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資料詳細
- 資料ID.
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- 資料種別
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
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- タイトル
- 中国暦
- {{ryu_data.f17}}年 {{ryu_data.f18}}月 {{ryu_data.f19}}日
- 西暦
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- 曜日
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
1-27-02 国王尚質の、謝恩のため法司王舅呉国用等を遣わす符文(一六六三、一〇、二二)
琉球国中山王尚(質)、謝恩等の事の為にす。
今、特に法司王舅・紫金大夫・使者・通事等の官の呉国用・金正春等を遣わし、表本各一通を齎捧して夷梢を率領し、海船一隻に坐駕して金靶鞘腰刀二把・銀靶鞘腰刀二把・黒漆靶鞘鍍金銅結束衮刀一十把・黒漆靶鞘鍍金銅結束鎗一十把・糸線穿鉄甲一領、鍍金護手護臁各全・鉄盔一頂・黒漆洒金馬鞍一坐、轡頭踩蹬前後牽軸各項件全・金彩画屛風二対・金面扇一百把・銀面扇二百把・水墨画扇二百把・紅銅五百斤・土糸綿二百束・胡椒五百斤・土苧布一百匹・紋芭蕉布一百匹・芭蕉布二百匹を装載し、京に赴き謝恩せしむ。
所拠りて今差去する官員は、別に文憑無くば誠に所在の官司の盤阻して便ならざるを恐る。王府、除外に今、義字第一号半印勘合符文を給して都通事陳初源等に付し、収執して前去せしむ。経過の関津把隘の去処及び沿海巡哨の官軍の験実に遇わば、即便に放行し、留難し遅悞して便ならざるを得しむる毋れ。須らく符文に至るべき者なり。
計開 赴京の
法司王舅一員 呉国用 人伴二十二名
紫金大夫一員 金正春 人伴十五名
使者一員 紅有徳 人伴六名
都通事一員 陳初源 人伴四名
存留在船使者一員 孫俊用 人伴四名
存留在船通事一員 鄭嗣孝 人伴三名
王舅通事一員 毛敬徳 人伴一名
管船火長・直庫二名 金世瑛 柯可嘉
康煕二年(一六六三)十月二十二日給す
右の符文は通事陳初源等に付し、此れに准ぜしむ
符文
注*この進貢については『清実録』康煕三年七月己亥の条に記事がある。
(1)紅有徳 生没年不詳。久米村紅氏(和宇慶家)八世。七世紅春貴の次男で、幼年の時、久米村を出て首里に遷る(『家譜(二)』二〇二頁)。
琉球国中山王尚(質)、謝恩等の事の為にす。
今、特に法司王舅・紫金大夫・使者・通事等の官の呉国用・金正春等を遣わし、表本各一通を齎捧して夷梢を率領し、海船一隻に坐駕して金靶鞘腰刀二把・銀靶鞘腰刀二把・黒漆靶鞘鍍金銅結束衮刀一十把・黒漆靶鞘鍍金銅結束鎗一十把・糸線穿鉄甲一領、鍍金護手護臁各全・鉄盔一頂・黒漆洒金馬鞍一坐、轡頭踩蹬前後牽軸各項件全・金彩画屛風二対・金面扇一百把・銀面扇二百把・水墨画扇二百把・紅銅五百斤・土糸綿二百束・胡椒五百斤・土苧布一百匹・紋芭蕉布一百匹・芭蕉布二百匹を装載し、京に赴き謝恩せしむ。
所拠りて今差去する官員は、別に文憑無くば誠に所在の官司の盤阻して便ならざるを恐る。王府、除外に今、義字第一号半印勘合符文を給して都通事陳初源等に付し、収執して前去せしむ。経過の関津把隘の去処及び沿海巡哨の官軍の験実に遇わば、即便に放行し、留難し遅悞して便ならざるを得しむる毋れ。須らく符文に至るべき者なり。
計開 赴京の
法司王舅一員 呉国用 人伴二十二名
紫金大夫一員 金正春 人伴十五名
使者一員 紅有徳 人伴六名
都通事一員 陳初源 人伴四名
存留在船使者一員 孫俊用 人伴四名
存留在船通事一員 鄭嗣孝 人伴三名
王舅通事一員 毛敬徳 人伴一名
管船火長・直庫二名 金世瑛 柯可嘉
康煕二年(一六六三)十月二十二日給す
右の符文は通事陳初源等に付し、此れに准ぜしむ
符文
注*この進貢については『清実録』康煕三年七月己亥の条に記事がある。
(1)紅有徳 生没年不詳。久米村紅氏(和宇慶家)八世。七世紅春貴の次男で、幼年の時、久米村を出て首里に遷る(『家譜(二)』二〇二頁)。