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資料詳細
- 資料ID.
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- 資料種別
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
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- タイトル
- 中国暦
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- 西暦
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- 曜日
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
2-14-31 国王尚敬の、謝恩のため紫巾官向得功等を遣わすむねの符文(一七二五、一一、二〇)
琉球国中山王尚(敬)、謝恩の事の為にす。
切照するに、卑藩、雍正元年に于て恭んで王舅翁国柱等を遣わし、入京し慶賀せしめ、雍正二年冬に至り京に到る。皇恩浩蕩にして意を加えて撫恤するを蒙り、王舅翁国柱、旨を奉じて乾清宮に召見せらる。上、臣尚敬に御書の匾額の輯瑞球陽の四大字、並びに玉器・玻璃・法瑯・磁器・端硯・緞疋等の物、共に二十七件を賜う。又、王舅翁国柱に銀・緞二件を賜う。叨くも異数を蒙り、理として応に謝恩すべし。此の為に特に紫巾官向得功・正議大夫鄭士絢・都通事陳以栢等を遣わし、表章を齎捧し、官伴・梢役共に計一百二十員名を率領して海船一隻に坐駕し、方物の金鶴形一対、鶴踏銀岩坐各全・黒漆嵌螺五爪竜椀三十個・黒漆嵌螺五爪竜盤三十個・細嫩青花蕉布五十疋・細嫩白花蕉布五十疋・細嫩素光蕉布五十疋・精彩画囲屛一対・囲屛紙五千張・護寿紙五千張・精製雅扇二百把等を装載して解運し、前んで福建等処承宣布政使司に詣りて投納し、起送して京に赴かんとす。
拠りて差去する員役は並びに文憑無ければ、誠に所在の官軍の阻留して便ならざるを恐る。理として合に符文を給発して以て通行に便ならしむべし。此の為に王府、礼字第七号半印勘合の符文を給して都通事陳以栢等に付し収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海巡哨の官軍の験実に遇わば即便に放行し、留難し遅悞するを得しむる毋かれ。須らく符文に至るべき者なり。
計開 京に赴く
正使紫巾官一員 向得功 跟伴一十七名
副使正議大夫一員 鄭士絢 跟伴一十二名
都通事一員 陳以栢 跟伴六名
在船都通事一員 毛士達 跟伴五名
在船使者二員 麻冕/向正中 跟伴八名
存留通事一員 楊大壮 跟伴六名
管船直庫・夥長二名 阮超倫・陳志広
水梢共に五十七名
右の符文は赴京の都通事陳以栢等に付す。此れを准ず
雍正三年(一七二五)十一月二十日
琉球国中山王尚(敬)、謝恩の事の為にす。
切照するに、卑藩、雍正元年に于て恭んで王舅翁国柱等を遣わし、入京し慶賀せしめ、雍正二年冬に至り京に到る。皇恩浩蕩にして意を加えて撫恤するを蒙り、王舅翁国柱、旨を奉じて乾清宮に召見せらる。上、臣尚敬に御書の匾額の輯瑞球陽の四大字、並びに玉器・玻璃・法瑯・磁器・端硯・緞疋等の物、共に二十七件を賜う。又、王舅翁国柱に銀・緞二件を賜う。叨くも異数を蒙り、理として応に謝恩すべし。此の為に特に紫巾官向得功・正議大夫鄭士絢・都通事陳以栢等を遣わし、表章を齎捧し、官伴・梢役共に計一百二十員名を率領して海船一隻に坐駕し、方物の金鶴形一対、鶴踏銀岩坐各全・黒漆嵌螺五爪竜椀三十個・黒漆嵌螺五爪竜盤三十個・細嫩青花蕉布五十疋・細嫩白花蕉布五十疋・細嫩素光蕉布五十疋・精彩画囲屛一対・囲屛紙五千張・護寿紙五千張・精製雅扇二百把等を装載して解運し、前んで福建等処承宣布政使司に詣りて投納し、起送して京に赴かんとす。
拠りて差去する員役は並びに文憑無ければ、誠に所在の官軍の阻留して便ならざるを恐る。理として合に符文を給発して以て通行に便ならしむべし。此の為に王府、礼字第七号半印勘合の符文を給して都通事陳以栢等に付し収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海巡哨の官軍の験実に遇わば即便に放行し、留難し遅悞するを得しむる毋かれ。須らく符文に至るべき者なり。
計開 京に赴く
正使紫巾官一員 向得功 跟伴一十七名
副使正議大夫一員 鄭士絢 跟伴一十二名
都通事一員 陳以栢 跟伴六名
在船都通事一員 毛士達 跟伴五名
在船使者二員 麻冕/向正中 跟伴八名
存留通事一員 楊大壮 跟伴六名
管船直庫・夥長二名 阮超倫・陳志広
水梢共に五十七名
右の符文は赴京の都通事陳以栢等に付す。此れを准ず
雍正三年(一七二五)十一月二十日