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資料詳細
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- 資料種別
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
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- タイトル
- 中国暦
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- 西暦
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- 曜日
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
2-02-15 国王尚貞の、赴京の使臣の接回のため都通事金溥等を遣わむねの執照(一七〇三、一〇、二八)
琉球国中山王尚(貞)、進貢の官員を接回する事の為にす。
切照するに、康煕四十一年、乃ち当に貢すべきの期なり。特に耳目官毛興龍・正議大夫蔡応祥等を遣わし、梢役を帯領し船二隻に駕して表章・方物を齎捧せしむ。已経に貴司に移咨し、起送して京に赴き、恭しく四十一年の貢典を進むる外、都通事金璋・使者毛文傑等を摘回するに至りては、仍お原船に坐し、本年七月内に于て国に還るを見るを得たり。旧例に遵依せり。但だ入覲の官伴及び存留の官伴は、向例として該国、船を発して接回す。久しく閩の地に淹りて以て天朝の廩餼を糜すに至らず。此の為に特に都通事金溥・使者顧天休等を遣わして、水梢・人伴共に八十五員名を率領し、海船一隻に坐駕して前来し、皇上の勅書併びに欽賞の物件を迎接し、貢使毛興龍等と同に一斉に国に回らしめんとす。
茲に所拠の差去する員役は別に文憑無ければ、誠に所在の官軍の阻留して便ならざるを恐る。此の為に理として合に執照を給発して以て通行に便ならしむべし。今、王府の義字第七十六号半印勘合の執照を給して存留通事蔡淵等に付し収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海巡哨の官軍の験実に遇わば即便に放行し、留難し遅悞して便ならざるを得しむる毋かれ。須らく執照に至るべき者なり。
計開
都通事一員 金溥 人伴五名
使者二員 顧天休・豊良佐 人伴八名
存留通事一員 蔡淵 人伴五名
管船火長・直庫 二名 林宗璉・松永茂
水梢共に六十一名
右の執照は存留通事蔡淵等に付す。此れを准ず
康煕四十二年(一七〇三)十月二十八日給す
注(1)蔡淵 生没年不詳。久米村蔡氏(志多伯家)十一世。志多伯親方。
紫金大夫(『家譜(二)』九三五頁)。
(2)林宗璉 一六八二-一七二三年。久米村林氏(平安座家)三世。この接回の折、金門囲頭地方に漂着し、順風を待ち翌年三月に福州に到った(『家譜(二)』八六〇頁)。
琉球国中山王尚(貞)、進貢の官員を接回する事の為にす。
切照するに、康煕四十一年、乃ち当に貢すべきの期なり。特に耳目官毛興龍・正議大夫蔡応祥等を遣わし、梢役を帯領し船二隻に駕して表章・方物を齎捧せしむ。已経に貴司に移咨し、起送して京に赴き、恭しく四十一年の貢典を進むる外、都通事金璋・使者毛文傑等を摘回するに至りては、仍お原船に坐し、本年七月内に于て国に還るを見るを得たり。旧例に遵依せり。但だ入覲の官伴及び存留の官伴は、向例として該国、船を発して接回す。久しく閩の地に淹りて以て天朝の廩餼を糜すに至らず。此の為に特に都通事金溥・使者顧天休等を遣わして、水梢・人伴共に八十五員名を率領し、海船一隻に坐駕して前来し、皇上の勅書併びに欽賞の物件を迎接し、貢使毛興龍等と同に一斉に国に回らしめんとす。
茲に所拠の差去する員役は別に文憑無ければ、誠に所在の官軍の阻留して便ならざるを恐る。此の為に理として合に執照を給発して以て通行に便ならしむべし。今、王府の義字第七十六号半印勘合の執照を給して存留通事蔡淵等に付し収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海巡哨の官軍の験実に遇わば即便に放行し、留難し遅悞して便ならざるを得しむる毋かれ。須らく執照に至るべき者なり。
計開
都通事一員 金溥 人伴五名
使者二員 顧天休・豊良佐 人伴八名
存留通事一員 蔡淵 人伴五名
管船火長・直庫 二名 林宗璉・松永茂
水梢共に六十一名
右の執照は存留通事蔡淵等に付す。此れを准ず
康煕四十二年(一七〇三)十月二十八日給す
注(1)蔡淵 生没年不詳。久米村蔡氏(志多伯家)十一世。志多伯親方。
紫金大夫(『家譜(二)』九三五頁)。
(2)林宗璉 一六八二-一七二三年。久米村林氏(平安座家)三世。この接回の折、金門囲頭地方に漂着し、順風を待ち翌年三月に福州に到った(『家譜(二)』八六〇頁)。