歴代宝案訳注本2-86-09 世孫尚温の、接貢のため都通事阮翼等を派遣するむねの執照(嘉慶二《一七九七》、八、十二)
資料詳細
- 資料ID.
- y2480
- 資料種別
- 歴代宝案訳注本
- 資料名
- 歴代宝案訳注本第7冊
- 歴代宝案巻号
- 2集 086巻 09号
- 著者等
- 濱下武志(訳注)
- タイトル
- 2-86-09 世孫尚温の、接貢のため都通事阮翼等を派遣するむねの執照(嘉慶二《一七九七》、八、十二)
- 中国暦
- 嘉慶2年 08月 12日
- 西暦
- 1797年 10月 01日
- 曜日
- 差出
- 【琉球】中山王(尚温)
- 宛先
- 文書形式
- 執照
- 書誌情報
- 濱下武志(訳注)、財団法人沖縄県文化振興会史料編集室(編)『歴代宝案 訳注本第7冊』沖縄県教育委員会、2009年
- 関連サイト情報
- 訂正履歴
- 訳注本第7冊、356頁下段後6行目 在留通事→存留通事(令和2年度歴代宝案編集委員会、2021年3月31日訂正)
- 備考
- ・本資料はCC BY-NDライセンスによって許諾されています。ライセンスの内容を知りたい方はhttps://creativecommons.org/licenses/by-nd/4.0/deed.jaでご確認ください。
テキスト
2-86-09 世孫尚温の、接貢のため都通事阮翼等を派遣するむねの執照(嘉慶二《一八九七》、八、十二)
琉球国中山王世孫尚(温)、勅書を恭迎し、併びに使臣を接回する事の為にす。
照得するに、敝国、業に嘉慶元年冬に於て王舅東邦鼎・正議大夫毛廷柱等を遣わし、表章・方物を齎捧し、天朝に入貢す。経に敝国、福建等処承宣布政使司に移咨し、起送して京に赴きて聖禧を叩祝すること案に在り。
茲に還国の期に当たれば、例として応に船を撥して接回すべし。此れが為に特に都通事阮翼等を遣わし、梢役共に八十九員名を帯領し、海船一隻に坐駕し、前みて福建に至りて皇上の勅書・欽賞の幣帛を恭迎し、併びに京回の使臣東邦鼎・毛廷柱・梁煥を接り、閩に在るの存留通事王成達等と与に還国せしむ。
但だ差する所の員役は、文憑無ければ、以て各処の官軍の阻留して便ならざるを致すを恐る。此れが為に王府、礼字第一百五十八号の半印勘合執照一道を給発し、存留通事蔡次九等に付して収執して前去せしむ。凡所の関津及び沿海の巡哨官軍の験実に遇えば、即便に放行せしめ、留難して阻滞するを得ること毋からしめよ。須らく執照に至るべき者なり。
計開
在船都通事一員 阮翼 跟伴四名
在船使者二員 夏廷璋/思世亮 跟伴八名
存留通事一員 蔡次九 跟伴六名
管船夥長・直庫二名 王秉謙 昂永基
水梢共に六十五名
右の執照は存留通事蔡次九等に付し、此れを准けしむ
嘉慶二年(一七九七)八月十二日
注(1)還国の期 「還国之期」。原文は「還国□期」で一字虫損。校訂本は頭注で虫損部分を「日カ」とするも「之」か。
(2)蔡次九 嘉慶二年の存留通事。久米系蔡氏。我謝親雲上(『家譜(二)』二七〇頁、蔡修の譜)。『宝案』では嘉慶九年在船都通事、十六年接貢の都通事、二十一年正議大夫として名がみえる。
(3)王秉謙 一七六一(乾隆二十六)~? 久米系王氏(小渡家)七世。小渡里之子親雲上。嘉慶二年接貢船の火長、二十三年存留通事、道光三年、前年の進貢二号船が損壊し帰国のさいに中国の商船を借用したことからその返船都通事、九年には接貢の都通事として中国に渡る。道光十年正議大夫、十一年に申口座に陞る。十五年今帰仁間切仲宗根地頭となる(『家譜(二)』九頁)。
琉球国中山王世孫尚(温)、勅書を恭迎し、併びに使臣を接回する事の為にす。
照得するに、敝国、業に嘉慶元年冬に於て王舅東邦鼎・正議大夫毛廷柱等を遣わし、表章・方物を齎捧し、天朝に入貢す。経に敝国、福建等処承宣布政使司に移咨し、起送して京に赴きて聖禧を叩祝すること案に在り。
茲に還国の期に当たれば、例として応に船を撥して接回すべし。此れが為に特に都通事阮翼等を遣わし、梢役共に八十九員名を帯領し、海船一隻に坐駕し、前みて福建に至りて皇上の勅書・欽賞の幣帛を恭迎し、併びに京回の使臣東邦鼎・毛廷柱・梁煥を接り、閩に在るの存留通事王成達等と与に還国せしむ。
但だ差する所の員役は、文憑無ければ、以て各処の官軍の阻留して便ならざるを致すを恐る。此れが為に王府、礼字第一百五十八号の半印勘合執照一道を給発し、存留通事蔡次九等に付して収執して前去せしむ。凡所の関津及び沿海の巡哨官軍の験実に遇えば、即便に放行せしめ、留難して阻滞するを得ること毋からしめよ。須らく執照に至るべき者なり。
計開
在船都通事一員 阮翼 跟伴四名
在船使者二員 夏廷璋/思世亮 跟伴八名
存留通事一員 蔡次九 跟伴六名
管船夥長・直庫二名 王秉謙 昂永基
水梢共に六十五名
右の執照は存留通事蔡次九等に付し、此れを准けしむ
嘉慶二年(一七九七)八月十二日
注(1)還国の期 「還国之期」。原文は「還国□期」で一字虫損。校訂本は頭注で虫損部分を「日カ」とするも「之」か。
(2)蔡次九 嘉慶二年の存留通事。久米系蔡氏。我謝親雲上(『家譜(二)』二七〇頁、蔡修の譜)。『宝案』では嘉慶九年在船都通事、十六年接貢の都通事、二十一年正議大夫として名がみえる。
(3)王秉謙 一七六一(乾隆二十六)~? 久米系王氏(小渡家)七世。小渡里之子親雲上。嘉慶二年接貢船の火長、二十三年存留通事、道光三年、前年の進貢二号船が損壊し帰国のさいに中国の商船を借用したことからその返船都通事、九年には接貢の都通事として中国に渡る。道光十年正議大夫、十一年に申口座に陞る。十五年今帰仁間切仲宗根地頭となる(『家譜(二)』九頁)。
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