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資料詳細
- 資料ID.
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- 資料種別
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
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- タイトル
- 中国暦
- {{ryu_data.f17}}年 {{ryu_data.f18}}月 {{ryu_data.f19}}日
- 西暦
- {{ryu_data.f13}}年 {{ryu_data.f14}}月 {{ryu_data.f15}}日
- 曜日
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
1-39-02 朝鮮国王李祹より琉球国王あて、返礼の書簡と別幅(一四三一、一二、□)
朝鮮国王李祹、琉球国王殿下に奉復す。
我国と貴邦と、世々信睦を敦くするも、海道遼夐なるに縁り、以て多年の疎曠を致す。今、王、先君の好を維がんことを思い、専使もて来聘し、仍お礼貺を恵み、更に示すに交通往来の義を以てす。寡人深く用て喜謝す。庶わくは此の心を堅くして以て終誉を永くせんことを。豈に美ならざらんや。不腆の土宜もて聊か微誠を表す。切に希わくは領納せんことを。冬寒ければ冀わくは時に順い保重せんことを。不宣。
宣徳六年(一四三一)十二月 日
朝鮮国王李祹
別幅
黒細麻布一十五匹
白細苧布一十五匹
満花席一十五張
虎皮五領
人参一百斤
松子二百斤
注*本文書は〔四〇-一〇〕に対する返書で、咨文でなく書簡の体裁をとっている。また『李朝実録』世宗十三年(宣徳六)十二月丁酉(六日)の条に記載されている。
(1)朝鮮国 李氏朝鮮(一三九二-一九一〇年)。高麗朝の武将李成桂がクーデターで建国。都を漢城(ソウル)に置き、儒教を国教として官僚国家体制を整備し、明を宗主国とし、日本・琉球などと友好関係を維持した。その後、党争により国政が乱れる中、十六世紀末に豊臣秀吉の侵略を受けて国土が荒廃し、十七世紀には後金(清)の攻撃を受け、これに従属した。十九世紀には欧米列強や日本が進出し、のちには遂に日本が併合した。
『歴代宝案』中の朝鮮に関わる文書は十九通で、年代上二つに大別できる。一つは十五世紀の六通、一つは明末期の十三通である。明末期のものは両国の朝貢使節を介して北京で受け渡しされたが、届かなかったと思われる文書も多い。なお、『歴代宝案』には収録されていない弘治十三年(一五〇〇)の、朝鮮国王李㦕から琉球国王あて書簡(都城島津家所蔵)一通が現存する。糸数兼治「朝鮮国王李書翰について」(沖縄県教育委員会文化課紀要、六号、一九九〇年)にその写真と解説がある。
李朝は、中国の実録の制を採り入れ、太祖実録以下各王について実録を書き継いだ。これを総称して『李朝実録』といい、李朝の歴史の体系的基本史料となっている。『李朝実録』中の琉球国関係史料については、『中国・朝鮮の史籍における日本史料集成 李朝実録之部(一)-(十一)』国書刊行会 昭和五一-平成七年、および和田久徳他「李朝実録の琉球国史料(訳注)(一)-(十二)」『南島史学』三六-三九・四三-四七・四九-五一号 平成二-十年を、『李朝実録』の刊本や『李朝実録』を利用した研究については「李朝実録の琉球国史料(訳注)(一)」の解題を参照のこと。なお朝鮮国に関連する文書の訳注には朝鮮総督府『朝鮮語辞典』大正九年、復刻 国書刊行会 昭和四十九年、を参照した。
(2)李祹 第四代国王、世宗。在位一四一八-五〇年。
(3)奉復す ご返事申し上げます、の意。
(4)寡人 王侯の自称の謙辞。
(5)保重 自重。身を大切にする。
(6)満花席 花模様を織りこんだ敷物。
(7)人参 朝鮮人参。ウコギ科の多年草。薬用とする。
(8)松子 松の実。食用とする。
朝鮮国王李祹、琉球国王殿下に奉復す。
我国と貴邦と、世々信睦を敦くするも、海道遼夐なるに縁り、以て多年の疎曠を致す。今、王、先君の好を維がんことを思い、専使もて来聘し、仍お礼貺を恵み、更に示すに交通往来の義を以てす。寡人深く用て喜謝す。庶わくは此の心を堅くして以て終誉を永くせんことを。豈に美ならざらんや。不腆の土宜もて聊か微誠を表す。切に希わくは領納せんことを。冬寒ければ冀わくは時に順い保重せんことを。不宣。
宣徳六年(一四三一)十二月 日
朝鮮国王李祹
別幅
黒細麻布一十五匹
白細苧布一十五匹
満花席一十五張
虎皮五領
人参一百斤
松子二百斤
注*本文書は〔四〇-一〇〕に対する返書で、咨文でなく書簡の体裁をとっている。また『李朝実録』世宗十三年(宣徳六)十二月丁酉(六日)の条に記載されている。
(1)朝鮮国 李氏朝鮮(一三九二-一九一〇年)。高麗朝の武将李成桂がクーデターで建国。都を漢城(ソウル)に置き、儒教を国教として官僚国家体制を整備し、明を宗主国とし、日本・琉球などと友好関係を維持した。その後、党争により国政が乱れる中、十六世紀末に豊臣秀吉の侵略を受けて国土が荒廃し、十七世紀には後金(清)の攻撃を受け、これに従属した。十九世紀には欧米列強や日本が進出し、のちには遂に日本が併合した。
『歴代宝案』中の朝鮮に関わる文書は十九通で、年代上二つに大別できる。一つは十五世紀の六通、一つは明末期の十三通である。明末期のものは両国の朝貢使節を介して北京で受け渡しされたが、届かなかったと思われる文書も多い。なお、『歴代宝案』には収録されていない弘治十三年(一五〇〇)の、朝鮮国王李㦕から琉球国王あて書簡(都城島津家所蔵)一通が現存する。糸数兼治「朝鮮国王李書翰について」(沖縄県教育委員会文化課紀要、六号、一九九〇年)にその写真と解説がある。
李朝は、中国の実録の制を採り入れ、太祖実録以下各王について実録を書き継いだ。これを総称して『李朝実録』といい、李朝の歴史の体系的基本史料となっている。『李朝実録』中の琉球国関係史料については、『中国・朝鮮の史籍における日本史料集成 李朝実録之部(一)-(十一)』国書刊行会 昭和五一-平成七年、および和田久徳他「李朝実録の琉球国史料(訳注)(一)-(十二)」『南島史学』三六-三九・四三-四七・四九-五一号 平成二-十年を、『李朝実録』の刊本や『李朝実録』を利用した研究については「李朝実録の琉球国史料(訳注)(一)」の解題を参照のこと。なお朝鮮国に関連する文書の訳注には朝鮮総督府『朝鮮語辞典』大正九年、復刻 国書刊行会 昭和四十九年、を参照した。
(2)李祹 第四代国王、世宗。在位一四一八-五〇年。
(3)奉復す ご返事申し上げます、の意。
(4)寡人 王侯の自称の謙辞。
(5)保重 自重。身を大切にする。
(6)満花席 花模様を織りこんだ敷物。
(7)人参 朝鮮人参。ウコギ科の多年草。薬用とする。
(8)松子 松の実。食用とする。