琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ

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資料詳細

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2-75-24 国王尚穆の、接貢のため都通事王三秀等を派遣するむねの執照(乾隆五十四《一七八九》)
琉球国中山王尚(穆)、勅書を恭迎し、併びに使臣を接回する事の為にす。
照得するに、本爵、業に乾隆五十三年冬に於て貢使紫巾官向処中・正議大夫鄭永功等を遣わし、表章・方物を齎捧して天朝に入貢す。経に本爵、福建等処承宣布政使司に移咨して起送して京に赴きて聖禧を叩祝せんとして案に在り。茲に還国の期に当たれば、例として応に船を撥して接回すべし。此れが為に特に都通事王三秀等を遣わし、梢役共に八十九員名を帯領し、海船一隻に坐駕し、前みて福建に至りて皇上の勅書・欽賞の幣帛を恭迎し、併びに京回の使臣向処中・鄭永功・鄭作霖を接り、在閩の存留通事曾謨等と与に還国せしむ。
但だ差する所の員役は、文憑無ければ、以て各処の官軍の阻留して便ならざるを致すを恐る。此れが為に王府、礼字第一百三十九号の半印勘合執照一道を給発し、存留通事魏廷玉等に付し収執して前去せしむ。凡所の関津及び沿海の巡哨官軍の験実に遇えば、即便に放行して留難して阻滞するを得ること毋からしめよ。須らく執照に至るべき者なり。
計開
在船都通事一員 王三秀     跟伴四名
在船使者二員  東日升/向士傑 跟伴八名
存留通事一員  魏廷玉     跟伴六名
管船夥長・直庫二名 紅居良接戴景安
水梢共六十五名
右の執照は存留通事魏廷玉等に付し、此れを准けしむ
乾隆五十四年(一七八九)

注(1)幣 校訂本は「弊」だが「台湾本」は「幣」。
(2)放 校訂本は「於」だが「放」か。
(3)東日升 乾隆五十四年の在船使者。安仁屋里之子親雲上政教(『家譜(二)』二二三頁、紅居温の譜)。
(4)向士傑 伊是名里之子親雲上。乾隆五十四年・五十九年の在船使者(官舎)(『家譜(二)』四〇〇頁、曾謨の譜)。官舎は進貢の際、薩摩から委託されて購入した物品を薩摩へ届ける責任者でもあった。五十四年の都通事曾謨の譜には、帰国の際、奄美大島に漂着したため琉球に帰る船とは別に、「因循旧例以一番方公物分載太〈ママ〉和船二隻派撥官舎向士傑伊是名里之子親雲上大文豊承祐翁長里之子親雲上等押運公物従彼地直赴麑府投納」とあって、漂着地の大島から薩摩へ直接「御糸荷」(薩摩藩の委託で購入した物品)を届けたことがわかる。
(5)魏廷玉 乾隆五十四年の存留通事。奥濱親雲上(『家譜(二)』六七頁、金遵の譜)。
(6)紅居良 紅居温、のちに居良と改めた。一七四七~一八三二年(乾隆十二~道光十二)。久米系紅氏(和宇慶家)十三世。乾隆五十一年読書習礼のため福建に赴き、翌年帰国。五十四年接貢の総官(夥長)、嘉慶二十一年進貢小唐船の脇通事として中国に渡る。道光八年正議大夫、九年申口座に陞る(『家譜(二)』二二二頁)。
(7)接 校訂本通りだが、人名の一部だとするとあわない。
(8)戴景安 乾隆五十四年の直庫。昂永基の家譜に乾隆五十四年接貢船の船頭として東村嫡子我部筑登之親雲上の名があり、昂永基山田筑登之親雲上とともに譜代家の家譜を請願して認められている(『家譜(四)』二一五頁、昂永基の譜)。『氏集』には「戴景安 我部筑登之親雲上保昌」の名がみえ、これに該当するか。「戴」の字、原文は虫損、校訂本頭注で「載カ」とするも「戴」か。
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