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資料詳細
- 資料ID.
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- 資料種別
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
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- タイトル
- 中国暦
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- 西暦
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- 曜日
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
2-01-09 国王尚貞の、進貢のため耳目官毛龍図等を遣わすむねの符文(一六九八、一〇、二〇)
琉球国中山王尚(貞)、進貢の事の為にす。
切照するに、敝国は世々天朝の洪恩に沐し、貢典に遵依して二年一次なり。茲に康煕三十七年の貢の期に当り、特に耳目官毛龍図・正議大夫梁邦基・都通事阮維新等を遣わし、表・咨を齎捧し海船二隻に坐駕して官伴・水梢を率領せしむ。毎船に均幇する上下の員役は共に二百員名を過ぎず。常貢の煎熟硫黄一万二千六百觔・紅銅三千觔・煉熟白剛錫一千觔等の方物を装運して両船に分載す。一船は義字第六十五号にして煎熟硫黄六千三百觔・紅銅一千五百觔・煉熟白剛錫五百觔を装載し、一船は義字第六十六号にして煎熟硫黄六千三百觔・紅銅一千五百觔・煉熟白剛錫五百觔を装載し、前んで福建等処承宣布政使司に至りて投納し、起送して京に赴き聖禧を叩祝せんとす。
所拠の差去する員役は並びに文憑無ければ、誠に所在の官軍の阻留して便ならざるを恐る。此の為に王府、今、義字第六十四号半印勘合の符文を給して都通事阮維新等に付し収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海巡哨の官軍の験実に遇わば即便に放行し、留難し遅悞するを得しむる毋かれ。須らく符文に至るべき者なり。
計開 京に赴く
耳目官一員 毛龍図 人伴一十二名
正議大夫一員 梁邦基 人伴一十二名
都通事一員 阮維新 人伴七名
在船都通事二員 林正茂・毛文善 人伴八名
在船使者四員 湛令望・向保嗣・東国佐・麻時秀 人伴一十六名
存留通事一員 阮璋 人伴六名
在船通事一員 陳其瀾 人伴四名
管船火長・直庫四名 蔡克昌・陳継仲・丙起才・松永茂右の符文は都通事阮維新等に付す。此れを准ず
康煕三十七年(一六九八)十月二十日給す
注(1)半印勘合の符文 琉球よりの使節であることを証明する割り印をおした証明書。符文は琉球側が京師に赴く朝貢使節に対して発給した証明書。
(2)毛文善 一六五〇-一七二一年。久米村毛氏(与世山家)三世。和宇慶親雲上。正議大夫(『家譜(二)』七〇九頁)。
(3)麻時秀 渡嘉敷親雲上真房。一六六一-一七二〇年。首里麻氏(田名家)十世(『家譜(三)』五八七頁)。
(4)阮璋 一六六九-一七四〇年。久米村阮氏(𤘩宮城家)五世。正議大夫(『家譜(二)』一五八頁)。
琉球国中山王尚(貞)、進貢の事の為にす。
切照するに、敝国は世々天朝の洪恩に沐し、貢典に遵依して二年一次なり。茲に康煕三十七年の貢の期に当り、特に耳目官毛龍図・正議大夫梁邦基・都通事阮維新等を遣わし、表・咨を齎捧し海船二隻に坐駕して官伴・水梢を率領せしむ。毎船に均幇する上下の員役は共に二百員名を過ぎず。常貢の煎熟硫黄一万二千六百觔・紅銅三千觔・煉熟白剛錫一千觔等の方物を装運して両船に分載す。一船は義字第六十五号にして煎熟硫黄六千三百觔・紅銅一千五百觔・煉熟白剛錫五百觔を装載し、一船は義字第六十六号にして煎熟硫黄六千三百觔・紅銅一千五百觔・煉熟白剛錫五百觔を装載し、前んで福建等処承宣布政使司に至りて投納し、起送して京に赴き聖禧を叩祝せんとす。
所拠の差去する員役は並びに文憑無ければ、誠に所在の官軍の阻留して便ならざるを恐る。此の為に王府、今、義字第六十四号半印勘合の符文を給して都通事阮維新等に付し収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海巡哨の官軍の験実に遇わば即便に放行し、留難し遅悞するを得しむる毋かれ。須らく符文に至るべき者なり。
計開 京に赴く
耳目官一員 毛龍図 人伴一十二名
正議大夫一員 梁邦基 人伴一十二名
都通事一員 阮維新 人伴七名
在船都通事二員 林正茂・毛文善 人伴八名
在船使者四員 湛令望・向保嗣・東国佐・麻時秀 人伴一十六名
存留通事一員 阮璋 人伴六名
在船通事一員 陳其瀾 人伴四名
管船火長・直庫四名 蔡克昌・陳継仲・丙起才・松永茂右の符文は都通事阮維新等に付す。此れを准ず
康煕三十七年(一六九八)十月二十日給す
注(1)半印勘合の符文 琉球よりの使節であることを証明する割り印をおした証明書。符文は琉球側が京師に赴く朝貢使節に対して発給した証明書。
(2)毛文善 一六五〇-一七二一年。久米村毛氏(与世山家)三世。和宇慶親雲上。正議大夫(『家譜(二)』七〇九頁)。
(3)麻時秀 渡嘉敷親雲上真房。一六六一-一七二〇年。首里麻氏(田名家)十世(『家譜(三)』五八七頁)。
(4)阮璋 一六六九-一七四〇年。久米村阮氏(𤘩宮城家)五世。正議大夫(『家譜(二)』一五八頁)。