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資料詳細
- 資料ID.
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- 資料種別
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
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- タイトル
- 中国暦
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- 西暦
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- 曜日
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
2-13-20 国王尚敬の、康煕帝の進香と雍正帝の即位慶賀のため王舅翁国柱等を遣わすむねの符文(一七二三、一〇、□)
琉球国中山王尚(敬)、慶賀、進香の事の為にす。
切照するに、敝国は海外の小邦にして、世々天朝の鴻恩に沐すること加うる有りて已むこと無し。茲に皇上の登極に欣逢し、理として応に恭賀して以て臣子愚誠を効順するを伸ぶべし。此の為に、特に王舅翁国柱・正議大夫曾暦等を遣わし、表文を齎捧し、官伴・梢役の外、附搭する官生鄭秉哲等・上下の員役、共に計一百三十六員名を率領し、海船一隻に坐駕し、土産の金靶鞘腰刀二把・銀靶鞘腰刀二把・金鑵一合、共に重さ七十六両・銀鑵一合、共に重さ六十両・細嫩土蕉布五十疋・細嫩花蕉布五十疋・細嫩土夏布一百疋・金彩画囲屛一対・精製雅扇二百把・囲屛紙五千張・紅銅五百觔・白剛錫五百觔を装載して恭しく御前に進めしむ。
復た、金粉匣一合、共に重さ八両・銀粉匣一合、共に重さ七両三銭・細嫩土蕉布二十疋・細嫩花蕉布二十疋・細嫩土夏布四十疋・精製雅扇八十把を備え、皇后の前に進奉し、虔んで賀敬を陳ぶる外、粛んで香燭・祭品等の物を代儀の白銀一百両と共に貢す。恭しく聖祖仁皇帝の在天の鑑を邀め、以て微忱を効す。更に官生の貢物の細嫩土蕉布五十疋・囲屛紙三千張□已上の方物を将て解運し、前んで福建等処承宣布政使司に詣りて投逓し、起送して京に赴かしめんとす。
拠りて差去する員役は並びに文憑無ければ、誠に所在の官軍の盤阻して便ならざるを恐る。理として合に符文を給発して以て通行に便ならしむべし。此の為に王府の礼字第二号半印勘合の符文を給して都通事鄭秉彝等に附し収執して前去せしむ。如し経過の関津、把隘の去処及び沿海巡哨の官軍の験実に遇わば即便に放行し、留難し遅悞するを得しむる毋かれ。須らく符文に至るべき者なり。
計開 京に赴く
正使王舅一員 翁国柱 人伴二十名
副使正議大夫一員 曾暦 人伴一十三名
使者一員 馬世龍 人伴六名
都通事一員 鄭秉彝 人伴五名
在船都通事一員 鄭儀 人伴四名
在船使者二員 馬元瑞/温啓泰 人伴八名
存留通事一員 蔡其棟 人伴五名
王舅通事一員 鄭廷幹 人伴二名
官生三人 鄭秉哲 鄭謙 蔡宏訓 人伴三名
管船夥長・直庫二名 陳以棠 陳志広
水梢共に五十六名
右の符文は都通事鄭秉彝等に附す。此れを准ず
雍正元年(一七二三)十月 日給す
注(1)蔡其棟 一六九三-一七四一年。久米村蔡氏(具志家)十二世。具志親雲上。福建の柔遠駅で卒す(『家譜(二)』三〇九頁)。また巻首の「督抄宝案記」に名がみえる。
琉球国中山王尚(敬)、慶賀、進香の事の為にす。
切照するに、敝国は海外の小邦にして、世々天朝の鴻恩に沐すること加うる有りて已むこと無し。茲に皇上の登極に欣逢し、理として応に恭賀して以て臣子愚誠を効順するを伸ぶべし。此の為に、特に王舅翁国柱・正議大夫曾暦等を遣わし、表文を齎捧し、官伴・梢役の外、附搭する官生鄭秉哲等・上下の員役、共に計一百三十六員名を率領し、海船一隻に坐駕し、土産の金靶鞘腰刀二把・銀靶鞘腰刀二把・金鑵一合、共に重さ七十六両・銀鑵一合、共に重さ六十両・細嫩土蕉布五十疋・細嫩花蕉布五十疋・細嫩土夏布一百疋・金彩画囲屛一対・精製雅扇二百把・囲屛紙五千張・紅銅五百觔・白剛錫五百觔を装載して恭しく御前に進めしむ。
復た、金粉匣一合、共に重さ八両・銀粉匣一合、共に重さ七両三銭・細嫩土蕉布二十疋・細嫩花蕉布二十疋・細嫩土夏布四十疋・精製雅扇八十把を備え、皇后の前に進奉し、虔んで賀敬を陳ぶる外、粛んで香燭・祭品等の物を代儀の白銀一百両と共に貢す。恭しく聖祖仁皇帝の在天の鑑を邀め、以て微忱を効す。更に官生の貢物の細嫩土蕉布五十疋・囲屛紙三千張□已上の方物を将て解運し、前んで福建等処承宣布政使司に詣りて投逓し、起送して京に赴かしめんとす。
拠りて差去する員役は並びに文憑無ければ、誠に所在の官軍の盤阻して便ならざるを恐る。理として合に符文を給発して以て通行に便ならしむべし。此の為に王府の礼字第二号半印勘合の符文を給して都通事鄭秉彝等に附し収執して前去せしむ。如し経過の関津、把隘の去処及び沿海巡哨の官軍の験実に遇わば即便に放行し、留難し遅悞するを得しむる毋かれ。須らく符文に至るべき者なり。
計開 京に赴く
正使王舅一員 翁国柱 人伴二十名
副使正議大夫一員 曾暦 人伴一十三名
使者一員 馬世龍 人伴六名
都通事一員 鄭秉彝 人伴五名
在船都通事一員 鄭儀 人伴四名
在船使者二員 馬元瑞/温啓泰 人伴八名
存留通事一員 蔡其棟 人伴五名
王舅通事一員 鄭廷幹 人伴二名
官生三人 鄭秉哲 鄭謙 蔡宏訓 人伴三名
管船夥長・直庫二名 陳以棠 陳志広
水梢共に五十六名
右の符文は都通事鄭秉彝等に附す。此れを准ず
雍正元年(一七二三)十月 日給す
注(1)蔡其棟 一六九三-一七四一年。久米村蔡氏(具志家)十二世。具志親雲上。福建の柔遠駅で卒す(『家譜(二)』三〇九頁)。また巻首の「督抄宝案記」に名がみえる。