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資料詳細
- 資料ID.
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- 資料種別
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
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- タイトル
- 中国暦
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- 西暦
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- 曜日
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
(八)永楽二年四月壬午(十二日) 詔して汪応祖を封じて琉球国山南王と為す。応祖は故琉球山南王承察度の従弟なり。承察度は子無く、臨終に応祖に命じて国事を摂らしむ。能く其の国人を撫し、歳々に職貢を修む。是に至り隗谷結制等を遣使し来朝して方物を貢す。且つ奏して山北王の例の如く冠帯・衣服を賜わんことを乞う。上、吏部尚書蹇義に諭して曰く「国は必ず統有り、衆は必ず属有り。既に能く大に事え又能く衆を撫し、且つ旧王の属する所の意なり。宜しく言う所に従いて以て遠人を安んずべし」。遂に遣使して詔を齎して之を封じ、并びに之に冠帯等の物を賜いて其の使と偕に倶に還らしむ。