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資料詳細
- 資料ID.
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- 資料種別
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
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- タイトル
- 中国暦
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- 西暦
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- 曜日
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
1-31-16 世子尚永の、万暦三年進貢の硫黄の不足分を補貢するため通事蔡朝傑等を遣わす執照(一五七五、一二、二一)
琉球国中山王世子尚永、硫黄を欠小する事の為にす。
照得するに、万暦三年(一五七五)の貢期に、已に正議大夫蔡朝器等及び護送の通事陳継茂等を差わし、土船二隻に坐駕し、硫黄・馬匹を分載し、前来して進貢せしむる内、期せずして陳継茂の船隻は風を被り海壇山に打傷して硫黄の漏湿すること過半なり。幸いにして人船は平安なるを得たり。此の為に今、通事蔡朝傑等を遣わし、人伴・梢水を率領し、小船一隻を撑駕し、硫黄五千斤を装載して前来して数を補わしむ。仍お福建等処承宣布政使司に赴き告稟して進収せしむる外、今、宙字十二号半印勘合執照を給して通事蔡朝傑等に付し、収執して前去せしむ。如し経過の関津把隘の去処及び沿海巡哨の官軍の験実に遇わば、即便に放行し、留難して因って遅滞して便ならざるを得しむる毋れ。所有の執照は須らく出給に至るべき者なり。
今開す
通事一員 蔡朝傑 人伴二名
管船火長・直庫 二名 林世栄 馬三輅
梢水共に四十九名
万暦三年(一五七五)十二月二十一日
右の執照は通事蔡朝傑等に付し、此れに准ぜしむ
硫黄を補数する/事の為にす 執照
琉球国中山王世子尚永、硫黄を欠小する事の為にす。
照得するに、万暦三年(一五七五)の貢期に、已に正議大夫蔡朝器等及び護送の通事陳継茂等を差わし、土船二隻に坐駕し、硫黄・馬匹を分載し、前来して進貢せしむる内、期せずして陳継茂の船隻は風を被り海壇山に打傷して硫黄の漏湿すること過半なり。幸いにして人船は平安なるを得たり。此の為に今、通事蔡朝傑等を遣わし、人伴・梢水を率領し、小船一隻を撑駕し、硫黄五千斤を装載して前来して数を補わしむ。仍お福建等処承宣布政使司に赴き告稟して進収せしむる外、今、宙字十二号半印勘合執照を給して通事蔡朝傑等に付し、収執して前去せしむ。如し経過の関津把隘の去処及び沿海巡哨の官軍の験実に遇わば、即便に放行し、留難して因って遅滞して便ならざるを得しむる毋れ。所有の執照は須らく出給に至るべき者なり。
今開す
通事一員 蔡朝傑 人伴二名
管船火長・直庫 二名 林世栄 馬三輅
梢水共に四十九名
万暦三年(一五七五)十二月二十一日
右の執照は通事蔡朝傑等に付し、此れに准ぜしむ
硫黄を補数する/事の為にす 執照