琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ

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資料詳細

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1-42-22 琉球国中山王尚真の、椰末度等を暹羅等の国へ遣わす執照(一五二一、九、七)
琉球国中山王尚真、進貢等の事の為にす。
切に本国は産物稀少にして貢物を欠乏するに縁り、深く未便と為す。此の為に今、正使椰末度・通事蔡樟等を遣わし、智字号海船一隻に坐駕し、磁器等の物を装載し、暹羅等の国の出産の地面に前往して両平に胡椒・蘇木等の貨を収買せしむ。回国して預め下年に大明天朝に進貢するに備う。
所拠りて今差去する人員は、別に文憑無くば誠に到処の官司の盤阻して便ならざるを恐る。王府、除外に今、玄字二百二十八号半印勘合執照を給して正使椰末度・通事蔡樟等に付し、収執して前去せしむ。如し経過の関津把隘の去処及び沿海巡哨の官軍の験実に遇わば、即便に放行し、留難して因って遅悞して便ならざるを得しむる毋れ。所有の執照は須らく出給に至るべき者なり。
今開す
正使一員 椰末度
副使二員 陶魯 馬三魯
都通事二員 蔡樟 蔡迪
火長 陳宜
管船直庫 馬尼理
梢水共に二百十三名
正徳十六年(一五二一)九月初七日
右の執照は正使椰末度・都通事蔡樟等に付し、此れに准ぜしむ
進貢等の/事の為にす 執照

注*本文書の副使馬三魯らは、翌年の嘉靖元年(一五二二)に寧字号船でまた暹羅に向かったが、帰途(嘉靖二年)、福建の沿岸で遭難した。『殊域周咨録』巻四、琉球の条は、福建提督市舶司太監趙誠の奏や福州府の呈を引用して、三百余名が溺死し蔡淵ら三十数名が保護された事件を記す。
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