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資料詳細
- 資料ID.
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- 資料種別
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
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- タイトル
- 中国暦
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- 西暦
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- 曜日
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
(七五)永楽十三年十一月己酉(十六日) 琉球国中山王思紹の遣わす所の使臣直佳魯、法を犯して誅に坐す。遣使して勅を齎し、思紹を諭して曰く「比、王の遣わす所の直佳魯等来京し、朕之を優待す。還るに及び福建に至りて乃ち狂悖を肆にし、海船を擅奪し、官軍を殺死し、中官を殴傷し、其の衣物を奪う。直佳魯は首罪にして当に大辟に寘くべし。已に法司に命じて律の如くす。其れ阿勃馬結制等六十七人は之と同悪にして罪も亦た死に当るも、王の忠誠を眷み、特に遣帰し、王をして自ら治せしむ。自今、遣使するに宜しく之を戒約して朝憲を犯すこと毋かるべし」。