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資料詳細
- 資料ID.
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- 資料種別
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
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- タイトル
- 中国暦
- {{ryu_data.f17}}年 {{ryu_data.f18}}月 {{ryu_data.f19}}日
- 西暦
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- 曜日
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
(六)永楽二年(一四〇四)二月壬辰(二十一日) 琉球国中山王世子武寧、姪三吾良亹等を遣わし、其の王察度の卒するを以て来りて訃を告げしむ。礼部に命じ遣使して之を祭り、賻するに布帛を以てし、遂に武寧に詔して襲爵せしむ。詔して曰く「聖王の治は万邦を協和し、継承の道は常典に率由す。故琉球国中山王察度、命を皇考太祖高皇帝に受けて東藩を作屏し臣節を克修す。朕の即位に曁び率先して帰誠す。今既に亡歿すれば宜しく後有るべき所なり。爾武寧は乃ち其の世子なり。特に爾を封じて琉球国中山王と為し、以て厥の世を承けしむ。惟だ倹以て身を修め、敬以て徳を養い、忠以て上に事え、仁以て下を撫し、克く茲の道に循いて海邦を作鎮し永く世祚を延べよ。欽めや」。