琉球王国交流史・近代沖縄史料デジタルアーカイブ

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資料詳細

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1-40-29 琉球国王府より暹羅国あて、阿普斯古等を遣わし、官買せず自由に交易することを請う咨(一四四二、一〇、五)
琉球国王府、見に礼儀の事の為にす。
切に聞くに、貴国と相い通じて経に今、多年なり。海道遥かなりと雖も上祖の義交を忘れ難し。前後の恵貺の意の深厚なるを感承す。甚だ慚愧に以うに、疎曠して数年、絶えて音信の相い伝うる無し。此の為に、特に正使阿普斯古等を遣わし咨文一通并びに礼物を齎捧し、及び人船一隻を管駕し詣前して王府に奉献せしむ。幸望わくは海納せよ。及び照らすに、今差わす人船の装載する磁器等の物は、乞為う、参行して所在の管客の各官は比前の多虧せる官買等の項を将てせざらんことを。遠人の航海の艱難なるを憐れむ可く、早やかに両平に買売せしめ、回遣を寛仁すれば以て使客の往来の虧われざるを得ん。以為えらくは四海一家、永く盟好を通ぜん。今、礼物を将て後に開坐す。咨して照験して施行するを請う。須らく咨に至るべき者なり。
今開す
官段五匹 各色段二十匹
扇三十把 腰刀五把
大青盤二十個 小青盤四百個
小青碗二千個 硫黄二千五百斤 此秤三千斤
右、暹羅国に咨す
正統七年(一四四二)十月初五日  通事沈志良
礼儀の事
咨

注(1)疎曠して数年 正統五年及び六年をさす。この間旧港と爪哇に出船したが、暹羅には行かなかった。この後正統八年(一四四三)より天順六年(一四六二)にわたる『歴代宝案』の文書の欠落を除くにしても、以後琉球の暹羅に対する派船は、以前のように規則的なものではなくなる。その理由としてアユタヤ側のいくつかの事情をあげる考え方がある(生田滋“The early history of the kingdom of Ayuthya-based on foreign sources with special reference to the REKIDAI HOAN”『創大アジア研究』第十五号、一九九四年)。また、この後展開される琉球とマラッカとのひんぱんな通交も、暹羅との関係に変化をもたらしたであろう。
(2)参行 (さきの例を)参照する、の意か。
(3)比前の多虧せる官買等の項 永楽十七年(一四一九)より宣徳五年(一四三〇)ごろまで行われた官買をさすか。〔四〇-〇一〕総注を参照。なお、虧は、受けた損失のことをいう。
(4)此秤 出発のとき、こちらの秤ではかったおおよその目方。途中での目減りをみこんでの表現。
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MAIL:aa318005@pref.okinawa.lg.jp

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