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資料詳細
- 資料ID.
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- 資料種別
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- 資料名
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- 歴代宝案巻号
- {{ryu_data.f10}}集 {{ryu_data.f11}}巻 {{ryu_data.f12}}号
- 著者等
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- タイトル
- 中国暦
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- 西暦
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- 曜日
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- 差出
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- 宛先
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- 文書形式
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- 書誌情報
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- 関連サイト情報
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- 訂正履歴
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- 備考
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テキスト
1-26-27 国王尚豊の、謝恩のため長史鄭藩献等を遣わす符文(一六三五、二、一九)
琉球国中山王尚(豊)、謝恩等の事の為にす。
今、特に長史・使者・都通事等の官の鄭藩献等を遣わし、表箋を齎捧せしむ。船隻に坐駕し、具陳の方物の金結束金起沙魚皮紋紅糸線纒靶金鑲全鞘腰刀二把・銀結束銀起沙魚皮紋紅糸線纒靶銀鑲全鞘腰刀二把・鍍金銅結束紅漆鞘紅糸線纒靶腰刀十把・鍍金銅結束紅漆鞘衮刀六把・鍍金銅結束黒漆鞘貼節金鎗六柄・満面金扇五十把・満面銀扇五十把・貼金銀描画松鷹花帷屛一対・細嫩練光土蕉布二十匹・漂白土苧布二十匹を解運して、京に赴き謝恩す。拠りて差わす員役は、別に文憑無くば誠に所在の官司の盤阻して便ならざるを恐る。理として合に給照すべし。此の為に今、仁字第三十八号半印勘合符文を給し、都通事鄭子楽等に付し、収執して前去せしむ。如し経過の関津把隘の去処及び沿海巡哨の官軍の験実に遇わば、即便に放行し、留難し遅悞して便ならざるを得しむる毋れ。須らく符文に至るべき者なり。
計開 赴京の
長史一員 鄭藩献 人伴十名
使者一員 蔡秀 人伴五名
都通事一員 鄭子楽 人伴五名
存留在船使者二員 呉得賢 楊富春 人伴四名
存留在船通事一員 王克善 人伴二名
管船火長・直庫二名 林士奇 茂度
右の符文は都通事鄭子楽等に付し、此れに准ぜしむ
附搭の土夏布二百匹
崇禎八年(一六三五)二月十九日給す
注(1)蔡秀 島袋親雲上政長。一五七七-一六五七年。那覇蔡氏(渡久地家)四世(『家譜(四)』二六九頁)。
琉球国中山王尚(豊)、謝恩等の事の為にす。
今、特に長史・使者・都通事等の官の鄭藩献等を遣わし、表箋を齎捧せしむ。船隻に坐駕し、具陳の方物の金結束金起沙魚皮紋紅糸線纒靶金鑲全鞘腰刀二把・銀結束銀起沙魚皮紋紅糸線纒靶銀鑲全鞘腰刀二把・鍍金銅結束紅漆鞘紅糸線纒靶腰刀十把・鍍金銅結束紅漆鞘衮刀六把・鍍金銅結束黒漆鞘貼節金鎗六柄・満面金扇五十把・満面銀扇五十把・貼金銀描画松鷹花帷屛一対・細嫩練光土蕉布二十匹・漂白土苧布二十匹を解運して、京に赴き謝恩す。拠りて差わす員役は、別に文憑無くば誠に所在の官司の盤阻して便ならざるを恐る。理として合に給照すべし。此の為に今、仁字第三十八号半印勘合符文を給し、都通事鄭子楽等に付し、収執して前去せしむ。如し経過の関津把隘の去処及び沿海巡哨の官軍の験実に遇わば、即便に放行し、留難し遅悞して便ならざるを得しむる毋れ。須らく符文に至るべき者なり。
計開 赴京の
長史一員 鄭藩献 人伴十名
使者一員 蔡秀 人伴五名
都通事一員 鄭子楽 人伴五名
存留在船使者二員 呉得賢 楊富春 人伴四名
存留在船通事一員 王克善 人伴二名
管船火長・直庫二名 林士奇 茂度
右の符文は都通事鄭子楽等に付し、此れに准ぜしむ
附搭の土夏布二百匹
崇禎八年(一六三五)二月十九日給す
注(1)蔡秀 島袋親雲上政長。一五七七-一六五七年。那覇蔡氏(渡久地家)四世(『家譜(四)』二六九頁)。