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資料詳細
- 資料ID.
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- 資料種別
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
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- タイトル
- 中国暦
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- 西暦
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- 曜日
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
1-27-18 国王尚貞の、進貢のため耳目官翁敬徳等を遣わす符文(一六九四、一〇、六)
琉球国中山王尚(貞)、進貢の事の為にす。
照得するに、本国は世々天朝の洪恩に沐し、貢典の二年一次に遵依す。茲に康煕三十三年(一六九四)の貢期に届遇するに当り、特に耳目官翁敬徳・正議大夫蔡応瑞・都通事梁成楫等を遣わし、表・咨を齎捧して海船二隻に坐駕し、官伴・水梢を率領せしむ。毎船に均幇する上下の員役は共に二百員名を過ぎず。常貢の煎熟硫黄一万二千六百斤・紅銅三千斤・煉熟白剛錫一千斤等の方物を装運し、両船に分載す。一船義字第五十七号は煎熟硫黄六千三百斤・紅銅一千五百斤・煉熟白剛錫五百斤を装載し、一船義字第五十八号は煎熟硫黄六千三百斤・紅銅一千五百斤・煉熟白剛錫五百斤を装載す。福建等処承宣布政使司に前至して投納し、起送して京に赴き聖禧を叩祝せしむ。
所拠りて差去する員役は、並びに文憑無くば誠に所在の官軍の阻留して便ならざるを恐る。此の為に王府、今、義字五十六号半印勘合符文を給して都通事梁成楫等に付し、収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海巡哨の官軍の験実に遇わば、即便に放行し、留難し遅悞するを得しむる毋れ。須らく符文に至るべき者なり。
計開 赴京の
耳目官一員 翁敬徳 人伴一十三名
正議大夫一員 蔡応瑞 人伴一十三名
都通事一員 梁成楫 人伴六名
在船都通事二員 梁珍材 林茂豊 人伴八名
在船使者四員 毛興竜 翁自道 明啓賢 東国作 人伴一十六名
存留通事一員 毛文哲 人伴六名
在船通事一員 阮璋 人伴四名
管船火長・直庫四名 孫廷璽 楊宗時 丙起才 松永茂
右の符文は都通事梁成楫等に付し、此れに准ぜしむ
康煕三十三年(一六九四)十月初六日給す
注*この進貢については『清実録』康煕三十四年九月丁丑の条に記事がある。
(1)翁自道 伊舎堂親方盛冨。一六五九-一七二一年。首里翁氏(伊舎堂家)四世。尚貞・尚益・尚敬三代に仕え、康煕五十一年(一七一二)には法司に任ず(『家譜(三)』八二頁)。
(2)阮璋 一六六九-一七四〇年。久米村阮氏(𤘩宮城家)五世。のち正議大夫、申口座に陞る(『家譜(二)』一五八頁)。
(3)孫廷璽 一六七〇-一七四九年。安座間親雲上。久米村孫氏(安座間家)三世。五回の渡清のほか福建に三年学ぶ。のち中議大夫に陞る(『家譜(二)』四一八頁)。
琉球国中山王尚(貞)、進貢の事の為にす。
照得するに、本国は世々天朝の洪恩に沐し、貢典の二年一次に遵依す。茲に康煕三十三年(一六九四)の貢期に届遇するに当り、特に耳目官翁敬徳・正議大夫蔡応瑞・都通事梁成楫等を遣わし、表・咨を齎捧して海船二隻に坐駕し、官伴・水梢を率領せしむ。毎船に均幇する上下の員役は共に二百員名を過ぎず。常貢の煎熟硫黄一万二千六百斤・紅銅三千斤・煉熟白剛錫一千斤等の方物を装運し、両船に分載す。一船義字第五十七号は煎熟硫黄六千三百斤・紅銅一千五百斤・煉熟白剛錫五百斤を装載し、一船義字第五十八号は煎熟硫黄六千三百斤・紅銅一千五百斤・煉熟白剛錫五百斤を装載す。福建等処承宣布政使司に前至して投納し、起送して京に赴き聖禧を叩祝せしむ。
所拠りて差去する員役は、並びに文憑無くば誠に所在の官軍の阻留して便ならざるを恐る。此の為に王府、今、義字五十六号半印勘合符文を給して都通事梁成楫等に付し、収執して前去せしむ。如し経過の関津及び沿海巡哨の官軍の験実に遇わば、即便に放行し、留難し遅悞するを得しむる毋れ。須らく符文に至るべき者なり。
計開 赴京の
耳目官一員 翁敬徳 人伴一十三名
正議大夫一員 蔡応瑞 人伴一十三名
都通事一員 梁成楫 人伴六名
在船都通事二員 梁珍材 林茂豊 人伴八名
在船使者四員 毛興竜 翁自道 明啓賢 東国作 人伴一十六名
存留通事一員 毛文哲 人伴六名
在船通事一員 阮璋 人伴四名
管船火長・直庫四名 孫廷璽 楊宗時 丙起才 松永茂
右の符文は都通事梁成楫等に付し、此れに准ぜしむ
康煕三十三年(一六九四)十月初六日給す
注*この進貢については『清実録』康煕三十四年九月丁丑の条に記事がある。
(1)翁自道 伊舎堂親方盛冨。一六五九-一七二一年。首里翁氏(伊舎堂家)四世。尚貞・尚益・尚敬三代に仕え、康煕五十一年(一七一二)には法司に任ず(『家譜(三)』八二頁)。
(2)阮璋 一六六九-一七四〇年。久米村阮氏(𤘩宮城家)五世。のち正議大夫、申口座に陞る(『家譜(二)』一五八頁)。
(3)孫廷璽 一六七〇-一七四九年。安座間親雲上。久米村孫氏(安座間家)三世。五回の渡清のほか福建に三年学ぶ。のち中議大夫に陞る(『家譜(二)』四一八頁)。