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資料詳細
- 資料ID.
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- 資料種別
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
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- タイトル
- 中国暦
- {{ryu_data.f17}}年 {{ryu_data.f18}}月 {{ryu_data.f19}}日
- 西暦
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- 曜日
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
1-31-29 世子尚寧の、進貢謝恩のため正議大夫梁応等を遣わす執照(一五八九、三、一一)
琉球国中山王世子尚(寧)、進貢、謝恩等の事の為にす。
今、特に正議大夫・長史の梁応・鄭週等を遣わし、表文一通を齎捧せしむ。小船一隻に坐駕し、馬四匹・硫黄五千斤・全光銀靶鞘腰刀二把・金結束黒漆鞘金起沙魚皮紋靶腰刀二把・鍍金銅結束線紮靶紅漆鞘腰刀六把・鍍金銅結束紅漆靶鞘鎗六柄・細嫩土夏布一十匹・細嫩芭蕉布一十匹・金結束紅漆鞘金起沙魚皮紋靶腰刀二把・銀結束黒漆鞘銀起沙魚皮靶腰刀二把・鍍金銅結束紅漆鞘靶鎗四柄・鍍金銅結束紅漆鞘靶衮刀六把・黄土夏布一百匹・鍍金線穿鉄甲二領・紅花一百斤を装載して京に赴き進貢し謝恩す。所拠りて今差去する人員は、別に文憑無くば誠に所在の官司の盤阻して便ならざるを恐る。王府、除外に今、洪字二号半印勘合執照を給して通事紅泰和等に付し、収執して前去せしむ。如し経過の関津把隘の去処及び沿海巡哨の官軍の験実に遇わば、即便に放行し、留難して因って遅悞して便ならざるを得しむる毋れ。所有の執照は須らく出給に至るべき者なり。
今開す 赴京の
正議大夫一員 梁応
長史一員 鄭週
使者一員 鄔宝
都通事一員 林璋
存留在船使者一員 甘美寿
存留在船通事一員 紅泰和
人伴三十二名
管船火長・直庫二名 鄭義男 毛喜
梢水共に一百三十名
貢謝の方物を除くの外、附搭の土夏布二百匹
右の執照は存留在船通事紅泰和等に付し、此れに准ぜしむ
万暦十七年(一五八九)三月十一日給す
進貢謝恩等の/事の為にす 執照
注(1)鍍金銅結束紅漆鞘靶鎗 これより前にある「鍍金銅結束紅漆靶鞘鎗」と表現が類似しており、たとえば黒漆・紅漆などの文字の筆写に誤りがあると思われる。
(2)紅泰和 一五五四-一五九五年。久米村紅氏(和宇慶家)六世(『家譜(二)』二〇二頁)。
琉球国中山王世子尚(寧)、進貢、謝恩等の事の為にす。
今、特に正議大夫・長史の梁応・鄭週等を遣わし、表文一通を齎捧せしむ。小船一隻に坐駕し、馬四匹・硫黄五千斤・全光銀靶鞘腰刀二把・金結束黒漆鞘金起沙魚皮紋靶腰刀二把・鍍金銅結束線紮靶紅漆鞘腰刀六把・鍍金銅結束紅漆靶鞘鎗六柄・細嫩土夏布一十匹・細嫩芭蕉布一十匹・金結束紅漆鞘金起沙魚皮紋靶腰刀二把・銀結束黒漆鞘銀起沙魚皮靶腰刀二把・鍍金銅結束紅漆鞘靶鎗四柄・鍍金銅結束紅漆鞘靶衮刀六把・黄土夏布一百匹・鍍金線穿鉄甲二領・紅花一百斤を装載して京に赴き進貢し謝恩す。所拠りて今差去する人員は、別に文憑無くば誠に所在の官司の盤阻して便ならざるを恐る。王府、除外に今、洪字二号半印勘合執照を給して通事紅泰和等に付し、収執して前去せしむ。如し経過の関津把隘の去処及び沿海巡哨の官軍の験実に遇わば、即便に放行し、留難して因って遅悞して便ならざるを得しむる毋れ。所有の執照は須らく出給に至るべき者なり。
今開す 赴京の
正議大夫一員 梁応
長史一員 鄭週
使者一員 鄔宝
都通事一員 林璋
存留在船使者一員 甘美寿
存留在船通事一員 紅泰和
人伴三十二名
管船火長・直庫二名 鄭義男 毛喜
梢水共に一百三十名
貢謝の方物を除くの外、附搭の土夏布二百匹
右の執照は存留在船通事紅泰和等に付し、此れに准ぜしむ
万暦十七年(一五八九)三月十一日給す
進貢謝恩等の/事の為にす 執照
注(1)鍍金銅結束紅漆鞘靶鎗 これより前にある「鍍金銅結束紅漆靶鞘鎗」と表現が類似しており、たとえば黒漆・紅漆などの文字の筆写に誤りがあると思われる。
(2)紅泰和 一五五四-一五九五年。久米村紅氏(和宇慶家)六世(『家譜(二)』二〇二頁)。