琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ

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資料詳細

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2-19-09 国王尚敬の、進貢のため都通事鄭秉哲等に付した符文(雍正十《一七三二》、十、二十四)
琉球国中山王尚(敬)、進貢の事の為にす。
照得するに、敝国、世々天朝の洪恩に沐し、貢典に遵依して二年一次すること、欽遵して案に在り。査するに、雍正十年は乃ち進貢の期に当たれば、特に耳目官温思明・正議大夫鄭儀・都通事鄭秉哲等を遣わし、表咨を齎捧し、海船二隻に坐駕し、官伴・水梢共に二百員名を過ぎざるを率領し、常貢の煎熟硫黄一万二千六百觔・紅銅三千觔・煉熟白剛錫一千觔を装運し、両船に分載す。一船は礼字第二十二号、煎熟硫黄六千三百觔・紅銅一千五百觔・煉熟白剛錫五百觔を装載す。一船は礼字第二十三号、煎熟硫黄六千三百觔・紅銅一千五百觔・煉熟白剛錫五百觔を装載す。前みて福建等処承宣布政使司に至りて投納し、起送して京に赴き、聖禧を叩祝せんとす。
所拠の差去せる員役は、文憑無ければ、各処の官軍の阻留して便ならざるを恐る。此れが為に理として合に符文を給発し、以て通行に便ならしむべし。今、王府、礼字第二十一号の半印勘合符文を給し、都通事鄭秉哲等に付して収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海の巡哨官軍の験実に遇えば、即便に放行し、留難して遅悞するを得る毋かれ。須らく符文に至るべき者なり。
計開す、京に赴く
正使耳目官一員   温思明     跟伴一十二名
副使正議大夫一員  鄭儀      跟伴一十二名
都通事一員     鄭秉哲     跟伴七名
在船都通事二員   鄭国陳/王裕之      跟伴八名
在船使者四員  東景仁 姚元孝/向邦俊 虞廷龍  跟伴一十六名
存留通事一員    蔡宏謨     跟伴六名
在船通事一員    阮昌祖     跟伴四名
管船夥長・直庫四名  金節 馬利渉/孫有睿 司得功
右の符文は都通事鄭秉哲等に付し、此れを准ず
雍正十年(一七三二)十月二十四日 給す

注(1)鄭国陳 生没年不詳。宮城通事親雲上(『家譜(二)』九二五頁、林永隆の譜)。『宝案』では康熙五十五年の管船夥長(巻八)、雍正十年の在船都通事(巻一九)として名がみえる。なお『宝案』では「鄭国陳」とあるが、『那覇市史』第一巻九(京大「琉球資料」二一)と蔡墉の譜には「鄭国棟」とある。
(2)東景仁 生没年不詳。天願里之子親雲上政房(『家譜(二)』三四〇頁、蔡墉の譜)。『宝案』では雍正十年(巻一九)、乾隆三年(巻二二)の在船使者として名がみえる。
(3)姚元孝 雍正十年の在船使者。
(4)向邦俊 雍正十年の在船使者。
(5)虞廷龍 雍正十年の在船使者。
(6)蔡宏謨 生没年不詳。久米村系蔡氏十二世(武嶌家)。我謝親方。(『家譜(二)』九四四頁)。『宝案』では雍正十年の存留通事、乾隆五年の都通事(巻二四)、十年の護送都通事(巻二七)、十九年の正議大夫(巻三六)として名がみえる。また『球陽』には乾隆七年に初めて漢文組立役が設置され、鄭秉哲と共に表咨文並びに漢字諸公文等を撰修したとある。
(7)阮昌祖 康煕四十一~雍正十一年(一七〇二~三三)。久米村系阮氏六世(浜比嘉家)。津花波通事親雲上。雍正二年に読書習礼のため福建に赴く。七年、進貢の都通事程允升が病故したため、都通事の代理を務め、帰国後の九年に黄冠に陞る。十年の進貢の時には二号船の小通事となるが、帰国途中、烏頭で病故した(『家譜(二)』一七八頁)。
(8)金節 康熙四十六~乾隆四十年(一七〇七~七五)。久米村系金氏十二世(阿波連家)。豊里親雲上。乾隆二十九年正議大夫、三十七年申口座に陞る。雍正十年に管船夥長(大船総官)を務めた後、乾隆二年に読書習礼のため福建に赴く。七年の中国漂流民護送の総官、十五年に進貢の都通事、二十六年に中国漂流民の護送船の都通事を務めた(『家譜(二)』八三頁)。
(9)孫有睿 雍正十年の管船夥長。
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