依して二年一貢なること、欽遵して案に在り。
茲に嘉慶九年の進貢の期に当たれば、特に耳目官毛廷勷・正議大夫鄭国鼎・都通事毛廷器等を遣わし、表章を齎捧し、海船二隻に坐駕し、官伴・水梢共に一百九十八員名を率領し、併びに報喪使の正議大夫蔡邦錦一員・跟伴一十二名を附搭し、共計二百十一員名なり。煎熟硫黄一万二千六百觔・紅銅三千觔・煉熟白剛錫一千觔を装運するの外、旨を奉じて入監して読書する官生毛邦俊等四員・跟伴四名を率領し、更に官生の貢する所の囲屏紙三千張・細嫩蕉布五十疋等の物を装載し、前みて福建等処承宣布政使司に至りて投納し、起送して京に赴きて聖禧を叩祝せんとす。
所有の差去せる員役は、文憑無ければ、以て各処の官軍の阻留して便ならざるを致すを恐る。此れが為に、王府の礼字第一百七十八号の半印勘合符文一道を給発し、都通事毛廷器等に付し、収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海巡哨の官軍の験実に遇えば、即便に放行し、留難して遅悞するを得ること毋からしめよ。須らく符文に至るべき者なり。
計開
耳目官一員    毛廷勷    人伴一十二名
正議大夫一員   鄭国鼎    人伴一十二名
正議大夫一員   蔡邦錦    人伴一十二名
朝京都通事一員 毛廷器    人伴七名
在船都通事二員 蔡廷翼/蔡次九     人伴八名
在船使者四員  毛栄輝 翁応禎/李光祖 向元鳳 人伴一十六名
存留通事一員  林興基    人伴六名
在船通事一員  金永隆    人伴四名
官生四員    毛邦俊 梁文翼/向邦正 楊徳昌 人伴四名
管船火長・直庫四名  金思斉 慶賜福/林文瑞 昂永泰
水梢共
右の符文は都通事毛廷器等に付し、此れを准けしむ
嘉慶九年(一八〇四)八月十三日

注(1)蔡廷翼 嘉慶九年進貢の在船都通事。『宝案』ではほかに嘉慶十五年進貢の在船都通事として名がみえる(巻一〇九)。
(2)蔡次九 久米村系蔡氏。我謝親雲上(『家譜(二)』二七〇頁、蔡修の譜)。嘉慶九年進貢の在船都通事。『宝案』ではほかに嘉慶二年接貢の存留通事(巻八六)、十六年接貢の在船都通事(巻一一一)、二十一年進貢の副使正議大夫(巻一二三)としても名がみえる。
(3)毛栄輝 嘉慶九年進貢の在船使者。
(4)李光祖 嘉慶九年進貢の在船使者。
(5)翁応禎 嘉慶九年進貢の在船使者。『宝案』ではほかに嘉慶四年接貢の在船使者として名がみえる(巻八九)。
(6)向元鳳 嘉慶九年進貢の在船使者。『宝案』ではほかに嘉慶十五年進貢の在船使者として名がみえる(巻一〇九)。
(7)林興基 乾隆二十~道光六年(一七五五~一八二六)。久米村系林氏(平安座家)六世。松本親雲上。乾隆四十六年通事、五十九年都通事、嘉慶十一年中議大夫、道光元年正議大夫に陞る。嘉慶九年進貢の存留脇通事、十七年進貢の朝京都通事、二十五年進貢二号船の都通事を務めた。道光二年美里郡大村渠地頭職を授かる(『家譜(二)』八六三頁)。
(8)金永隆 久米村系金氏。古謝里之子親雲上(『家譜(二)』六八頁、金進の譜)。嘉慶九年進貢の在船通事。
(9)金思斉 乾隆三十五年(一七七〇)~?。久米村系金氏(安波連家)十二世。もとの名は金思温。温の字は禁止され斉に改め、のち慕に改める。乾隆六十年通事に陞り、嘉慶九年黄冠を戴く(『家譜(二)』八六頁)。嘉慶九年進貢の管船夥長。『宝案』ではほかに道光十六年の結状に中議大夫として名がみえる(巻一六三)。
(10)林文瑞 嘉慶九年進貢の管船夥長。
(11)昂永泰 嘉慶九年進貢の管船直庫。『宝案』ではほかに嘉慶十一年進貢の管船直庫として名がみえる(巻一〇一)。
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