{{ryu_data.f5}}
資料詳細
- 資料ID.
- {{ryu_data.f32}}
- 資料種別
- {{ryu_data.f5}}
- 資料名
- {{ryu_data.f7}}
- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
- {{ryu_data.f30}}
- タイトル
- 中国暦
- {{ryu_data.f17}}年 {{ryu_data.f18}}月 {{ryu_data.f19}}日
- 西暦
- {{ryu_data.f13}}年 {{ryu_data.f14}}月 {{ryu_data.f15}}日
- 曜日
- {{ryu_data.f16}}
- 差出
- {{ryu_data.f21}}
- 宛先
- {{ryu_data.f22}}
- 文書形式
- {{ryu_data.f26}}
- 書誌情報
- {{ryu_data.f27}}
- 関連サイト情報
- {{item.site}}
- 訂正履歴
- {{ryu_data.f24}}
- 備考
- {{ryu_data.f33}}
テキスト
2-96-10 世子尚成の、雇募の商船の送還のため都通事阮世晋等を派遣するむねの執照(嘉慶八《一八〇三》、八、七)
琉球国中山王世子尚(成)、雇募せる商船を送還する事の為にす。
切照するに、本国の二号貢船は、嘉慶七年夏、貢物を装載して前みて閩省に赴く。奈んせん洋に在りて遭風し、台湾外洋に飄到し、礁に衝りて壊船せり。該地方官、船を撥して官伴・水梢人等を撈救し、公所に安頓して閩省に転送す。業に貴司、両院に転詳し題するを請い、館駅に安挿し、優加して撫恤し、銀両を給発して商船を雇募するを蒙る。其の員役等を将て本国に駕回せんとす。此れが為に、特に都通事阮世晋等を遣わし、梢伴共に四十六員名を帯領し、本船に坐駕して入閩して送還せしむ。但だ海上の行船の往来は、専ら印信・執照を以て憑と為して通行せしむ。
今、差去せる員役は、文憑無ければ、以て各処の官軍の阻留して便ならざるを致すを恐る。此れが為に、王府の礼字第一百七十七号の半印勘合執照一道を給発し、都通事阮世晋等に付し、収執して前去せしむ。凡所の関津及び沿海巡哨の官軍の験実に遇えば、即便に放行し、留難して阻滞するを得ること毋からしめよ。須らく執照に至るべき者なり。
計開
在船都通事一員 阮世晋 人伴四名
在船使者一員 翁廷柱 人伴四名
管船夥長・直庫二名 毛修仁 得平安
水梢共に三十四名
右の執照は都通事阮世晋等に附し、此れを准けしむ
嘉慶八年(一八〇三)八月初七日
注(1)毛修仁 宇久村里之子親雲上(『世譜』)。嘉慶八年商船送還の管船夥長。
(2)得平安 嘉慶八年商船送還の管船直庫。
琉球国中山王世子尚(成)、雇募せる商船を送還する事の為にす。
切照するに、本国の二号貢船は、嘉慶七年夏、貢物を装載して前みて閩省に赴く。奈んせん洋に在りて遭風し、台湾外洋に飄到し、礁に衝りて壊船せり。該地方官、船を撥して官伴・水梢人等を撈救し、公所に安頓して閩省に転送す。業に貴司、両院に転詳し題するを請い、館駅に安挿し、優加して撫恤し、銀両を給発して商船を雇募するを蒙る。其の員役等を将て本国に駕回せんとす。此れが為に、特に都通事阮世晋等を遣わし、梢伴共に四十六員名を帯領し、本船に坐駕して入閩して送還せしむ。但だ海上の行船の往来は、専ら印信・執照を以て憑と為して通行せしむ。
今、差去せる員役は、文憑無ければ、以て各処の官軍の阻留して便ならざるを致すを恐る。此れが為に、王府の礼字第一百七十七号の半印勘合執照一道を給発し、都通事阮世晋等に付し、収執して前去せしむ。凡所の関津及び沿海巡哨の官軍の験実に遇えば、即便に放行し、留難して阻滞するを得ること毋からしめよ。須らく執照に至るべき者なり。
計開
在船都通事一員 阮世晋 人伴四名
在船使者一員 翁廷柱 人伴四名
管船夥長・直庫二名 毛修仁 得平安
水梢共に三十四名
右の執照は都通事阮世晋等に附し、此れを准けしむ
嘉慶八年(一八〇三)八月初七日
注(1)毛修仁 宇久村里之子親雲上(『世譜』)。嘉慶八年商船送還の管船夥長。
(2)得平安 嘉慶八年商船送還の管船直庫。