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資料詳細
- 資料ID.
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- 資料種別
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
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- タイトル
- 中国暦
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- 西暦
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- 曜日
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
1-34-15 世子尚貞の、康煕七年の進貢船の消息をたずねると共に尚質の死去を報ずるため正議大夫林茂盛等を遣わす執照(一六六九、三、一三)
琉球国中山王世子尚(質)、貢船の安危を告探し、并びに藩を嗣ぎて執政するを報ずる事の為にす。
今、特に正議大夫・使者・都通事等の官の林茂盛等を差わし、水梢を率領して土造の快船一隻に坐駕し、咨文を齎捧して天朝に前赴し、前に遣わせる貢船二隻の安危を探訪し、并びに先父王薨逝して本藩、嗣ぎて権に執政す、等の情を報明せしむ。
此れに拠り差去する員役は、別に文憑無くば誠に所在の官司の盤阻して便ならざるを恐る。理として合に給照すべし。此の為に今、義字第十六号半印勘合執照を給して都通事陳初源等に付与し、収執して前去せしむ。如し経過の関津把隘の去処及び沿海巡哨の官軍の験実に遇わば、即便に放行し、留難し遅悞して便ならざるを得しむる毋れ。須らく執照に至るべき者なり。
計開
正議大夫一員 林茂盛 人伴八名
使者二員 李功銘 蔡璋 人伴八名
都通事一員 陳初源 人伴四名
管船火長・直庫二名 王可喜 梁胤元
梢水共に三十名
康煕八年(一六六九)三月十三日
右の執照は都通事陳初源等に付し、此れに准ぜしむ
執照
琉球国中山王世子尚(質)、貢船の安危を告探し、并びに藩を嗣ぎて執政するを報ずる事の為にす。
今、特に正議大夫・使者・都通事等の官の林茂盛等を差わし、水梢を率領して土造の快船一隻に坐駕し、咨文を齎捧して天朝に前赴し、前に遣わせる貢船二隻の安危を探訪し、并びに先父王薨逝して本藩、嗣ぎて権に執政す、等の情を報明せしむ。
此れに拠り差去する員役は、別に文憑無くば誠に所在の官司の盤阻して便ならざるを恐る。理として合に給照すべし。此の為に今、義字第十六号半印勘合執照を給して都通事陳初源等に付与し、収執して前去せしむ。如し経過の関津把隘の去処及び沿海巡哨の官軍の験実に遇わば、即便に放行し、留難し遅悞して便ならざるを得しむる毋れ。須らく執照に至るべき者なり。
計開
正議大夫一員 林茂盛 人伴八名
使者二員 李功銘 蔡璋 人伴八名
都通事一員 陳初源 人伴四名
管船火長・直庫二名 王可喜 梁胤元
梢水共に三十名
康煕八年(一六六九)三月十三日
右の執照は都通事陳初源等に付し、此れに准ぜしむ
執照