琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ

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資料詳細

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2-48-21 国王尚穆の、進貢のため耳目官向廷器等を派遣するむねの符文(乾隆二十九《一七六四》、十一、二十五)
琉球国中山王尚(穆)、進貢の事の為にす。
照得するに、本爵は世々天朝の洪恩に沐し、貢典に遵依して二年一貢を欽遵せしこと案に在り。茲に乾隆二十九年進貢の期に当たれば、特に耳目官向廷器・正議大夫鄭秉和・都通事阮超叙等を遣わし、表咨を齎捧し、海船二隻に坐駕し、官伴・水梢共に二百を過ぎざるの員名を率領し、常貢の煎熟硫黄一万二千六百觔・紅銅三千觔・煉熟白剛錫一千觔を装運し、両船に分載す。一船は礼字第八十七号にして、煎熟硫黄六千三百觔・紅銅一千五百觔・煉熟白剛錫五百觔を装載し、一船は礼字第八十八号にして、煎熟硫黄六千三百觔・紅銅一千五百觔・煉熟白剛錫五百觔を装載し、前みて福建等処承宣布政使司に至りて投納し、起送して京に赴きて聖禧を叩祝せんとす。所有の差去せる員役は、文憑無ければ、各処の官軍の阻留して便ならざるを恐る。此れが為に理として合に符文を給発すべし。
今、王府、礼字第八十六号の半印勘合の符文を給し、都通事阮超叙等に附して収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海の巡哨の官軍の験実に遇えば、即便に放行して留難して遅悞するを得る毋かれ。須らく符文に至るべき者なり。
計開、京に赴く
正使耳目官一員  向廷器 人伴一十二名
副使正議大夫一員  鄭秉和 人伴一十二名
都通事一員      阮超叙 人伴七名
在船都通事二員 程容光/毛景成 人伴八名
在船使者四員 向俊 向宣烈/阿応禎 向全勲  人伴一十六名
存留通事一員 金文雄 人伴六名
在船通事一員 梁国琬 人伴四名

管船火長・直庫四名 毛元龍 馬永烈/阮民儀 安能慮
水梢共に一百十九名
右の符文は、都通事阮超叙等に付し、此れを准ず
乾隆二十九年十一月二十五日 給す

注(1)程容光 康煕五十四~乾隆五十二(一七一五~八七)。久米村程氏(名護家)八世。名護親雲上。雍正十三年に名護間切惣地頭となる。乾隆二十九年中議大夫、四十五年正議大夫、乾隆二十九年に在船都通事、四十二年にも接貢都通事として中国に赴いている。乾隆四十一年には久米村長史、五十一年に紫金大夫に陞る(『家譜(二)』五六一頁)。
(2)向宣烈 『宝案』では他に乾隆三十七年の在船使者として名がみえる。
(3)向全勲 曾謨の家譜に乾隆三十六年の才府喜久山親雲上として名がみえる(『家譜(二)』四〇〇頁)が、同一か。
(4)梁国琬 外間通事親雲上(林日新の譜、『家譜(二)』九二七頁)。『宝案』では他に乾隆三十八年、四十六年の在船都通事として名がみえる。
1949

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