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資料詳細
- 資料ID.
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- 資料種別
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
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- タイトル
- 中国暦
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- 西暦
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- 曜日
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
1-33-22 世子尚賢の、進貢のため正議大夫蔡錦等を遣わす執照(一六四二、三、七)
琉球国中山王世子尚(賢)、進貢の事の為にす。
案照するに、崇禎七年(一六三四)十一月十九日、聖旨を奉ずるに、三年両次に朝貢せよ、とあり。此れを欽み、欽遵す。此の為に、欽依内の事理を奉じ、遵守して奉行せよ、等の因あり。此れを奉ず。査して案照するに、崇禎十五年(一六四二)は歳に循い期に及びて、擬するに合に進貢すべし。此の為に特に正議大夫・使者・都通事等の官の蔡錦等を遣わし、表・箋・咨文各一通を齎捧せしむ。二船に分坐し、水梢を率領す。毎船に均幇する上下の員役は共に二百人の数に盈たず。庶務を愜労して、馬一十匹・海螺殻三千個、例として進むる生硫黄二万斤等の方物を載運し、来朝して進貢す。生硫黄二万斤は、行移の国に到れるを承准し、遵依して法の如く煎煉すれば、進むる毎の熟黄の応に一万二千六百斤に該るべく、額に充つるに拠り、今年分は二船に装載するに拠り、毎船に熟黄六千三百斤・馬五匹・海螺殻一千五百個を分載し、福建等処承宣布政使司に前赴して投逓し、起送して京に赴かしむ。拠りて差去する員役は、並びに文憑無くば誠に所在の官軍の盤阻して便ならざるを恐る。理として合に給照して以て通行に便ならしむべし。此の為に今、仁字第五十二号半印勘合執照を給し、通事金正華等に付与し、収執して前去せしむ。如し経過の関津把隘の去処及び沿海巡哨の官軍の験実に遇わば、即便に放行し、留難し稽遅して便ならざるを得しむる毋れ。須らく執照に至るべき者なり。
計開 赴京の
正議大夫一員 蔡錦 人伴一十二名
使者一員 翁鎮 人伴七名
都通事一員 蔡国材 人伴六名
存留在船使者二員 顧承達 明才度 人伴四名
存留在船通事一員 金正華 人伴五名
管船火長・直庫二名 紅有彩 韋慈
梢水五十七名
附搭の土夏布一百匹
右の執照は存留在船通事金正華等に付し、此れに准ぜしむ
崇禎十五年(一六四二)三月初七日給す
執照
注*管船火長・紅有彩の乗船は、崇禎十五年六月福建を発って帰国の途中、行方不明となった。〔二六-三〇〕〔二六-三一〕参照。
琉球国中山王世子尚(賢)、進貢の事の為にす。
案照するに、崇禎七年(一六三四)十一月十九日、聖旨を奉ずるに、三年両次に朝貢せよ、とあり。此れを欽み、欽遵す。此の為に、欽依内の事理を奉じ、遵守して奉行せよ、等の因あり。此れを奉ず。査して案照するに、崇禎十五年(一六四二)は歳に循い期に及びて、擬するに合に進貢すべし。此の為に特に正議大夫・使者・都通事等の官の蔡錦等を遣わし、表・箋・咨文各一通を齎捧せしむ。二船に分坐し、水梢を率領す。毎船に均幇する上下の員役は共に二百人の数に盈たず。庶務を愜労して、馬一十匹・海螺殻三千個、例として進むる生硫黄二万斤等の方物を載運し、来朝して進貢す。生硫黄二万斤は、行移の国に到れるを承准し、遵依して法の如く煎煉すれば、進むる毎の熟黄の応に一万二千六百斤に該るべく、額に充つるに拠り、今年分は二船に装載するに拠り、毎船に熟黄六千三百斤・馬五匹・海螺殻一千五百個を分載し、福建等処承宣布政使司に前赴して投逓し、起送して京に赴かしむ。拠りて差去する員役は、並びに文憑無くば誠に所在の官軍の盤阻して便ならざるを恐る。理として合に給照して以て通行に便ならしむべし。此の為に今、仁字第五十二号半印勘合執照を給し、通事金正華等に付与し、収執して前去せしむ。如し経過の関津把隘の去処及び沿海巡哨の官軍の験実に遇わば、即便に放行し、留難し稽遅して便ならざるを得しむる毋れ。須らく執照に至るべき者なり。
計開 赴京の
正議大夫一員 蔡錦 人伴一十二名
使者一員 翁鎮 人伴七名
都通事一員 蔡国材 人伴六名
存留在船使者二員 顧承達 明才度 人伴四名
存留在船通事一員 金正華 人伴五名
管船火長・直庫二名 紅有彩 韋慈
梢水五十七名
附搭の土夏布一百匹
右の執照は存留在船通事金正華等に付し、此れに准ぜしむ
崇禎十五年(一六四二)三月初七日給す
執照
注*管船火長・紅有彩の乗船は、崇禎十五年六月福建を発って帰国の途中、行方不明となった。〔二六-三〇〕〔二六-三一〕参照。