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資料詳細
- 資料ID.
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- 資料種別
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
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- タイトル
- 中国暦
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- 西暦
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- 曜日
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
2-01-21 国王尚貞の、進貢のため耳目官毛得範等を遣わすむねの符文(一七〇〇、一〇、二六)
琉球国中山王尚(貞)、進貢の事の為にす。
照得するに、本国は世々天朝の洪恩に沐し、貢典に遵依して二年一次なり。茲に康煕三十九年の貢期に届遇するに当り、特に耳目官毛得範・正議大夫鄭職良・都通事梁鏞等を遣わし、表・咨を齎捧し海船二隻に坐駕して官伴・水梢を率領せしむ。毎船に均幇する上下の員役は共に二百員名を過ぎず。常貢の煎熟硫黄一万二千六百觔・紅銅三千觔・煉熟白剛錫一千觔等の方物を装運して両船に分載す。一船は義字第六十九号にして煎熟硫黄六千三百觔・紅銅一千五百觔・煉熟白剛錫五百觔を装載し、一船は義字第七十号にして煎熟硫黄六千三百觔・紅銅一千五百觔・煉熟白剛錫五百觔を装載し、前んで福建等処承宣布政使司に至りて投納し、起送して京に赴き聖禧を叩祝せんとす。
所拠の差去する員役は並びに文憑無ければ、誠に所在の官軍の阻留して便ならざるを恐る。此の為に王府、今、義字第六十八号半印勘合の符文を給して都通事梁鏞等に付し収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海巡哨の官軍の験実に遇わば即便に放行し、留難し遅悞するを得しむる毋かれ。須らく符文に至るべき者なり。
計開 京に赴く
耳目官一員 毛得範 人伴一十二名
正議大夫一員 鄭職良 人伴一十二名
都通事一員 梁鏞 人伴七名
在船都通事二員 毛文哲・阮維徳 人伴八名
在船使者四員 毛応鳳・朱思邦/向保嗣・夏降安 人伴一十六名
存留通事一員 程順性 人伴六名
在船通事一員 鄭士経 人伴四名
管船火長・直庫 四名 孫廷璽・楊宗礼/丙起才・松永茂
右の符文は都通事梁鏞等に付す。此れを准ず
康煕三十九年(一七〇〇)十月二十六日給す
注(1)毛文哲 生没年不詳。万暦三十五年に漳州から久米村に入籍した毛国鼎(毛氏与世山家)の三世(『家譜(二)』七〇六頁)。
(2)阮維徳 生没年不詳。万暦三十五年に漳州から久米村に入籍した阮国(阮氏𤘩宮城家)の四世(富島壯英「『歴代宝案』第一集の編集者達」『歴代宝案研究』第二号、一九九一年、所収)。
(3)夏降安 生没年不詳。松田親雲上賢宏(毛文英の譜〔『家譜(二)』七三三頁〕による)。
(4)程順性 一六七〇-一七〇二年。久米村程氏(名護家)七世。古波蔵通事親雲上。康煕三十六年『歴代宝案』の校訂に従事。この進貢の帰途に遭難死した(『家譜(二)』五五九頁)。
(5)鄭士経 生没年不詳。久米村鄭氏(与座家)五世(『家譜(二)』六六八頁)。
(6)孫廷璽 一六七〇-一七四九年。久米村孫氏(安座間家)三世。安座間親雲上。中議大夫。進貢のための五度の渡清のほか、三年福建に滞在して勉学した(『家譜(二)』四一八頁)。
琉球国中山王尚(貞)、進貢の事の為にす。
照得するに、本国は世々天朝の洪恩に沐し、貢典に遵依して二年一次なり。茲に康煕三十九年の貢期に届遇するに当り、特に耳目官毛得範・正議大夫鄭職良・都通事梁鏞等を遣わし、表・咨を齎捧し海船二隻に坐駕して官伴・水梢を率領せしむ。毎船に均幇する上下の員役は共に二百員名を過ぎず。常貢の煎熟硫黄一万二千六百觔・紅銅三千觔・煉熟白剛錫一千觔等の方物を装運して両船に分載す。一船は義字第六十九号にして煎熟硫黄六千三百觔・紅銅一千五百觔・煉熟白剛錫五百觔を装載し、一船は義字第七十号にして煎熟硫黄六千三百觔・紅銅一千五百觔・煉熟白剛錫五百觔を装載し、前んで福建等処承宣布政使司に至りて投納し、起送して京に赴き聖禧を叩祝せんとす。
所拠の差去する員役は並びに文憑無ければ、誠に所在の官軍の阻留して便ならざるを恐る。此の為に王府、今、義字第六十八号半印勘合の符文を給して都通事梁鏞等に付し収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海巡哨の官軍の験実に遇わば即便に放行し、留難し遅悞するを得しむる毋かれ。須らく符文に至るべき者なり。
計開 京に赴く
耳目官一員 毛得範 人伴一十二名
正議大夫一員 鄭職良 人伴一十二名
都通事一員 梁鏞 人伴七名
在船都通事二員 毛文哲・阮維徳 人伴八名
在船使者四員 毛応鳳・朱思邦/向保嗣・夏降安 人伴一十六名
存留通事一員 程順性 人伴六名
在船通事一員 鄭士経 人伴四名
管船火長・直庫 四名 孫廷璽・楊宗礼/丙起才・松永茂
右の符文は都通事梁鏞等に付す。此れを准ず
康煕三十九年(一七〇〇)十月二十六日給す
注(1)毛文哲 生没年不詳。万暦三十五年に漳州から久米村に入籍した毛国鼎(毛氏与世山家)の三世(『家譜(二)』七〇六頁)。
(2)阮維徳 生没年不詳。万暦三十五年に漳州から久米村に入籍した阮国(阮氏𤘩宮城家)の四世(富島壯英「『歴代宝案』第一集の編集者達」『歴代宝案研究』第二号、一九九一年、所収)。
(3)夏降安 生没年不詳。松田親雲上賢宏(毛文英の譜〔『家譜(二)』七三三頁〕による)。
(4)程順性 一六七〇-一七〇二年。久米村程氏(名護家)七世。古波蔵通事親雲上。康煕三十六年『歴代宝案』の校訂に従事。この進貢の帰途に遭難死した(『家譜(二)』五五九頁)。
(5)鄭士経 生没年不詳。久米村鄭氏(与座家)五世(『家譜(二)』六六八頁)。
(6)孫廷璽 一六七〇-一七四九年。久米村孫氏(安座間家)三世。安座間親雲上。中議大夫。進貢のための五度の渡清のほか、三年福建に滞在して勉学した(『家譜(二)』四一八頁)。